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今月の野鳥(令和8年11月)

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 愈々11月が始まり朝晩寒くなってきた。 桜や柿の葉が紅葉となりそして散り始めた頃には野鳥も冬支度に大忙しの様子。カメラを向けるとすぐに気づかれて飛び去ってしまう。何とか撮影できた野鳥たちを残しておく。 イソヒヨドリ(♀) メジロ-1 メジロ-2 ジョウビタキ(♂)-1 ジョウビタキ(♂)-2 キセキレイ-1 キセキレイ-2 薄日が差し込む肌寒い午後にふれあいパーク三隅に野鳥撮影に行ってみたが、鳴き声はするものの姿がなかなか確認できない。キセキレイだけ撮れたがただの散策になってしまった。 総合グラウンド裏の地蔵尊

今年もコブハクチョウがやってきた

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 三隅川汽水域に今年もコブハクチョウがやってきた。それも幼鳥を携えての3羽。 昨年は夫婦?だけの2羽が来ていたが今年は幼鳥が「コブ」としてくっついてきた。 幼鳥といっても親とほとんど変わらない大きさで、羽毛の色が違っていなければ親子とは思えないほど立派なお子様だ。優雅にゆっくりと近づいてくる様はまったく人見知りしないので毎年やってくるペアに間違いない。 眼下までやって来たときに幼鳥の左足が変形していることに気づいた。けがをしたのか片側の水かきが変形して常に水面から上に出ている。一瞬戸惑ったが、痛そうな様子はないし両親も穏やかだしこのまま平穏無事に暮らせそうなのでそのまま見送った。うかつに騒ぎ立てないほうが良さそうだ。 この幼鳥がさらにペアを組んで4羽でやってくることを期待してこの場を去った。

萩博物館をひと周り

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 今年令和8年は昭和元年から数えてちょうど100年となる。ということで萩博物館の「萩の昭和大博覧会」へ行ってきた。ここから昭和の懐かしい写真が出てきそうな文頭だが今回は「萩博物館の風景」のことだ。 本館正面入口 なまこ壁のある外から本館入口を眺める 本館入口から外を眺める 長い白壁の外周 萩市堀内に位置する萩博物館は、それと知らずに周りを歩くと萩特有の広大な武家屋敷を一周しただけと思うかもしれない。元々は江向にあった「萩市民俗資料館(郷土博物館?)」が前身で、堀内の毛利家?屋敷跡に移転して「萩博物館」となったように推測する。このあたりに過去には市立病院が在ったように思うが平安古辺りの道路状況がかなり変わっているので場所がはっきりしない。(迷走した記憶なのであてにはなりません。) ところで萩市は「萩まちじゅう博物館」構想で現在の萩市全体を一つの博物館として捉え、見事な各地域の紹介マップを作成している。これはしてやられた感があり素晴らしい企画だ。

仲秋の頃

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 自分の生活行動範囲で秋を感じられる風景などを残す。 三隅川に映る権現山 ザクロ 秋芳八代から見る権現山 山茶花の蕾 山陰本線と岳ノ山 鮎の塩焼き 「みすみふるさとまつり2026」にて売り物の「アユの塩焼き」を撮らせていただいた。 過去には「収穫祭」と言っていたふるさとまつり。新米で作った栗ご飯やキノコご飯、そして梨、柿、栗といった秋の果物。ふるさとまつりとは別個で「収穫祭」をやってほしいと思うが、今年は裏年なのか天然のキノコや栗が不作の様子。それともツキノワグマの出没でクリやキノコの収穫に行けないのかもしれない。もうすぐ三隅川にもサケが遡上してくる季節となったが昨年は全く確認できなかったので今年はぜひとも姿を確認したい。 ふれあいパークから久原山 ふれあいパークから岳ノ山 野鳥の撮影にふれあいパークに行ってみたが全く撮れなかったので風景を撮影。霞んでいてこれもダメ。 先週からモズのうるさい囀りとジョウビタキの「カチッ、カチッ」という鳴き声が聞こえだした。もうすぐ晩秋から冬がやってくる季節になろうというのに昼間は生暖かい気温だ。野鳥たちも暖かさに戸惑っているに違いない。

秋吉台の秋

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 「秋吉台」といっても楽しみ方は人それぞれだが、なんといっても秋のトレッキングは気持ちのよいことこの上ない。3億年かけて出来上がった大地を歩き回ることの楽しさは他ではなかなか味わえない。 今回は秋吉台の最高峰「龍護峰」周辺の山野草を探し回るトレッキングだったが例年に比べて少なく、すれ違う同様の方々も今年は見当たらないと口々におっしゃる。 風景に関しては申し分ない素晴らしいものが堪能できた。 今年4月に「Mine秋吉台ジオパーク」が正式に「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されて以来、秋吉台も車と人がとっても増えてきたようなイメージがある。これからが正念場だ。がんばれ美祢市。

湯免ダムから観る山々

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 以前より湯免ダムより天井山、権現山、久原山の頂が見えるのかどうかを確証がとりたくて色々な角度から写真を撮っては地理院地図とにらめっこしていたわけだが、未だに決定打が出てこない。 今回撮影した写真でとりあえず山名を振ってはみたが不安はある。 天井山1 天井山2 権現山 上の写真中央の右が権現山と思い込んで撮ったが、地図と照らし合わせるとどうも違っている。 久原山と夫婦岩 一番確証を取りたかった久原山だがいまいち自信がない。 地理院地図にて断面図を作成してみると、ほとんどぎりぎりだが障害物(手前の山)をクリアしているので見えてもおかしくはない。逆に言うとぎりぎり見えている山がそうだ。 山は遠くから見るほど美しく、そして高さがはっきりする。

古代山陰道のこと

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 歴史、特に古代史には大変興味があるものの学問的には全くの素人であるがせっかく読み漁った資料・文献で得られた古代山陰道の事々を書き留めておこうと思う。ここでいう古代とは延喜式に倣うので平安時代中期となる。 石見国の樟道駅(くすちのうまや:現・江津市都治町)より伊甘駅(いかんのうまや:現・浜田市下府辺り?)を過ぎていよいよ長門国に入ってくるとまずは小川駅(おがわのうまや:田万川町小川)、宅佐駅(たくさのうまや:むつみ村高佐?)、阿武駅(あぶのうまや:萩市大井)、植田駅(うえだのうまや:萩市椿小畑)、参見駅(さんみのうまや:萩市三見)、三隅駅(みすみのうまや:長門市三隅 市)、由宇駅(ゆうのうまや:長門市湯本辺り?それとも大峠辺り?)、意福駅(いふくのうまや:美祢市於福)、鹿野駅(かののうまや:美祢市大嶺)、阿津駅(あつのうまや:美祢市西厚保)、そして厚狭駅(あさのうまや:厚狭郡山陽町)で山陽道と合流する。 古代長門国山陰道の駅(うまや)は長門国に10駅あったということになる。 上の写真は「赤間関街道」としての資料のため時代は異なる。 実際の古代山陰道は因幡国→伯耆国→出雲国→石見国→長門国というように今の鳥取県以東から始まる。 平安時代中期の山陰道と山陽道(鳥取県HPより) [後記] 伊甘駅は島根県浜田市下府町(しもこうちょう)に伊甘神社があるので間違いないと思われる。ここは石見国庁があったとされる。 阿武駅は萩市大井で「萩の歴史は大井から」とされるほど古く、「阿牟の里大井」が「阿武」となったと思われる。 由宇は延喜式によると「田宇」と記されており倭名類聚抄にも「田宇駅」と見つかる。場所は現在の大ヶ峠(おおがたお)辺りか湯本の湯田付近か不明だ。