楫取山
岳ノ山と足河内山に挟まれた二条窪にある桜楓山荘跡は楫取素彦旧宅跡地である。 <写真の説明板の記載文> 長州藩医松島家の次男として生まれ、藩儒小田村家の養子となり、後に藩命により楫取素彦と改名した。 江戸の安積艮斎(あさかごんさい)に学び、吉田松陰と深く親交を結んだ。 明倫館都講本役・助教を勤め、藩主毛利敬親公の側近となる。 周布政之助派の一員として尊攘運動に奔走するも、禁門の変、椋梨藤太派によって投獄された。出獄後、薩長同盟成立にも大きな役割を果たし、維新に多くの功績を残した。 明治三年この地に家を建て、村人に植林や開墾を奨励し現在も 楫取山 として広大な美林を残している。 明治九年に初代群馬県令となり、教育や養蚕製紙業に力を入れるなど、名県令と讃えられた。後に、貴族院議員・宮中顧問官歴任し、男爵・正二位に叙せられ、大正元年八十四歳で没した。 妻、寿は松陰の妹でここに小堂を建て、月二回僧侶を招き法座を開いた。今でもその遺風は村人に受け継がれている。 (左右に見えているのが楫取山です。) 長門市教育委員会 ということで楫取山はどれでしょうか?杉、檜の辺りがすべてそうなのでしょうね。 正面の左右 左は足河内山の裾、右は岳ノ山の裾、正面は鉄割山の南峰となります。 真左 真右 明治4年にこの地は大規模な山林火災が発生しており、楫取素彦は村人たちと 山林の復活を目指し造林作業に精を出した、とある。そうして植林された山を村人たちは「楫取山」と呼んだ。 青空の下で撮りたかったがこれもまた良し。