日本橋という橋のこと

今暮らしている町の景観を思うときに、昨年あたりから山陰道三隅・長門道路完成後の景観のことを考え出した。勝手なもので山陰道の萩・三隅道路が開通したときはあまり気にならなかったが今回は身近なエリアであるが故に気になることが多い。 他の箇所で言うとリニアモーターカーのルートや下関・北九州道路等も気にはなるところだ。他所(よそ)の事でけっこう興味深く追っているのが「首都高速の日本橋地下化」の件で、街道好きの筆者にとっては見逃せない事柄で、今回は自己の研鑽をふまえてお江戸のことを少し書いてみる。 以上の写真は2009年~2010年の頃の日本橋とその上を川に沿って走る首都高の様子だが、自分が初めて日本橋を見た1976年の頃からほぼ変わっていない。自分にとっての日本橋は上に首都高のあるこれらの風景と、そして歌川(安藤)広重の東海道五拾三次の日本橋の風景なのだ。(記念切手:国際文通週間1962.10.7発行) 歴史を紐解くと1603年に江戸幕府開府とともに日本橋が架けられ、次年に旧五街道の起点とされた。1963年(東京オリンピックの前年)に橋の上空に首都高速道路が開通した。昭和38年の事だ。国際文通週間「日本橋」の切手が発行されたときには上空に首都高が無かったか建設中だったわけだ。 首都高速をみると鉄人28号を思い出し、初代新幹線をみるとエイトマンを思い出す未来を夢見る少年漫画の世代だ。 そして時は流れ、平成14年頃からの当時の総理大臣の一声で日本橋の上空に首都高は景観を損ねるとのことで平成18年の頃に民間も街づくりの一環として「日本橋川に空を取り戻す会」を設立。実際はそれ以前から扇千景国土交通大臣の「首都高の高架に覆われた日本橋の景観を一新する」とのことで東京都心における首都高速道路のあり方委員会が設立されていたようだ。川の上空に首都高速を造った時代もすごいが、それを地下に潜らせることを考える時代もすごい。 話は三隅・長門道路に戻るが現状としてルート上の伐採や付帯工事が始まっていると聞くが生活エリアからはさっぱり見えない。いつの間にか出来てしまいそうな・・・ただ完成まで元気でいることを当面の目標にしたい。とりあえず開通記念のウォーキング(片道約10Kmの往復)をしたいと思っている。