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高潮の日~小島

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 高潮注意報と言われても内陸に住む人々には聞き逃しそうな予報だが、沿岸部に暮らす方々には聞き逃せない予報だと思う。今回は三隅の小島漁港の風景。 道路に乗り上げそうだ。 旧漁協の前 雨水ではありません。 市場前はこれから・・・ 側溝から海水が湧き出てきた。 台風でも接近して満潮を迎えてしまうと最悪の事態になりかねない状態だ。 フィッシャリーナ小島に停泊中のクルーザーも普段より位置が高い。 猛暑日が続いている中での撮影なので道路の水たまりはすべて海水だ。地元の方々は日常茶飯事のことのようで「そこに車を停めると潮が上がってくるよ!」と注意をされた。 自分としては過去に何度か経験した風景だが初めて見る方は衝撃の風景ではあるまいか? 住んでみないとわからないことがたくさんある、という一つの例だ。

入道雲のある風景

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 相変わらずローカルなことだが長門市三隅地区では夕立が来そうで来ない猛暑日が続いている。山の日の大雨で田圃が生き生きしてきたと思ったらまた干乾びた状態に戻ってきた。 そんな猛暑のなか、シェービングクリームのような入道雲が三隅を囲む山々から覗きだした。 鉄割山系、沢江の西山 岳ノ山 小波橋から天井山(左)と足河内山(右) 小波橋から権現山 権現山拡大 扇山 入道雲を見るたびに昭和の時代にあった剃刀?のCMを思い出す。覚えている方もいるはずだが入道雲を手でつかんでシェービングクリームにして髭をそるCMだ。記憶を確かめるためもう一度見てみたいものだ。(Youtubeで探してはみたが見つからなかった。またまた記憶ミスか?)

上手く撮れなかった野鳥たち

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 年齢を重ね老眼や乱視が進んだおかげでファインダーやモニター画面が見えておらず、せっかく見つけた野鳥たちのシャッターチャンスを生かせなかった写真を何枚か残そうと思う。 最近見かけなくなって久々に姿を拝めた。 背景をぼかすつもりはなかった。 せめてこっちを向いてほしかった この時期に見れたのは珍しい? 家の前で見つけたのは初めてで興奮してしまった結果の一枚 家の前にシカがやってきたか、と思わせるように「ぴょー、ぴょー」と甲高く鳴いていた。すぐさまカメラを手に飛び出して撮った一枚。でかいキツツキだ。 暗い写真だが何とかヤマガラだと判定できる一枚。 発見して少しの時間留まっていてくれた野鳥たちのみ撮影できたわけだがほとんどの野鳥はすぐに逃げてしまう。とてもじゃないが素人に図鑑のような写真は撮れない。 今回は2025年4月下旬から8月中旬までの自分にとっては貴重な駄作写真。

只の浜と境川

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 防長風土注進案によると「多田ノ浜」の旧道わきにエノキの木が植えてありそこに一里塚があったとされる。もちろん赤間関街道北浦道筋の一里塚だ。 この「多田ノ浜」とは境川の旧名らしく、ひょっとして現在の「只の浜」はこれが変化して名前が変わったものか。 ということでまずは令和7年の「只の浜」の様子。 正面の青海島を臨む 東側西深川方 西側境川方 境川地区に移動する。 境川バス停より山陰本線 境川荒神社入口 境川荒神社参道入口に鎮座する庚申塚。 うろついてはみたが旧道のエノキがどこに在るのか分からず、一里塚の跡はやはり不明で地元の方に聞くしかないようだ。 境川を流れる川の名前は「十楽川」という。勝手に川名を境川と思っていたが調べてみると違っていた。地名辞典による小名一覧で探しても確かに境川という地名は見当たらない。見当たるのは「十楽」や「多田」という小名だ。そしてその近所に「茶屋」という小名を見つけた。これは峠の茶屋か?とまたまた勝手な想像をする。とするとその近くに一里塚があっても不思議はない。 地名には先祖の生活感が表れており今もそれが息づいていることがよくある。知れば知るほど面白い。ということで小名だけの地図が欲しい。

夏越の大祓

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夏も本番を迎え、と言いたいところだがすでに殺人的な暑さが続いている。そういえば7月になって直ぐに梅雨明け宣言が出された九州北部と山口県だが、ここ長門市は梅雨があったことも記憶から飛んでいるほど雨が降っていない。ことしは雨乞いをせねば。 ということでこの猛暑を乗り切るための「大祓い」が今年も三隅八幡宮で催された。 夕刻の二の鳥居 茅の輪くぐり 写真では人影が少ないが結構な人数がお祓いに来られていたし、お世話をされる方々の親近感が何とも言えず良い。

二条窪観音堂と無量講

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 桜楓山荘(楫取素彦邸跡)の裏手に楫取素彦の妻、寿(吉田松陰の妹)が創建した観音堂がある。 堂内に置かれた阿弥陀如来と千手観世音菩薩は、約600年前にこの地に創建された「善願寺」(廃寺はいつか不明)に祀られていたものと伝承されている。 無量講(通称:お講)は寿女史が毎月一回(二回?とも伝わる)村人を観音堂に集めて法座を開いていたことに発して、今現在まで続いている報恩講である。 元々の観音堂は旧県道の外れに在ったらしく道路改良工事の時に現在地に移転新築されたもの。 7月27日に豊原の宗善寺ご住職による法座が開かれ、参席させていただいた。 法座が開かれるときは阿弥陀如来の右側に「六字名号(南無阿弥陀仏)」の掛物が掛けられ、その掛物は当家(当番の家)でもち回っておられるため普段は空白だ。 この掛物(六字名号)は寿女史が関東へ出発にあたり、形見として二条窪の人々のために残されたものと伝えられている。西本願寺二十一世妙如上人御真筆のもので箱中添書きには最後に「二条窪講中寶物」と記されている。 桜楓山荘 観音堂近辺の二条窪川 楫取 寿(かとり ひさ)は前述のとおり吉田松陰の妹で幕末から明治中期に生きた人。名前は「寿」だと思っていたが「寿子」と書かれた版物?もあるようで、憶測ではあるが旧姓の「杉 久子」という読みから来たものかもしれない。中途半端な知識ではあるが紛らわしいので書き添えておく。

夕刻の仙崎漁港

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 波穏やかな漁港内と人工島への橋付近の風景。 人工島へ渡された橋。 仙崎漁港は仙崎半島に沿って北端から南へ約1Kmの幅を持つ割と大きな漁港で、センザキッチンまで入れると1.2Kmほど伸びる。半島といっても北側に青海島が控えているため波穏やかな漁港だと思っている。 夕刻といってもまだまだ明るい。撮影時刻は17時半頃だ。漁港を抜ける風は涼しくて昼間の猛暑が信じられないほど体感温度は下がっている。かといって散歩をする人は見かけなかったが夕涼みはもう少し日が落ちてからなのであろう。