カルスト台地に可憐に咲く山野草たち リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 02, 2020 カルスト台地は山野草の宝庫だ。下の写真はすべて2020年10月26日に撮影したもの。群生や狂い咲きではなく、ススキやササの中にポツンと咲いている様がとっても可憐で愛おしい。此処から下は家族旅行村の入り口辺りに最近できた自然のまま?のミニ植物園の様子。まだまだたくさんの種類が見られたが、まさに山野草の楽園だ。こんな山野草は、山歩きでしか味わえない可憐さを持っている。なぜかここに残したくなった。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
住友セメントのベルトコンベア 8月 14, 2017 秋芳町から長門市の仙崎湾に延びた住友セメントのベルトコンベアがある。昭和40年代初期にこのベルトコンベアが現れた記憶があるのだが、確かその当時には東洋一の長さ(総延長が16.5Km)だったように聞いた覚えがある。 約3億5千万年前には サンゴ礁だった 海底が隆起し秋吉台(カルスト台地)が出来上がり、出来上がった石灰を人類が利用している。壮大な物語の終点を見たような建造物だ。いやまだ途中なのかもしれない。 2013年06月23日撮影 2015年07月15日撮影-1 2015年07月15日撮影-2 2015年07月15日撮影-3 仙崎湾のベルトコンベアの終点。 ここからタンカーに積み込み各地に運搬されるようだ。 2017年04月29日撮影 「住友大阪セメント株式会社」が正式名称のようだ。 小学生の頃から長門市(正明市)に行くときは、車でも列車(又は汽車)でも自転車でも必ずこのベルトコンベアの下を通っていく。 これを観るたびに思っていたことがある。 運び終わったベルトコンベアに乗せてくれたら秋吉台に行けるのに! こんなおバカな妄想ばかりしていた時期があった。 続きを読む
山口ニュージーランド村の記憶 11月 01, 2019 かつて美祢市の西厚保町に在った「山口ニュージーランド村」へ子供たちを連れて何度か訪れたことがある。 「子供たちを連れて」、というより本当は自分が行きたかったように思う。 1990年09月09日撮影 開園当時?の入園券がアルバムに挟んであった。 入園券_表 「美祢オニックスファーム」と書かれている。当時は石灰岩か大理石の事かと思っていたがネットで調べてみると「縞瑪瑙(しま・めのう)」と説明されている。もとの成分は同じなのだろうが「マーブルファーム」ではないようだ。 頭の中で厚保とオニックスが結びつかない。それよりも美祢とニュージーランドが結びつかない。 しかしこういった発想は楽しいし今でもあってほしい。 入園券_裏 パーク周りの森林でクヌギやクリの木を沢山見つけたことや広葉樹林独特の土のとっても良い匂いがしていたことが懐かしい。我が家の近所の山は植林のおかげで針葉樹の匂いばかりで、尾根筋まで登らないと広葉樹林にたどり着けない。 この当時、厚保(あつ)と云うエリアが「栗の名産地」であることを知らなくって、その後にいつの間にか「厚保栗」というブランド名?を聞くようになった。ブランド化したのは最近の事?なのかもしれない。 [後記] この当時(1990年の頃?)だったと記憶しているが美祢の「山口ニュージーランド村」にイメージが似ている長崎県の「 長崎オランダ村 」というテーマパークをテレビのCM?で見ていた。今のハウステンボスは未だ無かったように思うがこの当時はこのようなテーマパークが流行っていたのかもしれない。 山口ニュージーランド村の在った場所は今は廃墟となっているようだ。そして全国に4カ所も「ニュージーランド村」が在った、と廃園する頃に聞いたことも思い出した。 続きを読む
「ママレモン」のこと 1月 05, 2018 台所洗剤の「ママレモン」という私たちの世代にとってみれば代表格のブランド名で、 昭和41年 にライオン油脂(現ライオン)から発売された。 なぜいきなり「ママレモン」か?というと、・・・ ママレモンのテレビCMをされていた真屋順子さんが亡くなられたニュースを聴いた。 (ご冥福をお祈りいたします。) そこで思い出したのが「ママレモン」のテレビCMの映像なのだ。 ママレモンCM 当時の台所洗剤といえば「ママレモン」という代表格的なブランドで、手洗い石鹸代わりにも使っていた。「手肌を荒らさない!」というキャッチフレーズと共に一躍トップブランドにのし上がった感がある。 それに対抗してか花王石鹸(花王)から「チェリーナ」という同じく台所洗剤が発売され、 黄色のママレモン に対抗して ピンクのチェリーナ がのし上がってきた。 チェリーナCM ♪「チェリーナ 君の可愛い手」 ♪「チェリーナ 君の可愛い手」 というCMの曲が好き?でよく口ずさんでいた。 どちらも「手肌にやさしい」ことが売り文句だったような記憶だ。 下の「ルナマイルド」(花王)もその仲間だと思う。 ルナマイルドCM ここまでは昭和40年代初期なのだがさらに遡って昭和30年代後半は台所洗剤で 食器も野菜も果物も 洗っていた。 とにかく清潔な生活をするために洗剤という商品が必要不可欠になってきた。ただし排水や汚水の管理がほとんど出来ていなかったためすべて自然界(海や川)へと流されていった。 ワンダフルK ライポンF わが町の当時は昭和41年に「健康の町宣言」をしていたわけで、ママレモンの発売と時期を同じくして健康で清潔な暮らし?をめざしていた頃だった。 ちなみに昭和34年に山口県下で初めての「し尿処理場」が三隅町に出来た。当時としては画期的な事業だったことだろう。稲田町政の初期のことである。 今の健やかな生活の礎を築いてきたこの頃の人々の業績や遺物をけっして疎かにしてはいけないし知っていてほしい。 あれ?ママレモンの話だっけ? 続きを読む
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