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権現山を眺望する

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三隅の各地から臨める 権現山(560.4m) は兎渡谷(とどろく)や麓(ふもと)の背となる雄大な名峰だ。 2019年08月11日撮影  三隅中学校体育館の背景として眺望する。 2019年08月11日撮影  萩・三隅道路の三隅インターチェンジ越しに眺望。 頂上のように見えるのは手前のピーク。 2019年08月16日撮影  白潟より仙崎湾越しに眺望。西側から見ると頂上がわかりづらいが、これだけ離れるとはっきりする。 2020年08月29日撮影 秋芳町の中辺(八代地区)から見ると頂上がわかりやすいが、三隅から見た山と全く姿が違っている。登ってみるとけっこうしごかれる嶮しい山だ。 [後記] 古くは兎渡谷の神楽舞を権現山の山頂で舞った、という記録がある。当時は「高尾山」と呼ばれていたらしい。三隅八幡宮の記録によると 権現社が山頂にあったのは文安元年~元亀三年の間(1444年~1572年)である。今は国道を隔てた兎渡谷バス停前の三軒家横より登った山中に三隅八幡宮の末社として兎渡谷権現社(厳島社)がある。ここの社殿も山水が流れる険しいガレ場を登っていくような場所に在るため、兎渡谷の集落に降ろす案が固まってきているようだ。残念だが今の時代、仕方のないことかもしれない。

湊地区から眺める深川湾

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湊地区と言っても昔は海だった埋め立て地辺りだが、今は水産加工工場が立ち並んでいる地域から見た深川湾の風景。 2020年08月11日撮影  湊からは深川湾を隔てて真正面が青海島となる。水平に目線を伸ばすと青海湖や「波の橋立」がさっぱり見えないが、位置は高山と木斛山の間の直下となる。 2020年08月11日撮影 湊漁港の西端の妙見山がテトラポット越しに見える。何年か前にここで甥っ子に「テトラポット」と言うと「消波ブロック」と言い返されたことを思い出した。 2020年08月11日撮影  深川湾の東側は仙崎半島となるがここからではわかりづらい風景だ。 仙崎半島先端から青海大橋が伸びている。 2020年08月11日撮影 2020年08月11日撮影 深川湾の西側には矢ヶ浦山が聳え、先端の今岬が霞んではいるがはっきりと見渡せる。 朝間の撮影だが雲が多くて夏の雰囲気が乏しい写真になってしまった。 夏の海はやはり青空の元が一番であろう。わざわざ撮影に行っているわけではないのでこれでお許しいただきたい。

夏に出会った生き物たち

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今年の夏も猛暑日が続き、新型コロナウイルス蔓延でなくても外出したくないほど日照りが続いた。 そんな中でも振り返るとたくさんの生き物たちに出会っていた。 一寸見しかできなかったギンヤンマやカワセミなどは撮影することが出来なかったが、何とかシャッターを押せたものだけでも残しておく。 2020年07月19日撮影 足を冷やしている?ハト。水路へ降りてきてジッとしていた。 エサを捕食している様子もないので体を冷やしているとしか思えなかった。 2020年07月24日撮影 大きな声で「キョン!」と鳴いて森へ去って行ったニホンジカ。山の中の野生のシカはこれ以上近づくと逃げてしまう。 2020年07月25日撮影 ヒグラシ(カナカナ)のオスは近づくと鳴動停止してしまった。これ以上近づくと飛び去って行ったであろう。 後でよく見るとマダニのような小さな玉が写っていたがアオスジアゲハの卵のようにも見える。 上の写真の部分拡大  アオスジアゲハはたいてい葉に卵を産み付けるが樹の樹皮に産み付けることもあるのだろうか?それともマダニか? 2020年07月25日撮影  そして次の日にアオスジアゲハがアスファルトにしみ込んだ山水を吸水している様子に出会えた。木陰になっている場所で水分補給?しているのが珍しいかも?!小さな体が干からびそうなくらい暑かったわけだ。 2020年07月25日撮影  左の柵を越えて一斉に右の山へ逃げ出したニホンザルの群れ。柵の中には畑が!持ち主はたまったものではない。 2020年07月25日撮影 一番大きい「ボスザル?」がカメラを向けると睨んできたので関わらないことにした。野生のサルは怖い。 2020年08月08日撮影  よく観察しないとわからなかったクマゼミ。鳴かないでジッとしていると本当に気が付かない。 2020年08月08日撮影  上の写真の蓮田から砂利道へ這い上がってきたウキクサを付けたカメ。 2020年08月08日撮影 熱冷ましにわざとウキクサを付けているのか分からないがジュっといいそうなくらい熱くなった砂利の上を歩いていた。せっかくの居心地の良さそうな蓮田からなぜ移動するのかがわからない。テリトリー争いか? このように振り返ってみる

三隅町民俗資料展示室のこと

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2年前だったか、旧三隅町の広報の資料写真を見せていただいたときに見つけた1枚の写真がある。 広報の資料写真より 「 三隅町民俗資料展示室 」と記された、部屋なのか?建物なのかわからないが郵便ポストと共に写された写真。 入り口の引き戸とその上の外灯が如何にも昭和の匂いを感じさせているが、ここはいったい何処?なのだろうか。 木造の頃の三隅町公民館にしては古すぎるし郵便ポストが並んでいた記憶もない。三隅村の頃の役場の中かその近辺だったら自分の記憶以前のことだ。旧、明倫小学校の教室の1室を利用して作られたように見えないこともない。 そういえば 村田清風記念館 の中に”防長四白”の生産用具や数々の民具が展示してある「 民俗資料室 」があるがそれの前身であろうか。 ここに写っている郵便ポストはひょっとしたら現在の三隅公民館(農業者トレーニングセンター)に置いてあるポストではないのか? 興味は尽きないがわからないことだらけだ。

踏切が出来ていた

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何時ぞや「踏切の話」で何度か旧三隅町エリアの踏切を掲載したが、その後に新しく?踏切が出来ていた。 「 豊原第2踏切 」という。 「出来ていた」という表現は間違っているのだが元々は「第4種踏切(警標のみの踏切)」であったものが警報機と遮断機の両方が設置された「第1種踏切」に 格上げ されていた、と表現したほうが正解だ。 2020年08月22日撮影 2020年08月22日撮影 踏切の場所としては長門三隅駅構内になるが、豊原墓地へお墓参りをされる方がよく利用される道だったように記憶している。 豊原墓地は元々が今の長門三隅駅舎の南側辺りにあったらしく、大正13年に鉄道が開通する前に当時の鉄道院が買い取って駅の西側に豊原墓地を移転したと記録されている。 (「豊原のあゆみ」より) 墓地を移転してまで駅が必要だった、ということであろう。 時代の変遷とはいえ今の駅は寂しくなってしまった。

晩夏の稲田

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平野から豊原に続く広大な田園地帯の風景が好きでよく散策をしている。 2020年08月22日撮影  毎年のことだが区画によって生育状態?が違っていて、上の写真のように左と右でイネの色が違っている。品種の違いであろうがこの緑や黄緑色や黄金色が区画ごとに違っていることが風景を一段と美しくしている。 2020年08月22日撮影 2020年08月22日撮影 2020年08月22日撮影 2020年08月22日撮影  生え際から稲穂に向っての緑のグラデーションがきれいである。 鵜が水路壁の上で羽ばたいていた。 2020年08月22日撮影 近寄っても逃げない。水路に獲物となる魚でもいたのであろうか?それとも負傷して動けなかったのか? 三隅川にはたくさんいるが水田地帯で鵜を見ることがあまりなかったので少し驚いた。 [後記] 日照りが続いたせいかイナゴの数の多さが気になった。一部ではイナゴをかき分けて歩くような場所もあった。 「稲子」とも書かれるようにイネの葉にたくさん付いている。被害が出なければ良いが素人目にも心配なほどたくさんいる。

高砂を眺める~続編

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前回に続いて「高砂」という山を下から眺望する。今回は三隅の上地区からの眺望。 2020年08月20日撮影-1 2020年08月20日撮影-2  最初の2枚は兎渡谷の入り口付近からの風景。 2020年08月20日撮影-3  次は畠中付近からの風景。 2020年08月20日撮影-4 2020年08月20日撮影-5 最後の2枚は麓集落の入り口付近からの風景。 当たり前のことだが山の姿は真下からでは全く見えないし、特に低山は離れすぎても他の山々が覆いかぶさって見えなくなる。 敢えて意識して見ないと山は見えてこない。 当たり前のように日常の風景の中にいる山々でも、少し見方を変えると神々しさを増してくる。

三隅の高砂という山

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三隅の採石場の真上となる山で「高砂」という目出度い名前の山がある。以前にも書き残したことがあるが頂上に砲台跡が残る曰く付きの山だ。 この山は平地から見るとその位置がなかなか判断しづらい山で、特に西側から眺めるとなかなか位置を断定できない。 2020年08月08日撮影  先日上ゲ地区の高台から眺めたときに、日尾山との位置関係で何とか確認できたのが上の写真。 2年前に大竹地区の丘陵地から撮影したものが下の2枚。 2018年04月29日撮影-1  まずは高砂の手前の中小野の上となる山の姿。西側から眺めるとこの山が高砂にかぶさって分かりづらくなるのだろう。写真を見てわかる通りこの山は三隅トンネルが貫通している。山の名前がわからないが稜線が美しい山だ。 2018年04月29日撮影-2 そして東側に目線を滑らすと高砂の稜線が確認できる。平地から見るとここが一番かもしれない。 低山ながら登ってみるとなかなか険しい山だ。

松島から眺める山々

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ひょっとして全国各地に在るかもしれない「松島」という地名だが山口県の三隅の「松島」のこと。ここにはキャンプ場があるのだが、今はそちら側には近づかないで先端から眺めた風景のこと。 (ここで言う「松島」とは内陸の地名であって島ではありません。太古の時代には島だったかもしれません。) 2020年08月12日撮影  うっすらと千畳敷の風力発電の風車が見えた。 2020年08月12日撮影  野波瀬漁港の上に鉄割山が聳える。昔からお気に入りの風景だ。 2020年08月12日撮影  西側には小島山の稜線が映る。 2020年08月12日撮影  北側には幸島が浮かぶ。幸島が近すぎて通(かよい)の山島山が見えない。 2020年08月12日撮影 野地山の夫婦岩が見える。いこいの森三隅の最高点だ。 2020年08月12日撮影 三見の背となる日尾山が見えた。アンテナ群で確認できる。 2020年08月12日撮影 通の東側の島々が見える。 2020年08月12日撮影 霞んでいてやっと確認できる程度だが奈古の遠岳山が見えた。快晴ならはっきりと確認できるのだろう。 山の日 に山に行けなかったので海から山を眺めてみた。 夏休み中で少しは子供たちの姿があると思っていたが一人も確認できなかった。おかげで遠慮なく撮影できた。キャンプ場には誰か居るのだろうか? 子供の頃、お盆になると「いら」が出るから海に入ってはいけないと大人たちから口うるさく言われた。「いら」とは行燈クラゲのことで刺されるとスジ状に赤く腫れていた。その大人たちから「お盆過ぎのニナは美味しいから泳ぎに行ったら獲ってきて!」とも言われた。 風景はかなり変わってきたが数々の思い出がここ松島にはある。

浅田の上

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浅田から上ゲに向って広がる田園風景は今の時季、夏風が爽やかに吹き抜ける。 2020年08月08日撮影  田園風景の中に八幡宮の森(杜)がある。 2020年08月08日撮影  八幡宮は俗に「古八幡」と呼ばれる。鳥居の扁額には「古八幡宮」と刻まれている。 2020年08月08日撮影  浅田の上から見る浅田小学校。 2020年08月08日撮影 「農魂の台地」から見る開作の誘致企業。 「浅田の上」と言ったのは自分なりの表現だが、鉄割山麓より上ゲを隔てて広がるこの緩やかな丘陵地帯は浅田集落の「上」と言ったほうがわかりやすい。その「浅田の上」と「上ゲ」が今は三隅バイパス(国道191号線)で分断されている。

浅田川中流域の風景

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「浅田川は、その長さ三・一キロ、駄平堂山中に発し、北流して近傍の平野を潤しつつ浅田尻に至り、三隅湾に入る」(三隅町の歴史と民俗)と記されている。 この浅田川は、沢江川と同様に三隅川の支流ではなく独立した水系の川だ。その中流域(浅田小学校近辺)の風景。 2020年08月08日撮影  下流域に向って遠くに青海島が見える。 2020年08月08日撮影  上流方向には岳ノ山が聳える。 2020年08月08日撮影  JR山陰本線浅田川橋梁が跨ぐ。 2020年08月08日撮影  浅田踏切を越すと山口県の河川標が建っている。昭和40年指定の二級河川である。年を追うごとに刻まれた字が読めなくなっている。 2020年08月08日撮影 2020年08月08日撮影 この川で「ドンコ」をよく見かけていたがこの日は全く見つけることが出来なかった。もう少し水量が増えると出てくるかもしれない。