遷座の後~兎渡谷のこと

 最近ほっちゃTVにて見事な編集で「兎渡谷の神楽舞」と「権現社の遷座」を紹介された。その兎渡谷のことを自分なりに書き留めておこうと思い立った。

「兎渡谷」と書いて「とどろく」と読む。これに関する詳しいことは依然書き留めたので今回は地形から見た兎渡谷のこと。

地理院地形図より
地形図を見ても兎渡谷集落は権現山の深い谷の出口となっていることがわかる。その昔、「谷口村」と呼ばれていたことが想像できる。
そして権現山の尾根筋(図の破線部)をたどると高い尾根がいくつも連なっていることがわかる。昔は「高尾山」と呼ばれていたことも納得できる。
兎渡谷橋の袂から権現山を眺めると、二つの大きな尾根に阻まれて頂上付近は全く見えない。大きな尾根が別々の山となっている。
2020年11月10日撮影

兎渡谷集落の東側に移動するとやっと権現山の頂上付近が見えだす。
2020年11月10日撮影
権現山は標高560.4mの険しい谷とたくさんの尾根をもった名峰なのだ。
2020年11月10日撮影
およそ570年前は権現山(高尾山)頂上で神楽舞を舞っていた、とあるが古人の業はすごい。

今回、和海山中腹からの遷座で権現社となった兎渡谷自治会の集会所。
2020年11月10日撮影

2020年11月10日撮影

元の現現社があった向山こと和海山。
2020年11月10日撮影

さて権現山をずっと西の小波橋(野波瀬橋)から眺めてみると下のようになだらかな山に見える。
2020年11月10日早朝に撮影

これに騙されてはならない。権現山はとっても険しい山なのです。


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