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湯免プールが出来た頃

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 昭和40年(1965年)6月に完成した湯免温泉プールは現在もその姿を残している。今年で60年目となる。今でも夏場に使用しているのかどうかは不明だが水は張ってある。(以下の写真は2008年の撮影) 自分が明倫小学校の高学年だった頃の体育の時間に旧校舎から2Km近く田んぼの畦道を歩いて湯免プールに行った覚えがあるが、今考えると体育の時間だけでは往復するだけで終わってしまい、プールの日は午後から中体育の時間だったかもしれない。中学生のころには松島で泳いだ後に自転車をこいで潮(塩?)抜きに湯免プールに行っていた思い出もある。 冒頭で書いたように昭和40年にプール開きがあったわけだが前年の東京オリンピックの開催に影響されてか、飛び込み台(スタート台?)に上がると水泳選手になったような気分になったことも思い出した。この時代からテレビの記憶が始まり、その影響力が犇々と感じられる。

時刻表を買う

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 先日本屋さんにて気になる時刻表を見つけた。気になる、というより少し驚いたのだが500系新幹線が表紙を飾った交通新聞社発行の「コンパス時刻表」。 1997年3月ダイヤ改正に営業運転を開始した500系のぞみか?と思いこみ購入して透明ラップをはがすと表紙の説明には「山陽新幹線500系」と記されている。500系のぞみではないかもしれない。表紙の西暦さえなければ1997年当時の時刻表に思えなくはない仕上がりだ。 500系のぞみを始めてみた時のちょっとした興奮を思い出してしまったが発行者はそこが狙いだったのかもしれない。そしてそこにまんまと嵌ってしまった自分。 同じ交通新聞社発行の「JR時刻表」とは編集デスクが違うのかもしれないが違和感はなく読める。 ところで地元 山陰本線の益田ー長門市間 のページをめくると相変わらずの空白地帯。 乗ったが最後、しばらく帰ってこれないようなダイヤグラム。 よくJRが廃線にしようとすると反対する地元民に対して普段から利用しないから自業自得、のような意見を聞くことがあるが現状の時刻表での運行状況では利用することをためらうような構成。これでは利用者の増加は望めない。そのうち廃線にしますよ、って言っているようなものだ。不便を味わうのも一興だが利用者はどうしても便利さを望んでしまう。利益が上がらないから本数が減ったのか、本数が減ったから利用者がいなくなったのかは別途片隅に置いてコロンブスの卵的な解決策はないものだろうか。 長門市は鉄道で栄えた町といっても過言ではない。鉄道が寂れると町も寂れて行った。新しい風は吹いてはいるがその風の一部に鉄道は絡まってこない。特急列車でも通せば絡まりそうだが今は瑞風は来ないし観光列車も皆無の状態。時代の波に流されるだけでなく美祢線は自然にも流されてしまった。将来時刻表から消えてしまうのか、と思うだけでゾッとする。 (近場でいうと可部線の奥や三江線は時刻表の索引地図から消え去っている)

桂木山から秋吉台を眺める

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 今年の秋吉台の山焼きは3月1日に途中中断(中止?)となったままだが、果してこのままで終わってしまうのであろうか。 続きを期待して9日に桂木山頂からカルスト台地の様子を覗った。 燃える様子もないし煙も見えない。霞んではいるがまあまあの眺め。 ところで桂木山の山頂には二つの妙見社が鎮座する。調べてみると一つは日ノ峰地区、もう一つは青影地区の祭神とのこと。 青影地区の妙見社 日ノ峰地区の妙見社 青影村殿河内から仰げば頂上の空に北極星が見えるため北辰妙見として崇められた。桂木山は別名「止星山(しじょうやま)」ともいわれるがこれは美祢郡の統一条里の四条線が頂上を通過し、基点の一つとなっていたから止星山は「四条山」から来たものと思われる。(平凡社「山口県の地名」より) これとは別に「輯製二十万分一図」には桂木山は「四城ヶ嶽」と記してある。近辺の古跡を調べると確かに青影城、岩尾城、沢差城、堅田城と古城跡がある。山の名前は地域によってその呼び名が違っていることがよくあるが桂木山もその例外ではなさそうだ。 桂木山:美東町と秋芳町の北部境界上にある標高701.6mの旧美祢郡の最高峰。当山の峰が美祢郡の郡名になったという。(平凡社 「山口県の地名」より)

久原山から眺める

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 トレッキングの楽しみの一つに眺望の良さがあるが、ご当地久原山はほんの標高200m程度の低山ながら眺望をけっこう楽しめる。 頂上の風景 南側の山々と明倫小学校付近 南側の山々ズーム 西側の風景 下の2枚はビューポイントから北側の風景。 三隅農業者トレーニングセンター(トレセン)の中に三隅公民館があり、その駐車場のモミの木の前に久原山トレックの案内板が建植されています。この場所は元々三隅町公民館の建屋が在った場所で、その後三隅町中央保育所として利用され、最後は経年劣化で解体されました。その跡地が現在の駐車場になっています。思い出多き場所です。 三隅公民館前駐車場 久原ルートが急坂のせいなのか、こちらの駐車場から登山される方が少ないように思います。地元民としてはもっと利用してほしいのですが昔は此方からの登山道だけでした。 登山口のある久原地区は香月泰男画伯の生家があり、画伯も何度か登っておられるようです。画伯の見た風景を想像しながら山歩きをするのも一興かと思います。

通学路の風景

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 三隅の中心地には明倫小学校と三隅中学校がある。 豊原や野波瀬から通学する児童や生徒はこの道を通る。 自分が通っていたのは半世紀以上前だが、面影はあるが当時とは微妙に記憶の風景が違っている。変わらないのは正面の権現山と左奥の扇山で、当たり前だがずっと一緒だ。 山陰本線の踏切を渡って左を振り向くと久原山が見える。家並みは変わったと思うが記憶は蘇ってくる。鉄橋を走っているのが「まつかぜ」だったり「さんべ」や「あきよし」だったら、と思いを寄せ、視線を戻すと三隅中学校はすぐ目の前だ。 区画整備や圃場整備で田園風景も50年前とは変わっているであろうが背景の山々のおかげで懐かしさは感じられる。 逆方向の三隅の上地区から通った方々はどんな風景が記憶に残っているのか想像してみる。通学時の風景は一人ひとり違っていて同じ道を同じ時代に歩いていたはずの同級生も違った記憶を持っている。

ふれあいパーク三隅にて野鳥を探す

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 毎朝のように氷点下の気温が続く中、ふれあいパーク三隅に野鳥観察に行った。 総合運動公園の南側から久原山を臨む 雪が降った後の晴天日を狙っていくと割と野鳥が目に付く。 今回見つけた野鳥はジョウビタキ、シロハラ、コゲラ、とっても小さい黒い鳥(撮影できず)、そして上空を横切ったチョウゲンボウ(撮影できず)。 ジョウビタキ-1 ジョウビタキ-2 ジョウビタキは鳴き声で近くにいることがすぐにわかる。オレンジ色の胸毛がとっても鮮やか。 シロハラ-1 シロハラ-2 シロハラは落ち葉の中をよく歩いているのでガサガサ音で近くに居ることが分かってしまう。ツグミの仲間であるが警戒心は弱く、近寄ってもすぐには逃げない様子。白腹と和名はあるがあまり腹は白くない。同じ仲間でアカハラという野鳥もいるがここではあまり見ない。 コゲラ-1 コゲラ-2 コゲラ-3 ふれあいパーク三隅でコゲラを見たのは初めてなのでちょっと興奮してうまく撮れなかった。小啄木鳥(コキツツキ)と書いて「コゲラ」と読みますが日本では一番小さいキツツキの仲間。「ギ~~~」という虫かカエルのような鳴き声が聞えると近くにいます。桜の木をしきりにつついていたがたぶん幹や枝に潜む昆虫を食べていたのであろう。 コゲラ-4 普段は見えない後頭部の赤い羽根が見えたのでオスだと判明。これが撮れたのは自分としては奇跡に近い。 ふれあいパーク三隅はこれから春にかけても野鳥がたくさんやってくる。スポーツやウォーキングをされている方々に気を使いながら野鳥観察や撮影するのは少し気が引けるが、たくさんの花木や野鳥の水浴び場(水路)があるがためウォーキングコース周辺は野鳥の楽園となる。野鳥好きにはたまらない場所なのだ。

雪景色の朝

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 長門市街に雪が積もるのは年に一度か二度程度の事だと認識しているが、突然積もったこの日は午後からは山肌に残っただけでほぼ解けてしまった。一瞬の事のように思えた雪だった。 背景の草添山と江之川をコラボって撮りたかったが中々うまく表現できない。撮影場所をもう少し探せば良かったかもしれない。草添山がこんなにきれいに見えたのは何年ぶりだろうか。 買い物を終え?帰りのバスを待たれているご婦人。バス停の屋根が全く無意味に見えた。 駐車場の白線枠が見えず、駐車位置に困って何度もきり返しをされるドライバーがいらっしゃったことを思い出した。 [後記] 最初の写真の草添山(517m)は旧長門市内のいたる場所から眺望できる雄大な山で、旧市内から見た手前右側の稜線は飯森山へと連なる。草添山は長門市駅構内から出発する山陰本線や美祢線の列車の真正面に位置する。その昔急行列車や特急列車に乗ろうとしてホームに立った時に態々ホーム端に行って眺めたことを思い出す。その頃は2・3番ホームに立ち食いうどん店がまだ在ったころでそこには確か駅弁も置いてあった記憶がある。駅待合室のKIOSKには常に駅弁やゆで卵が置いてあったことも思い出す。山を眺めると色々なことを回想してしまう。