新宮山城と上の山城

「城」といっても皆がイメージする城と違って戦国時代以前の「山城」のこと。
旧三隅町には中世の城館遺跡が2ヶ所残っている。

地理院地形図より
上の地理院地形図に示した2ヶ所で・・・

  • 豊原の山城跡・・・別称:新宮山城
  • 城の台遺跡・・・別称:上ノ山城

(参考文献:山口県中世城館遺跡総合調査報告書)

2020年04月10日撮影-1

2020年04月10日撮影-2
ところが・・・
「豊原のあゆみ(歴史と伝承)」という資料を読んでみると

「上の山城」・・・二条窪の東側に通称城山という標高二二二米(現221m)の山があり、近隣に城跡に関係すると思われる地名が残っている、と記述がある。

これが麓地区にある「城の台遺跡の別名」と全く同名なのだが両者ともに資料が具体的で真実味を帯びている。別物か?
ということになると旧三隅町には3カ所の城館遺跡が残っていることになる。

真実は別としても中世の遺跡がこんなに近くに存在するということだけでも感慨深い。

豊原から広田に向かう古道で古賀地川と大迫川にはさまれた地区を「土居の内」と呼んでいる。「土居の内」とは中世の豪族の屋敷内のことらしい。その続きの中村地区の丘陵地には同じ意味の「おどえ」という場所がある。「お土居」が訛ったものであろう。

2020年04月10日撮影-3

町史によると「おどえ」には室町時代の大内氏の家臣である阿川氏の屋敷跡ではないか?と記述されているが豊原の土居の内は全く不明であるとのこと。
さらに新宮山の傍には「堂の内」という地名もあるようだ。(現在の堂の内墓地の辺りか?)字名で調べたが正確な場所は分からなかった。

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