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萩の権現山

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 今回は三隅の権現山ではなく萩市(旧・阿武郡福栄村)の権現山(463.8m)のこと。 霞が無ければ見島まで見えると聞くこの権現山の山頂には金峰神社が祀ってあります。 山頂の鳥居と祠 参道 よく整備された登山道は金峰神社への参道です。 倒壊している参道の鳥居? 山頂の神社 近影 境内となっている山頂広場 山頂から見る萩市内 一等三角点 この権現山は一等三角点が埋設されており、三角点名は「唐人山」です。以前にも書き込んだことがありますが唐人山は隣に聳える山の名前です。何か訳ありの山のようです。 登山口には「金峯」という地名(集落名?)があるようで山頂の神社の名前も扁額には「金峯神社」と刻んであります。しかしながら登山口近辺の案内看板には「金峰神社」と書かれていました。 日本の山々には、特に山頂には「祈り」の場所が多く存在します。これは日本独自の文化だと思っていますが名前のある山には皆神様がいらっしゃるとのこと。なんてすばらしい文化だろう。私の里山歩きの真骨頂は此処に在ります。

三隅電報電話局のこと

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 昭和30年に建設された三隅電報電話局の建屋が今年(令和7年)解体された。70年が経過したシンボリックな建物だった。 見慣れた建物が無くなると寂しいもので、時代が平成になった頃?からはシルバー人材活用センター三隅事務所となって再活用されていた建屋だ。 2018年の頃-1 2018年の頃-2 取り壊す前に中の様子を見たかったが電報電話局の時代の設備はたぶん無かったであろう。当時の電話交換機でも残っていたら見たかったと思うが残念だ。 整地された跡地 新築の頃の写真が広報に掲載されていたのでここに残す。 三隅町広報より切抜き ところでこの建物の敷地内に水準点が埋め込まれていたのだが無くなっている。 水準点があったということは、元々前の道路が国道か主要道であったことを仄めかす。三隅バイパスが出来て県道になってしまったが今も通行量は多いと思う。

いこいの森夫婦岩から

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 平地のイチョウも葉が散ってきて今年もいよいよ12月となった。低山の山歩きに一番適した季節と勝手に思っているが天候に恵まれると楽しさが倍増する。 今回は久原山トレックの一部、いこいの森のピーク夫婦岩(211.2m)からの風景2枚。撮影は11/30。 北西側、眼下に野波瀬港、仙崎湾の向こうは青海島。 南西側を臨むと天井山系(左から天井山、秋芳大谷山、大滝、一番奥は花尾山)が一望できる。先日書き込んだ「分水嶺」の稜線だ。これらの山々を私は勝手に三隅アルプスと呼んでいる。標高600m越えの屏風状の山系で、日本アルプスの五分の一サイズだが実に雄大な風景だ。 追記: 「夫婦岩」と呼ばれているこのピーク地点(三角点名も「夫婦岩」)にはそれらしき岩はありません。ここから見える熊野権現社の裏山の頂上近くに夫婦岩があってそれが見えたことから「夫婦岩」と名付けられたとの事。

栢木の須賀社

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 湯免ダムより大水峠トンネルを抜けると直ぐに栢木(秋芳町)に入る。 美祢市の最北に位置する栢木集落には荒神様と十王様が祀られた「須賀社」があり毎年今の時期には真紅の紅葉が目を潤してくれる。 須賀社お祭りの前夜祭として栢木「岩戸王子の舞」という神楽舞が承継されているようだが三隅の「滝坂神楽舞」と少し似ていると聞きます。一度観てみたいものです。 すっかり秋の風景となった栢木を跨ぐ県道36号線。 「栢木」は「かいのき」と読みます。現在は美祢市秋芳町嘉万栢木という住所になっていて八代の里の一部です。厚東川の最上流域に位置し、三隅側からは大平峠、又は大水峠を越した位置にあります。 辺りは権現山、天井山、桂木山という名峰に囲まれた美しい山里です。 [栢木の弁財天] [天井山山頂]

分水嶺を歩く

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 今年もやっと紅葉シーズンとなって明け方に霜が降りだした。こんな時期は山の尾根を歩きたくなる。せっかくなので権現山(560.4m)から天井山(602.2m)にかけての分水嶺を歩いてみる。 大水峠地蔵尊 かつて秋芳町栢木と三隅町辻並をつなぐ峠越えの山道があった。今は三隅側の道はほぼ廃道となり歩くことも困難になった。その峠に今も鎮座する地蔵尊は少しばかり秋芳側に傾いていらっしゃる。まさに「峠のお地蔵様」である。まずはここから権現山の頂上を目指す。 地理院地図より 尾根道-1 権現山の尾根道は急坂にしごかれますが素敵な登山道です。 権現山頂上三角点 お地蔵様まで引き返してそのまま分水嶺を天井山方面に向かう。 尾根道-2 伐採地より天井山を臨む 今回歩いた分水嶺は2021年(令和3年)に「天井山風力発電事業」が計画された尾根で、上の写真は風車建設前の風況観測塔が建設されていた伐採地(標高530m)で、そこより天井山を眺望したものだ。今回は時間の都合でここより栢木林道(栢木弁天社の方面)へと下山した。 もう少し紅葉の落ち葉を期待して歩いたが少しだけ時期が早すぎたようだ。しかしながら木漏れ日に照らされてワクワクする山歩きだった。

小原美山という画家

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 かつて三隅村澤江上ヶに「小原美山」という肖像画専門の画家?がいた。 これは三隅村に初めて鉄道がやってきて「長門三隅駅」が開業(大正13年11月3日)した記念に三隅村が発行した「三隅志要」という小冊子の広告ページの抜粋で、以前から気になっていた画家?で出来得るならばその作品を見てみたいと思っていた。 それが叶ったのが古民家「東方の家」の蔵の中。 刻印の日付と「美山」というサインからして間違いないと思われる。願いが叶った瞬間だ。 当時の日付の干支は立春の前後で変わるので2月4日(大正11年の立春)以降に画かれたことになる。 画かれた人物はたぶん桑原仁作さんの若かりし頃で、公職選挙法が施行されて初めての三隅町長(3代目)に就任された方だ。(昭和22年4月~26年3月)因みに町制施行は昭和17年11月3日の事で初代町長は白藤董(しらふじただす)、2代目は木村平次(きむらへいじ)と続く。 この人物画が書かれた2年後に三隅村に鉄道が敷設され11月3日(明治節)に長門三隅駅が開業に漕ぎ着けている。 この写真で一番興味深かったものが鉄道の三隅川橋梁を支えている立派な橋脚が写っていたことだ。長門三隅駅が美禰線の終着駅として開業した時にはすでに萩方面に向けて鉄道の敷設が進んでいたわけで翌年の大正14年には三見駅と萩駅が開業している。今年が100年のアニバーサリーイヤーだ。 一枚の人物画から飛躍しすぎた話になってしまったが色々のことが頭を過る。

コブハクチョウの遡上

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 毎年この時期になると三隅川にサケが遡上してくる。10月の終わりから11月の初旬には毎日のように散策がてら探し廻っているがなかなか見つからない。 今回は最下流まで下がってみたが遡上の気配がない。するとその時、いつもの2羽のコブハクチョウが遡上してきた。 琴橋を通過 下東方公会堂前 上東方辺り ヨシの前で停止 何やらエサを漁っている様子。この後ヨシの中に頭を突っ込みだした。 上流からのカモ 続いてカンムリカイツブリも 川土手の道が整備(草刈り)してあってとっても歩きやすくなっていた。お地蔵様も満足げ?の様子。 昨年は二条窪川(三隅川の支流)に遡上しているサケが発見され地方紙に載っていたが今年は未だに気配がない。一昨年前の川浚いの工事(堰き止めて施工)が影響したか?なんとも寂しい。まだまだ観察は続く・・・