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分水嶺を歩く

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 今年もやっと紅葉シーズンとなって明け方に霜が降りだした。こんな時期は山の尾根を歩きたくなる。せっかくなので権現山(560.4m)から天井山(602.2m)にかけての分水嶺を歩いてみる。 大水峠地蔵尊 かつて秋芳町栢木と三隅町辻並をつなぐ峠越えの山道があった。今は三隅側の道はほぼ廃道となり歩くことも困難になった。その峠に今も鎮座する地蔵尊は少しばかり秋芳側に傾いていらっしゃる。まさに「峠のお地蔵様」である。まずはここから権現山の頂上を目指す。 地理院地図より 尾根道-1 権現山の尾根道は急坂にしごかれますが素敵な登山道です。 権現山頂上三角点 お地蔵様まで引き返してそのまま分水嶺を天井山方面に向かう。 尾根道-2 伐採地より天井山を臨む 今回歩いた分水嶺は2021年(令和3年)に「天井山風力発電事業」が計画された尾根で、上の写真は風車建設前の風況観測塔が建設されていた伐採地(標高530m)で、そこより天井山を眺望したものだ。今回は時間の都合でここより栢木林道(栢木弁天社の方面)へと下山した。 もう少し紅葉の落ち葉を期待して歩いたが少しだけ時期が早すぎたようだ。しかしながら木漏れ日に照らされてワクワクする山歩きだった。

小原美山という画家

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 かつて三隅村澤江上ヶに「小原美山」という肖像画専門の画家?がいた。 これは三隅村に初めて鉄道がやってきて「長門三隅駅」が開業(大正13年11月3日)した記念に三隅村が発行した「三隅志要」という小冊子の広告ページの抜粋で、以前から気になっていた画家?で出来得るならばその作品を見てみたいと思っていた。 それが叶ったのが古民家「東方の家」の蔵の中。 刻印の日付と「美山」というサインからして間違いないと思われる。願いが叶った瞬間だ。 当時の日付の干支は立春の前後で変わるので2月4日(大正11年の立春)以降に画かれたことになる。 画かれた人物はたぶん桑原仁作さんの若かりし頃で、公職選挙法が施行されて初めての三隅町長(3代目)に就任された方だ。(昭和22年4月~26年3月)因みに町制施行は昭和17年11月3日の事で初代町長は白藤董(しらふじただす)、2代目は木村平次(きむらへいじ)と続く。 この人物画が書かれた2年後に三隅村に鉄道が敷設され11月3日(明治節)に長門三隅駅が開業に漕ぎ着けている。 この写真で一番興味深かったものが鉄道の三隅川橋梁を支えている立派な橋脚が写っていたことだ。長門三隅駅が美禰線の終着駅として開業した時にはすでに萩方面に向けて鉄道の敷設が進んでいたわけで翌年の大正14年には三見駅と萩駅が開業している。今年が100年のアニバーサリーイヤーだ。 一枚の人物画から飛躍しすぎた話になってしまったが色々のことが頭を過る。

コブハクチョウの遡上

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 毎年この時期になると三隅川にサケが遡上してくる。10月の終わりから11月の初旬には毎日のように散策がてら探し廻っているがなかなか見つからない。 今回は最下流まで下がってみたが遡上の気配がない。するとその時、いつもの2羽のコブハクチョウが遡上してきた。 琴橋を通過 下東方公会堂前 上東方辺り ヨシの前で停止 何やらエサを漁っている様子。この後ヨシの中に頭を突っ込みだした。 上流からのカモ 続いてカンムリカイツブリも 川土手の道が整備(草刈り)してあってとっても歩きやすくなっていた。お地蔵様も満足げ?の様子。 昨年は二条窪川(三隅川の支流)に遡上しているサケが発見され地方紙に載っていたが今年は未だに気配がない。一昨年前の川浚いの工事(堰き止めて施工)が影響したか?なんとも寂しい。まだまだ観察は続く・・・

飛鳥Ⅱがいた!

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11月1日の午後、登山道の現状把握と老朽化したベンチの写真撮影を目的にいこいの森から久原山まで歩いた。いこいの森ピークの夫婦岩にて仙崎湾を眺めると何やら豪華クルーズ船のようなものが仙崎沖に停泊している。早速カメラをズームしてみると船尾に「飛鳥Ⅱ」の文字を確認。 慌てたせいか撮影モードを間違えていて鮮明さに欠けているが、ここに残せそうなものを選んでみた。何を慌てたかというと、入山時間が遅かったため、午後3時までに下山する予定をぎりぎりの時間で飛鳥Ⅱを見つけたわけだ。 調べてみるとこの飛鳥Ⅱは連休を利用した博多発着の仙崎・境港への3泊4日観光クルーズで仙崎では上陸用ボートにて上陸する。なんともゆったりした船旅だ。 低山ながら山の上から眺める豪華客船はお得感満載で本当にラッキーだった。

長門市駅の今

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 JR西日本が利用者が少ない地方路線の平均収支率(2022年~2024年度)を発表した。益田-長門市間は4.5%となっていて、単純に計算すると100円稼ぐのに2200円程度の経費が必要ということになる。 先日のこと、長門市駅にたらこ色が3線に並んでいたので軽い気持ちで撮影した。 駅南歩道橋より 帰宅してよくよく見ると5,6,7番線に車止めが設置してありレールが切断されているではないか。(8,9番線は確認できなかった) 下の写真は今年の8月に撮影したもの。 この時にはすでに5,6,7番線は切断されている様子。いつも思うのが人がいない。とにかく人が少ない。

三隅川下流域を歩く

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 いつもの散歩道も秋晴れとなると風景が違って見える。 600m級の稜線を眺めては山への思いを馳せる。 カメラを向けるとカモは一斉に飛び立ったがコブハクチョウはそのまま居てくれた。 舟戸のお地蔵様も気持ちよさそうだ。土手へ上がる道も昔のままだ。ここから萩へと年貢米を積み込んでいたことを今更ながら想像する。 最初にも言ったが秋晴れの下だけでなく、歴史を知るとまた違った風景に見えてくる。 暑い暑い夏が漸く過ぎ去って山歩きにもってこいの季節になってきた。そんな中、地元でもクマの目撃情報が異様に増えてきている。昭和48年に発行された「三隅町の歴史と民俗」の[生物]-[動物]-[哺乳類]には「クマ」の記述はない。少なくとも令和になるまでは三隅における「クマ(ツキノワグマ)」の目撃情報は聞いていない。これこそ「昔はよかった!」と言いたい。

地域探訪~沢江

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 三隅地域づくり推進協議会 教育文化部主催による地域探訪が今年も催された。 村田清風記念館をスタートして隣の三隅山荘へ。沢江といえばやはりここだ! 村田清風旧宅(三隅山荘) 沢江川に沿って 山陰本線越しの沢江公会堂 清風墓所 沢江大歳社参道の階段 大歳社が見えてきた 最近、パワースポットになっているらしい。 沢江川河口 左の空き地・滝口旅館、右・吉田屋旅館が在った。 沢江地蔵尊 地蔵祭りも途絶えた様子。 沢江の観音様(時雨山観音)がある西山 旧街道を走るクロネコ 最後は赤間関街道を歩いて清風記念館へ戻る。街道筋には昔ながらの面影がかなり薄くなってはいるが、過去の人々の生活の気配を探して歩くのも一興でこれが「まち歩き」の醍醐味だ。