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久原山から眺める

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三隅の南側を囲う天井山系の稜線を久原山から眺める。 眺望-1 2020年04月28日撮影-1 眺望-2  少し紛らわしいが、杉山地区の奥に位置する「大谷山(582.9m)」という桂木山系の山がある。上の写真にある大谷山は秋芳の 八代の大谷山 である。すぐ近くに同名の山があることが不思議である。 2020年04月28日撮影-2 眺望-3 久原山は約200mの山だが、山頂(三角点とは違う場所)から眺める三隅の中心部の風景は絶品である。 香月泰男画伯もこの位置に立っておられたのだろうか、と思うことがよくある。多分そうだと思う。 三隅平野は画に残したいほど美しい。そしてここすべてが私の地球だ。

野波瀬から見る山

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普段見ている風景の中に知った山(登ったことのある山)が写るとちょっと嬉しくなることがある。 野波瀬バス停と野波瀬漁港から見える山で例えると・・・ 2020年04月27日撮影-1 野波瀬バス停から久原山の北側のピークが見える。このピークより久原山三角点に向かう尾根は未整備の状態だが結構歩きやすい尾根道が続いている。 2020年04月27日撮影-2 野波瀬漁港東側より見える小島山の頂上(195.6m)。 逆に頂上からは雑木の伐採がされていないので何も見えないが、地上から見る小島山の姿はこの位置からの風景が一番美しいと思う。 写真を撮っていると足元にノラ猫?が近づいてきた。 私が寄って行ったのではなく向こうから寄ってきたことがちょっと嬉しかった。 2020年04月27日撮影-3 これも一つの出会いであろうから記録として撮影した。

地形図と眺望を比べる

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山歩きをしていて、現場の風景が地形図のイメージと違って見えることがよくある。 行こうとする方角は合っているが、地形が違って見えてしまい自分の位置が分からなくなってしまうこともよくある。 ところがビューポイントなどで眺望が利く場所に立つと全く地形図通りに見える。そのことがわかりやすい場所を例として残す。 いこいの森から観た幸島や青海島の通地区にある山鳥山の眺望だ。 地理院地形図より 2018年05月02日撮影-1 位置決めをするため、「いこいの森展望広場」と「通地区の山鳥山山頂」を赤い線でつないでみた。  松島や幸島の位置が地形図にぴったりと合う。 名称や道などは偶に誤記入か?と思うことがあるが地形は大丈夫そうだ。測量技術の凄さがわかる。 2018年05月02日撮影-2 地図を見るのは本当に楽しい時間が過ごせる。 私の知人に「地形図を見て酒が飲める!」と言った輩がいるが少し気持ちがわかるような気がする。

青海島の高山を歩く

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4月19日(日)の午後、急な誘い(嬉しいお誘い)の連絡がきて青海島の高山に行くことになった。 既に雨雲が近づいていてどんよりした天候の中キャンプ場から少し荒れた遊歩道に入って行った。 2020年04月19日撮影-1  下にキャンプ場の管理棟が見えた。 2020年04月19日撮影-2  青海湖と深川湾、仙崎の街並みを隔てて仙崎湾も眺望できる。 2020年04月19日撮影-3 ドウダンツツジが見事に花をつけていた。 2020年04月19日撮影-4  雨粒が落ちてくるころには山吹が咲いている辺りまで下ってきた。 2020年04月19日撮影-5 2020年04月19日撮影-6 撮影した山吹の花をよく見ると・・・ 5の部分拡大 撮った時には気が付かなかったがナナフシのような昆虫が乗っていた。 これは新発見か?

桂木山のカツラ

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昨年、日峰川の源流を求めて桂木山の谷詰めコースを歩いた。 この桂木山山頂に向かう途中の標高約400m付近の谷間に桂の木の老木(大木)が生息している。 2019年06月09日撮影-1 2019年06月09日撮影-2 2019年06月09日撮影-3 2019年06月09日撮影-4 傍には秋芳町教育委員会の説明看板が立っていた。 2019年06月09日撮影-5 説明看板が老朽化して読みづらいので序文をそのまま書き込んでおく。 (町指定天然記念物) 名称 桂木山のカツラ 所在地 秋芳町大字嘉万広山 指定年月日 昭和五十六年七月八日 管理者 秋芳町 日峰の集落より桂木山 山頂の中腹海抜約四百五十メートルのところにあります。 (実際は海抜400m付近だと思う。) 本樹は目通り周囲は八メートル以上あり、樹高は約三十六メートルあります。(以下省力) [後記] 平成20年(2008年)3月に秋芳町は市町合併により美祢市となったが、それ以降(以前からか?)は不遇にも全く整備されていないような状態であろう。時折登山者や山歩き人が通る程度で看板は老朽劣化が激しい。それにもかかわらず「カツラ」の老木はひっそりと生きている。

時刻表の「さくいん地図」の変遷

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旅行計画を立てる時の必需品は?というと・・・ 現代はスマートフォンの「路線情報アプリ」や「地図アプリ」なのだろう。これはとっても便利で使い勝手も良い。しかしながら私はどうしても「JR時刻表」の冊子媒体が手元にないと落ち着かない。「厚み」と「手触り感」、そして印刷媒体の「匂い」がないと不安だ。(スマホもしっかり使っている。) そのJR時刻表の「 さくいん地図 」の細かな変化に一喜一憂することがある。 (意味合いが少し違うように思うが語彙力が乏しいため妥当な熟語が思いつかない。) 一つ知って喜び、また一つ知って寂しくなることがよくある。 まずは現在の山口県近辺エリアの「さくいん地図」。 2020年3月のJR時刻表より  8年前の同じエリアと比べてみる。 2012年10月のJR時刻表より まず最初に気が付いたことはいつの間にか「 高速バス線 」の路線図が無くなっていることだ。この記載を無くしたのは何かわけがあるのだろう。いつからだろうか? 萩市近辺の世界遺産登録(明治日本の産業革命遺産の一つ)が増えている。 そしてひっそりと消し去られている JRバス線 や 地方バス線 、そして 三江線 のように全く無くなった部分(鉄道の地方交通線)もある。 いつの間にか消え去って行った鉄路やバス路が地図からも消え去るとため息が出る。自分の生活エリアでなくても寂しく感じるのはそこで出会った人々や 風景が頭の中に残っている からであろう。 今現在は「新型コロナウイルス」のせい(緊急事態!)で旅行は行けない。せめて時刻表を眺めてその気になっているバーチャルトリップを味わっている。

東方の道

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東方と書いて「とうぼう」と読むのだが自治会としては「上東方」と「下東方」に分かれている。 地形的には両者ともに156mの東方の山(山の名前がわからない)を挟んだ谷に沿った集落で、東側を上東方、西側を下東方という。 その両集落を繋ぐ道が三隅川に沿った市道(堤防道路?)で、四季折々の風景が楽しめる。 2020年04月15日撮影-1 遠くに権現山と天井山の稜線が見渡せて、その向こうに小さく桂木山が頭をのぞかせる。オレンジ色のガードレールは三隅川によく似合う。 2020年04月15日撮影-2 たまたま撮れたミサゴのダイビング。背景は権現山。 連写で撮れればよいのだがハンディカメラではそうはいかない。 2020年04月15日撮影-3 下東方の集会所辺りの風景。昨年の秋はコスモスが見られなかったが今年はどうだろうか? この道はウォーキングをされている方をよく見かける。交通量が少ないせいでもあるがやはり一番の理由は景色の良いところだと思う。

三隅川の土手を歩く

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二条窪川が三隅川に合流する辺りから三隅川の土手をゆっくりと歩いてみた。 2020年04月15日撮影-1  山中の荒神様の社に毎日お参りできないので(小波橋袂の屹立した山の中腹に在る)家の近くに灯篭石?を建ててお参りされていると聞いた。 2020年04月15日撮影-2 2020年04月15日撮影-3 2020年04月15日撮影-4  晴れた日はとても気分よく歩ける。 すぐ近くでキジの鳴き声が何度も響く。 2020年04月15日撮影-5 2020年04月15日撮影-6 2020年04月15日撮影-7  ミツバチの姿は見えなかったが使われているのだろうか? 2020年04月15日撮影-8 東の権現山がどっしりと聳えている。そして三隅川も汽水域に近づくとゆっくりと流れる。鴨の姿も疎らになってきた。 春の川は終日(ひねもす)のたりのたりとしている。

長崎瀬から眺める市内の山

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山陰本線黄波戸駅のすぐ下に長崎(「ながさこ」と読む)という地名(字名?)がある。深川湾に沿って浸食された長崎瀬(ながさこせ)はビューポイントとしても堪能できるエリアだ。 そしてここから眺望する市内の山々の稜線がとってもきれいだ。 2020年04月14日撮影-1 先日も書き込んだが、正面の青海島は黄波戸からの姿が一番美しいと思う。 特に高山の姿は絶品だと思う。 2020年04月14日撮影-2 黄波戸観光ホテルだった建物を正面に眺める。 2020年04月14日撮影-3 黄波戸漁港の真上に見えるのが矢ヶ浦山(矢ヶ浦岳)だ。 2020年04月14日撮影-4 鉄割山の稜線が三隅から観たものと全く違って見える。 2020年04月14日撮影-5 鉄割山もこの方角から観た稜線が一等賞かもしれない。 2020年04月14日撮影-6 草添山も長門市内や板持から観た形と全く違って見える。 そして醤油工場の煙突とのマッチングがとても良い。 このように長崎瀬から眺める山々の稜線はかなり美しい。

ウグイスなのか?

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先日また地面(バラス)を歩いている鳥を見つけた。 2020年04月11日撮影-1 2020年04月11日撮影-2 2020年04月11日撮影-3 見た目は「ウグイス」なのだが地面を歩いているという違和感が邪魔をして違う種類の鳥なのか?とも思ってしまった。 よく似た鳥に「ムシクイ」という種類がいるがはっきりと区別がつかない。 エサを探している様子は伺えなかったが巣造りの材料でも探しているのであろうか? 望遠レンズできれいに撮影できていれば良いのだがそんな余裕もなしに飛び去って行った。 そのすぐ後にヒヨドリが同じく舞い降りてきた。 2020年04月11日撮影-4 何も咥えた様子が無いがいったい何が目的で砂利の地面に降りてくるのだろうか?

上ゲから観る鉄割山

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「鉄割山」という山は観る位置によって全く形が違う。深川から、仙崎から、浅田から、とすべて違う山に見えてしまう。 地理院地形図より そこで今回は上ゲから観る鉄割山を残す。 2019年07月27日撮影-1 2019年07月27日撮影-2 実はこの鉄割山(「かねわりやま」又は「てつわりさん」)は三隅の人は浅田の山と言い、深川の人は大河内の山?と言うのか場所によって所属?が違うようだ。 私は上ゲの山と思っていたが浅田在住の方に「それは違う!」と言われたことがある。 結局何処にもその山の歴史的な背景があるようで、所属争いが起こるほど良い山なのだ。これが「名山」になるための最低条件なのかもしれない。 昨年の「令和」になった頃に高齢の方から「鉄割山は沢江の奥の山」と言われたことがある。ここにも何かの歴史がありそうな気配がした。 図書館に行って「防長風土注進案」や「防長山野へのいざない」等の資料で調査したいがコロナの影響で閉館中?だろう。こんな時に限って読みたくなる。 最近片目の視力が特に低下してきて活字が読みづらくなってきた。活字に飢えていることがかえってつらい。

新宮山城と上の山城

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「城」といっても皆がイメージする城と違って戦国時代以前の「 山城 」のこと。 旧三隅町には中世の城館遺跡が2ヶ所残っている。 地理院地形図より 上の地理院地形図に示した2ヶ所で・・・ 豊原の山城跡・・・別称:新宮山城 城の台遺跡・・・別称:上ノ山城 (参考文献:山口県中世城館遺跡総合調査報告書) 2020年04月10日撮影-1 2020年04月10日撮影-2 ところが・・・ 「豊原のあゆみ(歴史と伝承)」という資料を読んでみると 「上の山城」・・・二条窪の東側に通称城山という標高二二二米(現221m)の山があり、近隣に城跡に関係すると思われる地名が残っている、と記述がある。 これが麓地区にある「城の台遺跡の別名」と全く同名なのだが両者ともに資料が具体的で真実味を帯びている。別物か? ということになると旧三隅町には3カ所の城館遺跡が残っていることになる。 真実は別としても中世の遺跡がこんなに近くに存在するということだけでも感慨深い。 豊原から広田に向かう古道で古賀地川と大迫川にはさまれた地区を「土居の内」と呼んでいる。「土居の内」とは中世の豪族の屋敷内のことらしい。その続きの中村地区の丘陵地には同じ意味の「おどえ」という場所がある。「お土居」が訛ったものであろう。 2020年04月10日撮影-3 町史によると「おどえ」には室町時代の大内氏の家臣である阿川氏の屋敷跡ではないか?と記述されているが豊原の土居の内は全く不明であるとのこと。 さらに新宮山の傍には「堂の内」という地名もあるようだ。(現在の堂の内墓地の辺りか?)字名で調べたが正確な場所は分からなかった。