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3月, 2021の投稿を表示しています

三ノ瀬の春

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 三隅の滝坂と一ノ瀬の間に位置する三ノ瀬の 三隅川沿いのソメイヨシノ が満開になった。昔はこのような風景の記憶が無いのだが気が付かなかっただけなのか?わからない。 2021年03月25日撮影 2021年03月25日撮影 2021年03月25日撮影 この三ノ瀬の上には 黄幡社 が鎮座されているのだが、さらにその山奥?には三隅御厨(みすみみくりや)が在ったのではないか、とする文献(調査書?)もある。未だに場所は不明だ。 郷土文化ながと 山口県の地名 平凡社の「山口県の地名」には・・・応安元年(一三六八年)以前の編とされる「神鳳鈔」に「長門国 三隅御厨」とある。防長二国を通じての唯一の伊勢神宮御料地であった。・・・と記述がされている。 写真からは見えてはいないがこの奥には 大谷山(582.84m) が聳えている。その頂上の 三等三角点名はなんと「御所(ごせ)」 と命名されている。そして神畠、神宮のような小名が残っており地名からしてもこの辺りではないか、と推測されるのも不思議ではない。 実は令和元年(2019年)に素人調査に滝坂黄幡社から大谷山に向けて歩いては見たがそれらしき場所は発見できず、唯一分かったことは地理院の地形図の徒歩道や軽車道が現状とはかなり違っていたことだった。植林や間伐のためか、脇山道がかなり加わっており迷ってしまった。 約800年の時を経てきた地形を素人が偏見に満ちた思いで調査するのも楽しいものだった。機会があればもう一度歩いてみたいと思っている。

久原山の春

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 現在建設計画が進められている「天井山風力発電事業」の最東端である権現山から天井山を連亘する稜線を久原山から眺望する。 2021年03月26日撮影 とっても美しい稜線だ。その稜線の中央辺りが大水峠となる。 下に見える集落は左から大竹、そして中村集落だ。風車建設予定の稜線からこんなに近いことを完成してから知るようになるのかもしれない。 2021年03月26日撮影 天井山から秋芳の大谷山の稜線も眺める。 600m級のピークを繋ぐこの稜線に風車が並ぶ画を想像したくないが、天井山の左のピークには既に風速観測用の鉄塔が建設されている。 実はこの日、久原山頂上で今年初のアゲハチョウのツガイを発見した。今日の嵐(低気圧による暴風雨)に耐えられたか心配になってきた。 余計な心配はしなくても春はちゃんとやってきている。

可憐な野草~プロローグ

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 今の季節は草木が芽吹いたり花を咲かせたりで一年を通して最も生命の勢いを感じられる時なのだが、桜が咲いたりチューリップ畑を観て、確かに彩り豊かで印象的で日本の春を感じられる。 若い頃より野鳥や魚などの動物が好きで山歩きや釣りをしてきた。ところがこの歳になってさらに山野草に興味がわいてきた。今まで見向きもしなかった可憐な花や樹木に目が行くようになってしまった。 2021年03月24日撮影 2021年03月24日撮影 興味が無いと絶対に目につかないと思うが山野草のお師匠様に聞くと「スノードロップ」に似た「スノーフレーク」という野草らしい。初めて聞く名前だ。うつむいた花が華奢で可愛いと思う。そしてポツンと咲いている様が可憐だ。 若かりし頃には絶対に見つからなかったであろう。

八代の春

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 秋芳町嘉万八代にて麦畑を散策。 2021年03月23日撮影 麦畑の奥に聳える天井山系の 権現山 。三隅から観るより頂上がはっきりと認識できる。三隅の兎渡谷から霊兎が駆け上がったとされる信仰の山だ。 2021年03月23日撮影 Wheat Fields For Ever! 2021年03月23日撮影 2021年03月23日撮影 南を臨むと 花尾山 が見える。ぽかぽか日和に春霞がかかったような素敵な眺めだ。 八代地区の田園風景は一年中整備が行き届いているのでいつ訪れても気持ちが良い。今年は蛍まつりがあるかな?

二条窪川下流域の整備

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 昨年末から二条窪川の最下流域(豊原)が整備工事が施工された。 勝手に「整備工事」と書いたが河川が整備され、きれいになっていくのは本当に嬉しい。 2021年03月22日撮影 見違えるようにきれいになった。 2021年03月22日撮影 本流の三隅川も土砂や雑木を取り除いてほしいが、この辺りの前回の整備工事は10年程度前だったように思う。 2020年12月28日撮影 偶々昨年の暮に整備工事着手時の状態を撮影していたので比較のため残しておく。 ぼちぼち桜が満開となりつつあるが、きれいになった川を眺めるのもワルくない。

コジュケイが落ちてきた

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 昨日の朝、自宅の外壁に「バン!」と何かがぶつかった音がしてすぐに外に出てみた。 音がした外壁の下にこんな鳥が落ちていて、近づくとブロック塀にヨタヨタと歩いて行って身を隠そうとした。 すぐに革手袋を用意して触れることを確認し、すくい抱えてやると脅えているのか目を閉じてしまった。 脳震盪を起していた?のか逃げようとしない。 カラスに追われて逃げるうちに家の外壁に激突したのかもしれないと判断し、カラスがいなくなったことを確認して山裾に放してやった。そうすると自力で歩いて草むらに入って行った。 キジに似た鳥で コジュケイ(小綬鶏) という。調べてみると外来種でキジ目キジ科の鳥らしい。そういえば時折「ビョッビョビー ビョッビョビー」という鳴き声が裏山から聞こえていた。 野鳥の世界も結構大変なようだ。

能満寺山を巡る

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 長門市俵山の能満寺の裏山となる「能満寺山」は八十八箇所のお地蔵様を巡れる順路(登山道)がある。 雨上りの日曜日の午後に順路と逆方向(逆路)を歩いてみた。 (写真の中の矢印は実際に歩いたのと逆方向の順路) 雨上りの能満寺山 実際は上の写真の矢印と逆方向に登って行った。 お遍路さんの気分を味わえる山歩きで、よく整備されているため案内板や目印などほとんどないが迷うことなく歩ける山だ。失礼だが八十八体のお地蔵様が案内の役目を果たしていると思えばよい。 とっても素敵な山だ。

あれから10年

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 東日本大震災が発生して10年が経過した。10年前のことを色々と考えているうちに、毎日のようにふれあいパーク三隅(総合運動公園)に行って軽い運動をしていたことを思い出した。 2011年3月11日のちょうど1週間前の早朝のこと。とっても寒い朝だったことをよく覚えている。 2011年03月04日撮影 2011年03月04日撮影 2011年03月04日撮影 2011年03月04日撮影 アングルは良くないが単純にきれいに撮れている写真を残しておくことにする。 単に10年と言っても振り返れば色々なことがあった訳で、時の経つことの儚さを感じてしまう。人々の生活様式は変わってきて風景も当時の姿を残していない。変わらない物を見つけるとホッとする。歳をとったものだ。

三隅の祠とお地蔵様~一ノ瀬

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 県道28号小郡三隅線から毛無谷へと向かう道を上がろうとするとすぐに 一ノ瀬の六地蔵 様がいらっしゃる。 この立派なお堂は三隅町広報によると昭和59年に地元一ノ瀬長男会の方々による改築がされたもので、36年以上経過したものである。 お地蔵様自体の由来はと言うと、宝暦十年(1760年)に出来た六地蔵様らしい。なんと260年もの間一ノ瀬にいらっしゃるわけだ。 [後記] 旧三隅町の小名を調べると「一ノ瀬」や[三ノ瀬(そうのせ)]は存在するが「二ノ瀬」は記述が無い。さらに上方には「四ツ瀬」という小名も残っている。「瀬」と名付けるからには三隅川が関係しているように思われる。 その土地の「いわれ」や「歴史」が元となって生まれた地名が「小名」であるがゆえに興味深い。

春の風景

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 ♪どこかで春が うまれてる  ♪どこかで水が 流れだす・・・ 2020年04月15日撮影 2020年04月15日撮影 2020年04月15日撮影 2020年04月03日撮影 個人的には今の季節は花粉との戦いであまり好きな季節ではないが、野山を散策するとそれなりに季節の変化を感じられ、気分も良くなる。 以上の写真は昨年のものだが「どこかで春が」の歌詞を思い浮かべて選択したもの。 歌い始めしか思い出せなかった歌詞の中に「山の三月 東風吹いて」とあることを最近あらためて知ったのだが「東風」と聞いてすぐに思いついたのが菅原道真の「こち吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 ?覚え間違いがあるかも。 天神様を想うと大宰府(太宰府)で、大宰府とくれば宝満山! ローカル色の濃い偏ったこのブログをどんな方が眺めてくれているのかわからないがもう少し続けて見ようと思っている。

三隅の祠とお地蔵様~沢江時雨山

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 沢江の西山の南西に「時雨山」と呼ばれる山がある。その中腹に「時雨山観音」と呼ばれる沢江の観音様がいらっしゃる。三隅七観音の一つで、かつては西山の麓にあった観音堂の「奥の院」として祀られたものであるとのこと。 その参道途中にお地蔵様がいらっしゃる。 観音堂は現在、沢江自治会の方々によって管理されている。 観音堂横には水神様の祠もある。 [後記] ここでは山名を「時雨山」としたが、沢江、上ゲ地区の西側に位置するため時雨山を含めて「 西山 」と言うこともあるようだ。深川側からすると東山になるのか?南北に連なる稜線が深川村と三隅村の境界となる。標高は284mだが三角点位置は256.1mで 三角点名は「沢江」 となっている。 因みに観音堂の標高は約170mで、お参りするとちょっとした登山気分を味わえる。

アンディ・ウィリアムスのCMソング

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 聴く人々を幸せな気分にする声の持ち主、古き良き時代を思わせる歌声、というようなイメージのアンディ・ウィリアムス。 自分にとってのベストソングは「ムーン・リバー」なのだが、この曲を聴くと連想的に思い出すのが「味の素のCMソング」だ。 ♪いつでも どこでも 忘れない あの頃♪ と歌いだすCMソングは懐かしさだけで記憶にあるのではなく、アメリカの歌手が日本語で歌うときの発音が頭から離れないのだ。 ♪マイファミリー 味の素♪ という歌詞を ♪マイ ファモリー  アジノモト♪ と聴こえて、続く女性バックコーラス(たぶん日本人のコーラス)が ♪マイ ファミリー  味の素♪ と歌っているのだ。 このようなヘンテコな記憶ばかりが蘇ってくる。 [後記] 「味の素」のようなうま味調味料に「いの一番」や「ハイミー」というのがあったが今でも売ってあるのだろうか? 商品のネーミングがいかにも昭和で愛着がわく。特に「ハイミー」は思い出すと頭から離れない。「ケロリン」や「サラリン」のようなネーミングだ。

三隅の祠とお地蔵様~才ヶ垰

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 地理院地形図には石原峠(いしはらだお)と記されているが、以前にも書き込んだように資料・文献等から判断して「才ヶ垰(さいがだお)」又は「さやか垰」が正当な名前と思われる。 (石原峠は二条窪から坂水へ越える峠) 才ヶ垰辺り その才ヶ垰を真木集落側から奥畑を経て歩いてみると、足河内山から連なる尾根へと辿り着いた位置にお地蔵様がいらっしゃる。 才ヶ垰のお地蔵様 前かけの突起から合掌地蔵のように思われる。目元だけを見ると聡明そうなお顔だ。現在は長門市内在住の高齢の方(元々は奥畑の方?)が年に一度程度お世話されているとのこと。 台座 台座には「三界萬霊」、「安政六年(1859年)己未 十一月吉日」と銘記されている。 過去には生活道として行商や通学に使われていたようで、二条窪の地元の方に話を聞くと確かに「子供の頃、この垰から親戚の方?がやってきていた記憶がある」との事。 ついでに二条窪にある三つの祠のお祭りの話も聞けた。いつかはその祠の一つを尋ねて二条窪から才ヶ垰を越えて奥畑に抜けてみるのも楽しそうだ。

稀少地名のこと

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 地形図や地名辞典等を眺めていて日常生活であまり出会うことのない漢字が目にとまる。 難読で稀少な漢字だが、先日「艸」という地名漢字?を調べていて偶々ネットで見つけたページで、「いつか調べてみよう」と思っていた地名がいくつか解決した。そのページが下の画像だ。 稀少地名漢字リスト-山口県 リンクではなく勝手に画像化して使用させていただいたが、お許しいただきたい。ずっと頭の中にしまっていた疑問がいくつか解決し、有難いページに巡り合えた。 その中にも「読み不明」と記された漢字があり、地名の難しさを改めて感じる。 そして地図読みの楽しさが倍増したように感じている。

カルスト台地を焼く

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 2021年の「 秋吉台の山焼き 」は当初2月21日(日)に予定されていたが残雪の影響で2月27日(土)に順延され、さらに雨の影響で2月28日(日)に延期された。 2月21日(日)は晴れてはいたが確かに中山峠は道路沿いに雪が残っており、平野部で暮らす者には「残雪の影響」という発表が信じられないほどの天候だった。 そして28日(日)に強風が晒す中、山焼きは行われた。 これらの写真は桂木山の頂上から撮影したものだが1枚目は9:30に予定された 火入れの直前 の風景。 2枚目は煙が遠目に確認出来だして約1分後。3枚目はさらに1分後。その後はあまりに多くの煙でカルスト台地が覆われてしまったので撮影をやめて下山した。下山途中に雪がチラつくと思ってよく見たら燃えカスの灰が降ってきていた。案の定登山口に駐車された車には燃えカスが薄っすらと積もっていた。 (帰宅後に自宅の中まで燃えカスが吹きこんでいたのには閉口した。市内に告知放送がされたようだ。) 記録としてこのような遠景の素人写真を残したが、やはり火入れの現場の風景には敵わない。