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4月, 2023の投稿を表示しています

仙崎湾の風景~2023春

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 あっという間に4月が終わろうとしている。経験値を重ねるごとに時の過ぎ去る速さが増すように感じられる。 暖かいというより暑く感じた昨日(4/27)、白潟辺りから仙崎湾の風景を撮ってみた。 「ながと丸」とネーミングされた石灰石専用船を初めて見た。調べてみると昨年11月に竣工した新船のようで9,520トン、全長149.9mのタンカーだ。全容姿は見れなかったが色合いが如何にもおニューで素敵。 正面の通 (かよい) 方面は霞んでいた。 野波瀬側から見ると2つの島に見える大島は金華山(115m)がよくわかる。 三隅の小島山は見えるが久原山は見えない?。 天井山系の権現山は雄大に聳えて、右端には桂木山も覗く。 センザキッチンは南東から見ると違った建屋に見える。 そういえば入り口に立っていた親子鯨のモニュメントは撤去されてしまった。 海上保安庁の「おおみ」はいつ見てもきれいでかっこいい。 仙崎湾は仙崎、青海島、そして三隅で囲まれた地形であることがよくわかる。

美祢別府ルートで花尾山へ

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 昨年の春に山頂の吉野神社に鳥居が新たに建立された花尾山。古くは在ったらしいのだが復活したわけだ。その時に合わせて美祢別府ルートの登山道が整備されたと聞いた記憶があったので行ってみた。 2023年4月9日撮影 多々良池は明鏡のごとく穏やかで目を見張るほど美しかった。 2023年4月9日撮影 ミツマタの花は満開を過ぎてはいたがこれもまた良し。 2023年4月9日撮影 2023年4月9日撮影 従来の直登コースが「がんばりコース」となっているが登山口がはっきりしない。整備されたのは「ゆるやかコース」ということらしい。何ヶ所かで新旧のコースが交わっているが、旧コースは新コースの勢いで消滅してしまうのではないかと思わせる状況だ。 2023年4月9日撮影 2023年4月9日撮影 2023年4月9日撮影 尾根から眺望する花尾山。あそこまで歩いて行けると思うとワクワクする。 2023年4月9日撮影 ズームしてみると新しい鳥居の上半分が見えた。 この美祢別府ルートの新コースは山頂手前まで鳥居を重機(ブルドーザー?)で運ぶため削ってできた跡を登山道にした様子が伺えた。所々赤土がむき出しになっていたのが心配になってきたが、将来は新コース(ゆるやかコース)だけが残っていくかもしれない。けっしてゆるやかではないのだが。 最後に昨年に長門市市ノ尾の本谷コースから上がった時の画像を添える。 2022年3月8日撮影 2022年4月3日撮影 2022年4月3日撮影

長門ステーションホテルのこと

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 長門市駅改札を出て30秒程度で着くビジネスホテル。一見、ホテルには見えないが昭和の時代から続く懐かしさも加わった建屋となってきた。 2023年3月7日撮影 駅前ロータリーに面したこのホテル、入り口横の店舗などが時代とともに変わってきてはいるが建屋全体的にはずっと同じように記憶している。 以下は10年前に撮影したもの。 2013年6月23日撮影 2013年6月23日撮影 2013年6月23日撮影 約30年近く前にはこの店舗の奥(裏側)にて物資部が入っていた時代もあったが今は何になっているのであろうか。 以前にアップしたマッチの写真が残っていたので再度掲載。マッチ箱を見ると色々なことが思い出される。 このホテルの玄関前は写真ではわかりづらいがバス停になっていてサンデンバス、ブルーラインバスそして防長バスが利用できる。個人的な思い出だが昭和40年代に下関にいる叔母一家の送り迎えにこのバス停に何度か来ている。当時から長門市駅前-下関駅間の快速山電バスが走っていて三隅町では見れない柄のバスが見れた場所だった。当時は快速とか急行とか特急という言葉に特別な思いを寄せていた時代だった。 サンデン=山電=山陽電気軌道で、下関市内で路面電車を運行していた会社のこと。

カンムリカイツブリが居た!

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 上東方の三隅川下流域にカンムリカイツブリが居た。 実は写真に撮って調べて初めて知ったわけだがびっくりした。珍しい野鳥ではないらしいのだが三隅川では自分は初めて見る。カイツブリなら判ったかもしれないが「カンムリ」が付く奴は初めて見た。 2023年4月17日撮影 2023年4月17日撮影 悠々と一羽で浮いていたが、先住のミサゴの猟場を荒らしているわけだ。 「三隅の歴史と民俗」の鳥類の欄にも「カンムリカイツブリ」は見当たらない。 (「カイツブリ」は記あり) 決して大群で来てほしくないのだが珍客としてここに残しておこう。

三隅の祠とお地蔵様~大竹

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 周田川(すだごー)山の南に湯免と大竹を結ぶ小路がある。そこから竹林に向けて林道に入るとすぐに小さな社と少し離れて祠がある。 小社と付したが明神社なのかどうか今のところ不明。やはり地元自治会の長老にお聞きするしかないようだ。判明したら修正する。 三隅の歴史と民俗には「明神祠」(大竹)と見当たるのでこちらが明神祠だと思われる。十二月初旬に明神祭が施されるとある。どちらもきれいに管理されている様子が伺える。 下の写真は周田川山の南側の竹林の様子。 こちらもいかにも古墳が埋まっているような小高い丘になっている。 大竹の歴史を紐解くと何か出てきそうな予感がする。 三隅町老人クラブの地蔵尊の配置略図には「いぼ地蔵」と記されている。年代等が不明でこちらも地元への聞き取り調査が必要だ。 この地では昔から良質な竹が採れたがため「大竹」と地名が付いたと聞く。そういえば稲作や林業にかかわる小名が見当たる地だ。 古人たちは生活エリアの地形をよく理解していると感心する。

いこいの森の夫婦岩のこと

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 いこいの森の最高峰「 夫婦岩 」には俗にいう夫婦岩らしき岩はない。 なぜこの最高点(211.22m)を夫婦岩と呼ぶのか? 三等三角点(三角点名:夫婦岩)が埋設されたこの地から南側を臨むと天井山系の山々が連亘する。そしてその手前には正楽寺集落の背となる足河内山(398.9m)が聳える。その北側には通称城山と呼ばれる221mの山がある。さらにその北側は中村権現山へと続く。 地理院地形図より 下の写真はいこいの森の一部である「香りの森」から南側に向いた風景。 そして古地図で見つかる「女夫岩山」。 下記は「三隅町の歴史と民俗」より抜粋 女夫岩:  城山の北側 に、格好のよい岩が二つ並んでいる。そのさまあたかも夫婦の如くで、人々はいつからか「 女夫岩 」といいはじめていた。 下記は「豊原のあゆみ」より抜粋 二条窪の東側に通称 城山という標高二二二米の山 がある。山頂は新宮山ほど広くはないが、二段の平地になっている。(中略)山頂より東に下れば中村に出る位置に在って、山頂に立てば、三隅、青海島が一眺できる。 はっきりとした場所は断定できないが城山の北側の「女夫岩」が現在のいこいの森の最高点から南側に見えたのでそこを「女夫岩が見える場所」として「夫婦岩」という地名になったということらしい。 (読んだ文献?は忘れてしまった。思い出したら修正することにする。)

春に咲くリンドウ

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 リンドウといえば秋、としか知らなかった山野草に疎い自分だが春に咲くリンドウもあることを数年前に知った。山野草図鑑(朝日新聞出版)によると春のリンドウには「ハルリンドウ」、「フデリンドウ」、「コケリンドウ」があるようで今回撮影したのはたぶん「フデリンドウ」だ。 撮影場所は久原山トレックの向山ルートといこいの森ルート。 朝のフデリンドウ-1 朝のフデリンドウ-2 上の2枚の写真は朝の8時半頃に撮影したもので、まだ開花していない時間帯のもの。時間とともになのか、気温の上昇とともになのかわからないがお昼前後には開花する様子。夜になるとまたしぼむようだ。 お昼前のフデリンドウ-1 お昼前のフデリンドウ-2 お昼過ぎのフデリンドウ-3 お昼過ぎのフデリンドウ-4 登山道などで見かけると、とっても控えめにそして可憐に咲いている。 ついでに久原山から見える風景も残しておく。

東方の青海苔のこと

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 「東方青のり」としてブランド化されていた三隅川河口の海苔の収穫風景もほとんど見ることもなくなった。 三隅町の特産品「東方青のり」 海水温の上昇で海苔の胞子が上がってこなくなったとも聞いたが収獲者の高齢化も加担して「獲れなくなった」と「獲らなくなった」が相乗したと思われる。 季節外れとなってしまったがこの風景は残しておきたい。 2007年1月5日撮影 背景に写った大隅ゴルフガーデンのネット柵も撤去され、それこそ「昔」の一風景写真となった。 2007年1月5日撮影 2007年1月5日撮影 写真では想像もつかないが寒風吹き晒す中での海苔の収獲は重労働かつ辛い労働であろうと思う。 今となってはこの風景は見ることが無くなってしまったが風物詩としてはやはり見たいし残っていってほしい。そして「東方青のり」を食べたい。 乾燥させてもみこんだ香ばしい海苔を醤油をかけてあったかいご飯にふりかける、こんな贅沢な海苔かけご飯が食べたい。