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7月, 2018の投稿を表示しています

萩駅のベンチ

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最近、「公園のベンチ」という言葉は時々耳にするが「駅のベンチ」という言葉をあまり聞かないような気がする。駅を利用する人々が少なくなったせいでもあろうが言い訳程度の椅子しかない駅が増えて来た。 本来「ベンチ」とは背もたれの無い長椅子のことらしいが、私がイメージする「 駅のベンチ 」が萩駅にある。(他所にもあるかもしれないが萩駅しか思いつかない。) 2018年07月30日撮影-1 2018年07月30日撮影-2  そのベンチこそ下の写真のものだ。 2018年07月30日撮影-3  「萩駅舎」という「萩市自然と歴史の展示館」の中にあるベンチだが、木部の色をこげ茶色にするとイメージしているものに近くなる。 2018年07月30日撮影-4 2018年07月30日撮影-5 2018年07月30日撮影-6 こちらは 隣の 萩駅の中にあるベンチ。置き場所は良くない(とっても不自然な位置だと思う)がこのベンチを置いてあることが良い。 2018年07月30日撮影-7 2018年07月30日撮影-8 地方ローカル線は駅自体が簡素化又は縮小化されてしまってみすぼらしい風景になってきている。駅舎を地方自治体などに管理委託してコミュニティセンターなどにして本来の駅を片隅に追いやっている。そのようにしてしまったのは我々なのだが、今の若い世代には申し訳なく思うことがよくある。 萩駅は大正14年(1925年)に開業し、その当時から洋館風の建屋で素晴らしい風景を持っている駅なのだ。 ちなみに長門三隅駅は大正13年に開業しているので萩駅より半年ぐらい先輩になる。そんな歴史のあるわが町の駅は今はとっても寂しいローカル線駅になってしまった。萩・長門管内の山陰線では長門市(正明市)駅に次いで古い駅なのだ。

ある風景の比較

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過去に偶々撮影していた風景と同じ場所を撮影して、その移り変わりを見てみた。 最初は土手のメインストリート。 2009年03月24日撮影 2018年07月28日撮影-1 看板が変わったことで時代の移り変わりを感じられる。古い看板を見ると私は「写ルンです!」を思い出す。 山銀の看板の向こう側にあった赤い建屋が印象深い。 道路のセンターラインも変わっている。 よく見るといつの間にか無くなっているものも見つかる。 次は三隅市(みすみいち)バス停付近。つまり今の萩・三隅道路の三隅インターチェンジ付近の風景。 2010年03月22日撮影 2018年07月28日撮影-2 8年間でこれほど変わるとは思わなかった場所だ。 電柱の位置まで変わっていることにびっくり。 「るぱん茶屋」はその前は確か「お食事大将」だったと思う。そしてこの辺りに「焼肉」と描かれた大きな看板があったように思う。 「 三隅町特産品直売所 」の写真は現役の頃のものを残しておきたかった。 今後も少しづつ載せて行こうと思う。

アトラス長門の記憶

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現在「フジ長門店」で名が通っている通称 フジ だが1990年(平成2年)に「アトラス長門」という名前でオープンした大型商業施設だ。 28年も前のことだ。 萩には今も「アトラス萩」があるが、長門市の場合は1996年にその営業権をマルキューグループからFujiに移行した。 2013年06月13日撮影 5年前に撮影したフジ長門店の正面の写真。 固いことはここまでで、何を書き残したいかというとアトラス長門の出来た頃から?正面右の入り口にあった「 長門書店 」という本屋さんを書き残しておきたかったのだ。 2007年10月27日撮影-1 2007年10月27日撮影-2 上の2枚の写真はやめられた後のものだが、私は当時「長門書店」さんをとっても贔屓にしていて、とっても気さくなご夫婦が狭い店舗(失礼!)の片隅にいらっしゃって、定期購読していた本や注文した本を取りに伺うとまちがいなくいつもの笑顔で迎えていただいた。 辞められると聞いた時のショックは大きいものだった。 そしていつの間にか10年以上の時が経過した。 名前も知らないご夫婦だがお元気だろうか?ここを通るたびに思い出す大切な記憶だ。

軽食・喫茶「美奈里」のこと

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三隅の上中小野にて「 美奈里 (みなり)」という喫茶店をされていた方にとっても懐かしい写真を見せていただいた。 ぜひともここに残しておきたくなりスキャンさせていただいた。 1985年04月04日撮影 1980年代だったと思うが何度か訪れた記憶があるのだが店内の様子をすっかり忘れてしまった。 2015年10月11日撮影 その後年月が経過してそのお店から見た西側の風景がとても印象的であったので同じくスキャンした写真を2枚ほどここに残すことにした。 上の写真の建屋左側の風景が下の写真だ。 撮影年月不明 2013年07月13日撮影 記憶にある方もいらっしゃると思うが、改めて写真を見ると嬉しくなる。ちょっと前のことながら忘れかけていた風景だ。 コスモス畑やひまわり畑が国道を通るドライバーを和ませた。

湯免入口から見える山の輪郭

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今まで何度も通ってきた湯免入口のゲートだが、風景として観ると昭和の時代のシンプルなゲートの方が良かったように思う。 2018年07月22日撮影-1 昭和40年代? ところでこの湯免入口から大水峠を含む町の境界線(尾根ライン)がきれいに見える。 ゲートをくぐって正面に権現山から天井山にかけての山の輪郭がはっきりする。 2018年07月22日撮影-2 2018年07月22日撮影-3 同じ山の輪郭を中村地区から眺めると手前に周田川(すだごう)山が構えているので大水峠辺りが隠れてしまう。 以前にも書いたが、この「周田川(すだごう)」とは山というより高台のような地形で、地元の方々の墓地となっている。湯免や土手・中村、市地区に住まわれている方がお墓参りに行くときは「すだごうに行く」と言われる方がいらっしゃる。 2018年07月01日撮影 上の写真の拡大 下の写真のお地蔵さまは周田川山入り口にある。ここでお参りしてお墓に向かう。 2006年10月12日撮影 そろそろお墓の掃除が気になる時期となってきた。暑い夏はまだまだ続く。

旧長門市街を歩く~その5

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今回は6年前の夏に 長門市駅南歩道橋 を歩いてみた時のこと。 「昭和60年3月」と記銘されているのでこの歩道橋の完成年月だろうと思う。 (この頃私は広島市内に住んでいたため、私にとってはいつの間にか出来ていたという施設だ。) 2012年07月19日撮影-1 2012年07月19日撮影-2 2012年07月19日撮影-3  そういえば最近はこの色(黄色)のディーゼルを見なくなった。 朱色に塗り替えたのだろうか? 2012年07月19日撮影-4  歩道橋から観た運転支所の風景。 2012年07月19日撮影-5 背景の草添山が荘厳な色で「デパートまるみ」を浮き上がらせている。 一目で長門市の風景とわかってしまう。 2012年07月19日撮影-6  歩道橋の通路の窓ガラスが何枚か割れていたため撮影できたものがあるのだが、なぜ割れているのか理解に苦しむ。 2012年07月19日撮影-7 乗務員宿泊施設。以前にも書いたがこの辺りは物資部や長門保線区の倉庫などがあった場所で今は有料駐車場になっている。 この駅南歩道橋が完成した昭和60年(1985年)はNTTとJTが出来た年で特にNTTは今は「NTT東日本」と「NTT西日本」に分かれているが当時はNTTとして一社でスタートしていた。 またこの年にまだ国鉄だった今のJRは本州と北海道を世界最長の海底トンネルでつなげた。この時は貫通しただけで実際の営業運転はJRになってからだったと記憶している。そして今は新幹線が走っているのだ。 三隅においては木村庄町政の頃だ。

土手・中村の道

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旧三隅町の中心地であった土手から中村へ向かう道の風景を辿ってみた。 略図  上の地図のオレンジ色のラインの旧道だ。 2018年07月22日撮影-1 「土手」という字名(あざめい)は三隅川の堤防沿いに沿った地域であることからつけられた名前で、三隅村だった時代以前より在った道だと思われる。 「中村」という字名も他所(例えば日置町)でも聞いたことがあるが発音が違ったりするのが面白い。 2018年07月22日撮影-2 2018年07月22日撮影-3 2018年07月22日撮影-4 昔の面影?が感じられる一角だが赤レンガブロックが何の跡地かが分からなかった。普通の民家では無いように思えた。土地自体が高台になっていて調べると面白いことが出てきそうな気がする。 そして電柱番号札に驚いた。たいてい字名や地名が書かれているがたぶんこれはネームバリューによる個人名からつけられたものと思われる。とっても粋だ。 香月泰男画伯か、香月春齢(医師であり村長でもあった香月画伯のおじいさん)か、それとも香月周吉(医師であり春齢さんの養子?)か。 2018年07月22日撮影-5 2018年07月22日撮影-6 そしてこの道は「熊野権現社」へと続く。 この辺りの地形を調べると「おどえ」につながり果ては「三隅城」にたどり着くのかもしれない。 いずれにしろ味わい深い道であり、三隅の歴史の一角を担っている場所だ。

街道松の話し~その後

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先日、長門市教育委員会で縁あって写真の整理のお手伝いをさせていただいているときにちょっと気になる写真を見つけた。 S38年山口国体? 上の写真はランナーの服装から推測すると 昭和38年(1963年)に開催された山口国体 の国体旗搬送の風景と思われる。 写真の場所は三隅上の兎渡谷(とどろく)入り口の少し下だと思われる。道路の曲がりと三隅川の位置関係から間違いないと思う。 この写真を見てすぐに気になりだしたのが「三隅の街道松」のことだ。 比較のため最近の写真をアップしておく。 Googleマップより 最初の写真で道路わきの擁壁の向こうに見事な松か杉?が写っている。 たぶんこれも街道松(杉)であると思うが、自分には国体よりもそちらが気になってしょうがない。 今年の4月頃にここで「三隅町の最後の街道松が無くなった」記事を取り上げたのだが、場所が違えどすぐ近くの風景なのだ。 以前アップした三隅広報の記事と拡大写真をもう一度貼り付けておく。 S50年4月の記事 記事の写真の拡大 記事の写真ははっきりと分からないが今回見つけた写真は明らかに国道が舗装されていない。そして左下に写っている土管などの残骸は国体かその翌年の東京オリンピックに向けての道路整備の残骸かもしれない。 1枚の写真から色々なことを想像し、当時の時代背景を想いその歴史を感じる。

蜜柑の木の下で

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毎年のことだが我が家のミカンの木でクマゼミが羽化をする。 地面を見るといくつかの丸い穴が空いているのだが、陽が落ちてから小さなライトを照らして観察してみた。 地面を這っているさなぎは見つからなかったが、すでに羽化したものと、今から羽化しようとして木をよじ登っているものが見つかった。 2018年07月19日撮影-1 2018年07月19日撮影-2 2018年07月19日撮影-3 2018年07月19日撮影-4 今年は梅雨明けが早かったため、子供たちの夏休みが始まる前にこんな観察風景が撮れてしまったが、私たちが子供だった頃は自分の写真機もないので絵日記を画くしかなかった。 それも面倒な時は「昆虫採集セット」だか「昆虫標本セット」とかいう今では絶滅?したであろう怪しげなセットを購入してお菓子の箱に標本として現物を保存していた。 (おもちゃ屋さんや駄菓子屋さんに置いていた) 詳しくは書かないが「注射器」、「青い液と赤い液」、「虫眼鏡」、「ピンセット」が入っているセットで、今では絶対に販売できないであろう品物だ。 過去のおおらか?な時代のことだ。

三隅の特産品

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「特産品」と「名産品」に区別があるようだ。 特産品とは、「ある特定の国や地域で産出されたもの」のこと。名産品とは、「その地域の産品であることが全国的にもよく知られているもの」のことらしい。 ということでちょっとだけ昔の三隅町の「特産品」について書き残す。 三隅町時代の特産品 上の写真の一部は「名産品」と言っても良いような商品も含まれるが覚えているだけで紹介すると「 湯免もなか 」、「 東方の青のり 」、「 千銀蒲鉾・千銀ちくわ 」、「 美須美とよのかイチゴ 」、「 柿酢香香(こうこう)・柿酢 」、「 みすみ?メロン 」などがあった。ナスの名前が分からない。(たまげナスではないと思う。) というのが昭和63年(1988年)にKRYで放送された「勝津正男のナマナマ55分」という番組のビデオを見てこれらの特産品を思い出したのだが、今も現役で続いているものがあることが嬉しくなった。 名前は忘れたが、下の写真のような三隅産のスイカもかなり出荷していた記憶がある。 スイカの出荷 その前には長門三隅駅から貨物列車にて「 夏柑 」を出荷していた時代もあり、さらに昔(昭和30年代)には小島にて「 真珠の養殖 」もされており養殖組合もあったようだ。その後「 牡蠣の養殖 」が盛んに行われていた時代もある。 S34年三隅町広報より 以前にも書き残したが、小学生の頃だったと思うが沢江から小島湾(仙崎湾)を眺めて、沢山の竹が海面に刺さっており、その周りには複数の竹筏が浮いている光景をかすかに覚えている。 夕日がそれらを照らしたときの美しい風景が自分の記憶からかすんでいきそうだ。 じいちゃんのスクーターの後ろに乗せられて見たことだけをはっきりと覚えている。 1本のビデオから余計なことまで思い出してしまった。