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11月, 2020の投稿を表示しています

分かりやすい三隅八幡宮

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 ここ最近(2年前だったか?)の八幡さまの境内に素敵な掲示板?が現れた。 境内を遠目に見て普段と様子が違う、と思ったらこの 掲示板 を見れば納得!と言うようにわかりやすい内容が書いてある。 2020年11月23日撮影 とってもわかりやすく書いてある。 2020年11月23日撮影 新嘗祭(にいなめさい)の季節か、と納得の表示。 2020年11月23日撮影 2020年11月23日撮影 天手古舞の準備ではなく、早くから模様替えされて様子が伺えることも大切で、有難い。 国と国民の安寧や五穀豊穣を祈って行われる新嘗祭は、新型コロナウイルスやウンカの被害にあった今年は特に大切な祭事であろう。

マボロシの文化祭

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 毎年楽しみにしていた「 みすみ文化祭 」が今年は新型コロナウイルス蔓延を防ぐために開催されなかった、と勝手に思っていたら密にやっていた。 「密に」なのかどうかは私が知らなかっただけかもしれないが、三隅公民館のロビーで「展示物だけの文化祭?」が終わろうとしていたことを知った。 2020年11月23日撮影 2020年11月23日撮影 展示作品の中で自分が一番印象に残った作品をここに残しておく。 小学2年生の作品 全体の構図が素晴らしい。家族の様子や背中を向けたお父さん?が列車に向いているのが良い。車両に「キハ40」と描いてあるところや細やかな列車の画を見ると、お父さんが鉄道好きであることが想像される。 芋虫のようなオレンジの車両がでこぼこのレールを走っている様がいかにもローカル線の雰囲気を醸し出している。運転手だけでなく車両もこちらを向いているのも楽しい。 ここにも「 博士ちゃん 」がいた!

今年のイチョウの木

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 毎年11月になると三隅公民館前と三隅八幡宮のイチョウの木が気になってくる。滝坂の黄幡社や中村の熊野権現社のイチョウも外せないが、それはまたの機会にする。 2020年11月15日撮影 今月の中旬までが黄葉の最盛期だったようだ。 11月18日にはほとんどの葉が落ちていた。 そして昨日23日の様子。 2020年11月23日撮影 2020年11月23日撮影 下のイチョウは同日の三隅中学校中庭のもの。 2020年11月23日撮影 校舎に護られて未だ葉が残っている。 次は三隅八幡宮のイチョウだが・・・ 2020年11月23日撮影 2020年11月23日撮影 何年か前に枝がバッサリと切断されて痩身の姿になったが元気そうだ。 たぶんオスの木とメスの木であろう。 2020年11月23日・境内で撮影 落ちている葉を比べてみると大きいサイズと小さいサイズの2種類がある。メスは銀杏を生らすため葉もデカくパワーを感じる。 季節が移り変わる様子が何とも早く感じてしまう。「老いてきた」というより「歳を重ねてきた」と言いたい。 田舎の風景の中でイチョウの樹が目立つ場所は、たいてい神社やお寺の境内、又は学校で、里山の秋を彩る大切な場所である。山麓のイチョウの黄葉の場所を指して「あそこが○○神社!」と言うことがある。 そういえば三隅町役場の裏にもイチョウの樹があったことを思い出した。

三隅の祠とお地蔵様~平野

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 平野妙見社は元々は現在の平野集会所の南東30m辺りに在ったものを昭和54年の農地基盤整備に備え、当時の山王社傍に移転され、さらに平成2年に三隅バイパス建設計画のために再度現位置に移転されている。 2018年02月11日撮影 2018年02月11日撮影 2018年02月11日撮影 これらの写真のように「山王社」、「妙見社」、「山神社」の三社が祠で祀られている。 妙見社は北辰妙見の北極星を崇める神道と山岳宗教などが融合したものとして祀られている。 他の二社と合わせても皆「 山岳信仰 」が元となっているように思える。 この三社がある参道(元は山道)は平野よりの 岳の山(343.9m) の登山道で、岳の観音が在った(今は二条窪道へと下りられている)とされる山頂は古くは雨乞をしていたとの記録もある。 [後記] 以前に、ここから岳の山を歩いてみようと計画したが、三隅バイパスの架道橋でサルの軍団とそのボスに睨まれ襲われ?そうになったので敢無く引き返した。 里に降りた野生動物は気をつけなければ・・・。

三隅の祠とお地蔵様~湯免ダム

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 湯免ダム管理棟の近くにダムを見守るように設置された「祠」が在る。 2020年08月30日撮影 2020年08月30日撮影 2018年12月31日撮影 元々辻並地区に祀られた祠なのか、湯免ダムが出来てから新たに祀られた祠なのかは自分の中では不明だ。 大水峠から流出する辻並川を堰き止めてつくられたこのダムは「治水」、「利水」、「環境整備」を目的としている。 以下、 山口県長門土木建築事務所 作成のパンフレットより抜粋 三隅川流域は、昭和29年の洞爺丸台風をはじめ幾度も洪水の猛威にさらされ、市街地や家屋、田畑が広範囲にわたって浸水等による被害を受けてきました。また、夏季になると度々深刻な水不足に見舞われ、地下水の水道用水源は、地下水低下に伴い井戸の塩分濃度が上昇し、取水困難になるなどの障害も発生していました。 加えて下水道整備により、水道水需要の急増に対応する新たな水源確保が必要でした。そこで、洪水調節など治水安全度の向上、水不足の解消や水道水源確保といった三隅川流域の人々の願いを実現するために、湯免ダムが建設されました。

三隅山荘の松

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 三隅山荘にある「五葉の松」は樹木医が入られたのであろうか、痛々しい姿になっている。 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 村田清風記念館はリニューアルされて看板もインパクトが強くなってきた。 2020年11月12日撮影 コロナ渦の中、「Go To キャンペーン」のせい?か駐車場に停まっている車も増えているような気がする。 前にも書いたが、地元の方々こそぜひとも訪れることをお勧めしたい。

浅田から観る青海島

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 浅田の開作側(殿村新開)に僅かに残された蓮田越しに青海島の西側の風景が楽しめる。 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 写真ではわからないが蓮田のすぐ向こう側は仙崎湾で、岸壁近くに工事中のダンプや重機が見える。殿村新開は今後どのような風景に変わってくるのであろうか? 浅田川河口に向って右側に蓮田が拡がり、左側(山本開作)には昭和後期の三隅町時代に誘致された工場などが立ち並ぶ。その一番東側(現在のフジミツの駐車場)にあった「三隅自動車教習所」が懐かしく思われる。

下東方から観る権現山の輪郭

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 曇った日は尾根の輪郭がはっきりしない三隅の権現山は、遠く離れて三隅川下流や仙崎から観ると頂上がはっきりする。 2020年11月12日撮影 上の写真の説明 西側から観るとどっしりとした祝い餅のような権現山だが、実はとっても険しい尾根や谷によって創られた神秘な山だ。 東の尾根と西の尾根に挟まれた谷が兎渡谷集落となる。先日から何度も取り上げている難読の集落だ。 ちなみに写真に写った三隅川の下流域はミサゴの猟場となっている。この風景の中をホバリングしてダイビングするミサゴたちを見ると権現山が余計に神々しく見えてしまう。 本当に美しい山だと思う。

上ゲの天神様

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 天神様と言えば菅原道真を祀った天満宮であり、梅の種の中の実(さね)のことでもあるようだ。 三隅の上ゲにもひっそりと天神様がある。「ひっそり」といった表現がいかにも似合う上ゲの天神様の風景を残す。 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 2020年11月12日撮影 生活圏からちょっとだけ離れた小高い「杜」に隠れるように祀ってある素敵な天神様だ。 社園に梅の木が見当たらない。見落としていたのか?来年2月ごろにもう一度来てみよう。

三隅の祠とお地蔵様~二条窪

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 豊原から二条窪へ向かう県道沿いにあるお地蔵さまと祠の風景。 2020年03月14日撮影 2020年06月15日撮影 2020年06月15日撮影 下の写真は場所としては豊原だが、岳ノ山の裾にいらっしゃる観音様であろう。とすれば中にいらっしゃるのは観世音菩薩さま。この場所は岳の山から湧き出る石清水があり、戦前まで歩く人々の休憩場所になっていた様子。「岳ノ観音」と呼ばれる三隅七観音の一つだ。 2020年03月14日撮影 下の写真は二条窪の石原峠へさしかかる手前左山中にある祠。 「三隅町の歴史と民俗」によると二条窪には「柳ヶ森祠」、「大神祠」、「荒神祠」と三つの祠が在るように記載されているが、その中のどれなのかは自分の中ではまだ不明だ。 2020年06月15日撮影 2020年06月15日撮影 判明したら追記して再アップする。

三隅の祠とお地蔵様~兎渡谷バス停

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 国道191号の兎渡谷バス停の傍にお地蔵様がいらっしゃる。 2020年11月03日撮影 2020年01月26日撮影 2020年11月03日撮影 台座には「 交通安全 」と銘記されている。 確かにこの場所は左右の見通しが悪い。国道の通行量が増えているだけに集落から出てくる車の方も歩行者もとっても気を遣う場所だ。 このお地蔵様を見る度に右目の辺りの白い苔の跡(痕?)が気になってしまう。下部や台座にも付いているので苔かカビかであろう。いらっしゃる場所が水路の真上で、湿気が多いのであろうが気になってしかたがない。(逆にどこのお地蔵様かがすぐわかるのだが・・・)

遷座の後~兎渡谷のこと

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 最近ほっちゃTVにて見事な編集で「兎渡谷の神楽舞」と「権現社の遷座」を紹介された。その兎渡谷のことを自分なりに書き留めておこうと思い立った。 「兎渡谷」と書いて「とどろく」と読む。これに関する詳しいことは依然書き留めたので今回は 地形から見た兎渡谷 のこと。 地理院地形図より 地形図を見ても兎渡谷集落は権現山の 深い谷の出口 となっていることがわかる。その昔、「 谷口村 」と呼ばれていたことが想像できる。 そして権現山の尾根筋(図の破線部)をたどると高い尾根がいくつも連なっていることがわかる。昔は「 高尾山 」と呼ばれていたことも納得できる。 兎渡谷橋の袂から権現山を眺めると、二つの大きな尾根に阻まれて頂上付近は全く見えない。大きな尾根が別々の山となっている。 2020年11月10日撮影 兎渡谷集落の東側に移動するとやっと権現山の頂上付近が見えだす。 2020年11月10日撮影 権現山は標高560.4mの険しい谷とたくさんの尾根をもった名峰なのだ。 2020年11月10日撮影 およそ570年前は権現山(高尾山)頂上で神楽舞を舞っていた、とあるが古人の業はすごい。 今回、 和海山 中腹からの遷座で権現社となった兎渡谷自治会の集会所。 2020年11月10日撮影 2020年11月10日撮影 元の現現社があった向山こと和海山。 2020年11月10日撮影 さて権現山をずっと西の小波橋(野波瀬橋)から眺めてみると下のようになだらかな山に見える。 2020年11月10日早朝に撮影 これに騙されてはならない。権現山はとっても険しい山なのです。