切手収集と下関大丸
昭和40年代の半ばから始めた切手収集。切手ブーム?のせいかデパートや文具店にストックブックや切手用のピンセットが商品として置いてあり、漫画雑誌の懸賞では外国の切手が当たったりしてそれはそれで楽しい時代だった。 しかしそんな少年には手の出せない高額な切手があり、その中でも特に手に入れたかった切手が国際文通週間の東海道五十三次「蒲原」、横山大観の「霊峰飛鶴」、そして切手趣味週間の「ビードロを吹く娘」と「市川蝦蔵」、そして「湖畔」だ。 そんな中、下関大丸(デパート)の5階に切手のお店(コーナー?)ができて、自分の中では下関=大丸=切手、という図式ができていて下関に行くたびに足しげく通った。 そして目に留まったのが横山大観の「霊峰飛鶴」(当時は勝手に「霊峰富士」と言っていた)。陳列ケースにありその値段が500円となっていた。長門三隅から下関までの鉄道運賃が360円(ちなみに長門三隅から長門市は片道40円)だった時代の500円はちょっと手が出ないし買うには勇気がいる値段だ。結局買えずにいたが1年後だったか下関に住んでいた叔母が、私が「ほしい光線」を連発していたせいかお土産に買ってくれた記憶がある。叔母にとっては何の価値もない紙切れに500円もの大金を出させてしまった罪悪感が残ってしまったが自分のストックでは最高額の一枚となったすこし苦い思い出だ。 その後も切手熱は冷めずにほしい切手は国宝シリーズへと興味が移っていったが貧乏学生には手が出せず、そしてその後は切手を買い求めることはほぼなくなった。 昭和の時代の切手のデザインは今見ても美しく切手から得た歴史や様々な情報はさらに拡散して膨大な知識になっていった。しかし歳を重ねるごとに忘れていく量も増えていった。 60歳を過ぎてから僅かな楽しみで切手趣味週間と国際文通週間の切手だけは時折買ってはいるが、最近の切手は何かまがい物をつかまされたような感覚でいまいち嬉しさやときめきが少ない。これも歳のせいか? ところで足しげく通った「下関大丸」だが1950年11月に大丸資本と地元資本の共同出資で誕生したようだが自分の知っている「下関大丸」は1959年に下関駅西口にオープンした店舗ビルで下関のシンボル的な存在だった。その後シーモール下関の中核的な店舗として「大丸下関店」と変わっていったが来年(2027年)8月末で閉店と発表された。こ...