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通学路の風景

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 三隅の中心地には明倫小学校と三隅中学校がある。 豊原や野波瀬から通学する児童や生徒はこの道を通る。 自分が通っていたのは半世紀以上前だが、面影はあるが当時とは微妙に記憶の風景が違っている。変わらないのは正面の権現山と左奥の扇山で、当たり前だがずっと一緒だ。 山陰本線の踏切を渡って左を振り向くと久原山が見える。家並みは変わったと思うが記憶は蘇ってくる。鉄橋を走っているのが「まつかぜ」だったり「さんべ」や「あきよし」だったら、と思いを寄せ、視線を戻すと三隅中学校はすぐ目の前だ。 区画整備や圃場整備で田園風景も50年前とは変わっているであろうが背景の山々のおかげで懐かしさは感じられる。 逆方向の三隅の上地区から通った方々はどんな風景が記憶に残っているのか想像してみる。通学時の風景は一人ひとり違っていて同じ道を同じ時代に歩いていたはずの同級生も違った記憶を持っている。

ふれあいパーク三隅にて野鳥を探す

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 毎朝のように氷点下の気温が続く中、ふれあいパーク三隅に野鳥観察に行った。 総合運動公園の南側から久原山を臨む 雪が降った後の晴天日を狙っていくと割と野鳥が目に付く。 今回見つけた野鳥はジョウビタキ、シロハラ、コゲラ、とっても小さい黒い鳥(撮影できず)、そして上空を横切ったチョウゲンボウ(撮影できず)。 ジョウビタキ-1 ジョウビタキ-2 ジョウビタキは鳴き声で近くにいることがすぐにわかる。オレンジ色の胸毛がとっても鮮やか。 シロハラ-1 シロハラ-2 シロハラは落ち葉の中をよく歩いているのでガサガサ音で近くに居ることが分かってしまう。ツグミの仲間であるが警戒心は弱く、近寄ってもすぐには逃げない様子。白腹と和名はあるがあまり腹は白くない。同じ仲間でアカハラという野鳥もいるがここではあまり見ない。 コゲラ-1 コゲラ-2 コゲラ-3 ふれあいパーク三隅でコゲラを見たのは初めてなのでちょっと興奮してうまく撮れなかった。小啄木鳥(コキツツキ)と書いて「コゲラ」と読みますが日本では一番小さいキツツキの仲間。「ギ~~~」という虫かカエルのような鳴き声が聞えると近くにいます。桜の木をしきりにつついていたがたぶん幹や枝に潜む昆虫を食べていたのであろう。 コゲラ-4 普段は見えない後頭部の赤い羽根が見えたのでオスだと判明。これが撮れたのは自分としては奇跡に近い。 ふれあいパーク三隅はこれから春にかけても野鳥がたくさんやってくる。スポーツやウォーキングをされている方々に気を使いながら野鳥観察や撮影するのは少し気が引けるが、たくさんの花木や野鳥の水浴び場(水路)があるがためウォーキングコース周辺は野鳥の楽園となる。野鳥好きにはたまらない場所なのだ。

雪景色の朝

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 長門市街に雪が積もるのは年に一度か二度程度の事だと認識しているが、突然積もったこの日は午後からは山肌に残っただけでほぼ解けてしまった。一瞬の事のように思えた雪だった。 背景の草添山と江之川をコラボって撮りたかったが中々うまく表現できない。撮影場所をもう少し探せば良かったかもしれない。草添山がこんなにきれいに見えたのは何年ぶりだろうか。 買い物を終え?帰りのバスを待たれているご婦人。バス停の屋根が全く無意味に見えた。 駐車場の白線枠が見えず、駐車位置に困って何度もきり返しをされるドライバーがいらっしゃったことを思い出した。 [後記] 最初の写真の草添山(517m)は旧長門市内のいたる場所から眺望できる雄大な山で、旧市内から見た手前右側の稜線は飯森山へと連なる。草添山は長門市駅構内から出発する山陰本線や美祢線の列車の真正面に位置する。その昔急行列車や特急列車に乗ろうとしてホームに立った時に態々ホーム端に行って眺めたことを思い出す。その頃は2・3番ホームに立ち食いうどん店がまだ在ったころでそこには確か駅弁も置いてあった記憶がある。駅待合室のKIOSKには常に駅弁やゆで卵が置いてあったことも思い出す。山を眺めると色々なことを回想してしまう。

旧街道を歩く~三見床並

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 一月以上も前のことになるが赤間関街道(赤間関往還道)の床並一里塚(三見橋辺り)から鎖板峠(通称鎖峠)までを歩いた。 スタートは三見橋橋上。 一旦戻って街道側から三見橋を眺める 床並集落の入り口近くの庚申塚(猿田彦の塚) すぐ隣の石仏。宝暦11年(1761年)建立らしい。 地蔵尊前の道を隔ててすぐ下の森神社。(通称森様) 社裏の祠。こちらが古い森神社かもしれない。 ようやく床並集落が見えてきた。 殆どが石州瓦の住宅で、いかにも雪深い集落を思わせる。 背景正面が千代ヶ岳でこの集落は日尾山(520m)と千代ヶ岳(468m)に挟まれた谷に位置する。 しばらく歩いて国道191号線と合流する。このすぐ先が鎖板峠(鎖峠:くさりだお)のピークとなる。萩市と長門市の市境界だ。昔はこの峠道が谷川に沿ってあったらしく、とても険しい道で鎖を伝って上り下りしていたがため鎖坂(くさりざか)と呼ばれていたらしいが、「三隅町の歴史と民俗」には鎖板坂(くさりいたざか)と記されている。それがいつの間にか鎖峠(くさりだお)と呼ばれている。 地名というのは歴史を追うといつの間にか変わっていることが多く、調べると本当に楽しいし興味深い。

二条窪渓谷

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 三隅川水系で最も下流で本流と合流する支流が二条窪川だ。 その二条窪川は下流域から上って県道268号豊田三隅線に沿うようになってからは突然と様子が渓流に変わる。 たぶん「ダイサギ(大鷺)」だと思うが、撮影後はさらに上流へと飛び去った。 川沿いに歩いていると地元の方?が「ええ川じゃろう!」と話しかけられたのだが本当にそう思う。遊歩道でもあれば夏場の避暑地になりそうなくらい渓流を満喫できそうだ。 足河内山、鉄割山、そして岳ノ山に挟まれた谷を流れる二条窪川は人里から離れた県道に沿っているがために不法投棄やゴミが散乱している箇所が結構ある。しかしながらこれらの写真のように素敵な渓を見せてくれる箇所も結構あり、県道を散策される方もよく見かける。 きれいな川があることをアピールしないとゴミはもっと増えそうだ。

旧長門三隅駅舎のこと

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 旧長門三隅駅舎とタイトルを付けたのは訳ありで、元々の長門三隅駅舎は現在「はつらつステーション三隅」という市の条例で定められた介護予防拠点整備事業で改装された高齢者のための施設となっている。 近年の現状としては選挙の投票日しかシャッターが開いておらず、ほぼ事業目的で使用されていない。そこで昨年の開業100周年の記念行事に合わせて何とか旧駅舎に市民の流れを作りたいということで駅舎の中身を総入れ替えして現在に至ったのが下記の写真の通りだ。 最初は駅を利用する高校生やその送迎をされるご両親などの待合室に使っていただき、自由に入れる場所としての突破口を作ろうとしたが、シャッターを開けただけではなかなか入っていただけない。三隅支所や三隅公民館の協力を得て何とか文庫本やコミックスなど揃えたものの開いている日時が不定期で人が来ない。とりあえず利用できる場所としての基盤ができたがこれからの課題が山積みだ。 高齢者のための手話教室、中高生の勉強部屋等いろいろと考えてはいるがとにかく毎日シャッターを開けないと何も進まない。

ドクターWESTを見た

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 ローカルエリア、それも超赤字ローカル線エリアに暮らしていると普段見ない列車を見ると年甲斐もなくウキウキする。 郵便局に行ったついでに道路向かいの長門三隅駅に歩いて行こうとした時の事。 踏切の鳴る音を聴きいつもの列車(キハ40系?)と思いきや駅を通過する勢いの接近音を感じ、立ち止まって待つと姿を現したのは見たことのない列車だった。 (山陰本線長門三隅駅は現在瑞風や観光列車は走っていないので通過する列車はいません。) 見た瞬間は新しい観光列車かと思いきや車窓が異様に小さい。ひょっとして「検測車?」かと思い帰って調べてみたら見事的中! キヤ141系の気動車でJR西日本の所有する検測車であった。何年も前から在った様だが自分が見るのは初めて。ネットで調べると「ドクターWEST」という愛称で呼ばれているようで在来線版ドクターイエローだ。ちょっと嬉しくなった体験だ。何が?というと、当たり前なのだがこんな閑散赤字ローカル線でもちゃんと地上設備を検査してくれていることが嬉しく、安心感が湧く。 新幹線の検査用車両「ドクターイエロー」はニュースや新聞記事では老朽化のため JR東海は今月(2025年1月)で運行を終える。 (JR西日本は2027年をめどに運行を終えるらしい。) ところで昨年の11月3日だけ開業100周年で盛り上がった駅の風景はというと記念看板が建植された以外は外見は変わらない。 ただ「 駅舎の中 」はがらりと変わったので次回にでも揚げようと思っている。