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4月, 2021の投稿を表示しています

新緑の熊野社

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 三隅地区中村にある熊野神社は三隅八幡宮の摂社である。 今の季節は木漏れ日に映える新緑がとっても気持ち良い。 2018年04月29日撮影 2018年04月29日撮影 2018年04月29日撮影 「正応元年(一二八八年)の創始と言われるが、華尾山麓が崩壊して土中に埋まったが寛文六年(一六六六年)に弘法堂建立の際に埋まっていた土中より神物等を掘り出して神社として再建した」とある。 (三隅町広報より) ここで気になるのが「 華尾山麓 」という場所なのだがいったい何処の山なのだろうか?気になってしまう。現・権現社のある中村権現山のことなのか、それとも南側の足河内山のことなのかわからない。地下上申でも調べなおしてみようかとも思ったが手元にないと中々進めない。このような課題は増える一方だ。

小浜の風景

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全国津々浦々「小浜」という地名はたくさんあろうと思うが合併前の三隅町と長門市の境となるエリアのこと。 2020年04月06日撮影 このバス停は県道小浜(ブルーライン)で、下に見える?辺りに国道の小浜バス停(防長バス)がある。 2020年04月06日撮影 ベルトコンベアーと朱色の列車の画がとっても素敵なのだがもう少し上手く撮れるはずだった。 2020年04月06日撮影 下に跨ぐのが国道と鉄道の場合は鉄道名が刻まれるのだろうか? 2020年04月06日撮影  この道はいつ開通したのか記憶に残っていないのだが国道と山陰本線を跨ぐ県道の橋の完成年を見ると昭和62年7月となっている。すでに34年が経過している。 2020年04月06日撮影 長門市駅側の様子。 この僅かな峠が「小浜峠」で旧赤間関街道だった路。その頃は結構険しい峠だったような記録もある。 この国道は過去にはもっと狭く、自転車で通行するのが怖い峠だった。 2020年04月06日撮影 長門三隅駅側の様子。 2020年04月06日撮影 2020年04月06日撮影 2020年04月06日撮影 写真はすべて一年前のものだが今とほぼ変化は見当たらない。 小浜と言うように「浜」に面しており、目の前の仙崎湾は風光明媚だ。特に海は昭和の頃よりずっときれいになっていると思う。

散策路にて

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 雲雀の鳴き声が聞こえはするが見上げてもその姿を確認できない。視力の低下を嘆く一方で聴覚と臭覚にはとっても敏感になっている。 穏かではあるが時折肌寒く感じる日に三隅川下流域をいつものように散策する。 2021年04月23日撮影 沢江の西山を眺めては時雨山観音を想い、稜線に沿って目を滑らすと鉄割山が見えてくる。 2021年04月23日撮影 三隅川源流の桂木山頂を微かに眺めて山中峠を思い出す。 2021年04月23日撮影 水を引く準備が出来た田の畦道を行くと蛙がすでに鳴いている。 毎年のことだが季節ごとの風景に変化が無いことを確認できるとホッとする。特にこの時期は敏感になる。

39年前の年賀状

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 ちょっと季節外れの話、と言うより時代外れのことだ。 好天が続いたので古い雑誌を整理していて(陰乾し)、挟み込んであった一枚の葉書(エアーメール)が見つかった。何年か前にこの雑誌を読み返したときに栞代わりに挟んでおいた記憶がある。有りがちな話だがしばらく手が止まった。 1982年 MUSIC MAGAZINE ハワイからの年賀状 宛先はと言うと「横浜市港北区・・・・ KANAGAWA JAPAN 」 ハワイから届いた年賀状で、学生当時一人暮らしをしていたアパートの名前が入っていた。現在はアパートどころかその住所さえも無くなってしまった場所だが何とも懐かしい。 図柄はよくある観光地風の絵葉書であるが、貼ってあった切手がカッコよくて捨てられなかったようだ。日本で言う昭和レトロなイラストで、色褪せてはいけないと思い画像化してPCに収めた。 こんなカラフルなイラストを見るとつい思い出すのがハワイアンミュージック。そしてペダルスチールギターの「 ブルー ハワイ 」という曲だ。この曲を聞くと連想するのが昭和40年代のデパート(下関大丸)の想い出だ。夏の炎天下の街並みからデパートに入った瞬間の冷気と共に聴こえてくるハワイアンミュージックのペダルスチールの曲。 ブルーハワイ→夏休みのデパート→冷房→スイカのビーチボール、というような単純な連想だ。今の時代当り前の「冷房装置」が当時は一般家庭には無かったのでデパートに行けるということの楽しみが格段に高かったように思う。余計な思い出を書き綴ってしまったがこれほどにしておこう。

出水川流域で見つけた山野草

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 何時も書き込んでいるように山野草や樹木に疎いわけだが(本当は植物全般に疎い)敢えてチャレンジする。 今回、間違った名前があった場合は後日正解がわかった地点で修正を加えることとする。 シャガ シャガの群生 ミヤマキンポウゲ? セイヨウタンポポ ヤマブキ? 実はこの四つの山野草?の花を図鑑で調べるのに2時間以上かかってしまった。すぐに判ったのはシャガだけで、ミヤマキンポウゲやヤマブキと書きながら図鑑の写真とはちょっと違う。特にヤマブキは自分の知っているヤマブキと花の形状が違っている。なんて難しいんだろう! セイヨウタンポポはたぶん正解のような気がする。 スマートフォンのアプリで探しても撮影するたびに違った名前が出てきてしまうし学術名が出てくるとお手上げだ。 2021年04月15日撮影 この日のベストショットはこの写真だ。とっても素敵な風景だと思う。 山野草を撮影するよりずっと安心感がある。

出水川流域の風景

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 三隅上地区の中心地である宗頭を流れる 出水川 は一応 三隅川の支流 であるが、見た目は水路に近い。 その源流はというと西畑山(386.6m)の南側の谷になる。この谷の下流域が出水川砂防公園となっている。 2021年04月15日撮影 最初の谷を渡るコンクリート橋まで行ってみたがこちら側は水流が確認できなかった。このコン橋を渡った先の西畑山へと向かう本流は山歩きの装備で臨まないと行けそうになかったので今回はここでストップした。 この日は割と暖かな日差しに恵まれて、カワトンボの仲間を何種類か見かけた。時期的に早いのでちょっと驚いた。 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 旧道や国道の下に暗渠となって流れが進む。そしてホタルの家の前に出てくる。 2021年04月15日撮影 旧宗頭小学校の校門の前の石橋へと流れる。 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 そして三隅川へと合流するがやはり支流と言うより用水路の風景だ。

半世紀の重み

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 三隅川の最下流に架かる琴橋は竣工して今年で51年が経った。 主桁の朱色が川面に映えて実に美しい橋だったという印象を受けていたが、さすがに半世紀も経つと色褪せてくる。 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 橋の南側は過去には屏風状と表現された三隅の峻峰が聳える。 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 2021年04月15日撮影 橋名板の取り付けられたコンクリートブロックをピックアップすると、箇所ヶ所に傷みや亀裂がうかがえる。路面のアスファルトを盛りつけた補修やモルタルの修繕箇所、段差を見つけると素人ながら不安を感じてしまう。 橋が通行できなくなる、という非日常的な不便さは山口県の最近の出来事で実証済みだ。ただ此処に関しては小波橋という迂廻路が在るので孤立は避けられる。 [余談] 橋には入口と出口があるという情報をネットで見つけた。橋の名前が漢字で書かれた側が入口で、ひらがなで書かれた側が出口だそうだ。しかしそのように表現された規定は無いように思うが此処琴橋にはひらがな表記が無い。橋名板が落ちたのか消え去ったのかわからないが元々は「ことはし」と記銘されていたに違いない。誰が名付けたか素敵な名前だ。

小島の古恵垰

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 「古恵垰」と書きながら先日までその名前を知らなかった。小島から下東方に抜ける古い山道に在った地蔵堂の中を拝見して 峠の名前 を初めて知った。 古恵垰入口 古恵垰1 古恵垰2 地蔵堂 古恵垰3 遠景 現在の市道 現在の琴橋が完成したのが昭和45年(1970年)3月で半世紀が経過した。 たぶんこの町道が整備されたのはそれ以前であろうと推測する。 地理院地形図より 昭和29年の洞爺丸台風で三隅川が氾濫し、当時の三隅町は災害救助法の指定を受けるほどの大打撃を受けた。その後にこの道路の整備が始まり、昭和31年に「小島漁港関連道路」が竣工している。 この時代まで古恵垰は現役で通行されていたと思われる。

旧峠のお地蔵様のこと

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 今は山歩きをする人しか通らない旧峠の山道に、ひっそりと鎮座されているお地蔵様のこと。 今は新しい道やトンネル(隧道)が出来ているため、遠い過去に集落を行き来していた山道(ほぼ廃道)にひっそりとお地蔵様がいらっしゃる峠がいくつかある。 稚拙な画で表現すると下の2つのパターンがあるようだ。 パターン1 パターン2 下の写真はパターン2に近い大水峠(おおみずだお)の様子。 栢木側から 山中の峠にはお地蔵様がいらっしゃる。 大水峠のお地蔵様 秋芳側は何とか山道が残っているが三隅側は下の写真のようにひどい廃道でまともに歩ける状態ではない。 大水峠の廃道1 何処に道が在ったのかわからないほど荒れた状態で何度か迷ってしまった。 大水峠の廃道2 ここから下は画で示したパターン1に近い2ヶ所のお地蔵様。 まずは荒ヶ垰のお地蔵様。 荒ヶ垰のお地蔵様 そして鍋提峠の様子。 現在の鍋提峠から見上げる 鍋提峠のお地蔵様 荒ヶ垰も鍋提峠も共に新しい道(林道)が峠の標高を下げるために旧道より何メートルか下がった位置に造られている。そうするとお地蔵様は山の上に取り残されてしまう。そして旧山道は何時しか廃道となってしまう。 これらのように古人が行き来していた峠がまだまだありそうだが、過去の気配を感じてその両側の集落の歴史に寄り添う山歩きも楽しいものだ。