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1月, 2023の投稿を表示しています

寒い風景

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 今回の寒波は当たり前だが寒かった。積雪量は大したことはなかったが寒さに慣れていない身体にはきついものだった。 今回は暴風雪がなく深々と冷えて行ったので、ひょっとしたらきれいな風景にめぐり合えるのではないかと安直な考えで外に出てみたが手が悴んでうまく撮れない。おかげで思い通りのショットがほとんどなく、メガネはマスクのおかげで曇ってしまうしカメラのレンズには着雪するし結構大変だった。 冬らしい風景が残せただけになってしまった。

今月の野鳥たち~2023年1月

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 三隅川に沿った上東方から下東方の路傍で出会った野鳥たちの記録。 エナガ-1 エナガ-2 エナガは小さな鳥で10羽以上の群れでやってきたのだが逃げ遅れた?一羽のみ撮影できた。遠くから見ると虫が飛び交っているように見えるほど小さい。 メジロ-1 メジロは本当に羽毛がきれいでフワフワしている。 メジロ-2 カワラヒワ ミサゴ 鋭く精悍な顔つきのミサゴ。この後「ピョッ ピョッ ピョッ ピョッ!」と鳴いて飛び去った。魚を主食にするミサゴは三隅川河口から仙崎湾にかけて絶好の猟場らしくダイビングして捕獲する姿をたまに見かける。 ヒヨドリ 冷たい雨をじっと我慢しているように見えたヒヨドリは鳴きもせずしばらく留まっていたので撮影できた。 ジョウビタキ(メス) 桜の木でさえずるジョウビタキはカメラを向けてもジッとしていた。オスはすぐに逃げるのにメスのほうが動じないようだ。 ツグミ 冬の野鳥の代表格?のツグミは時々地面を歩いている姿を見かける。止まったり歩いたりを繰り返すので「だるまさんが転んだ」をやっているように見える。 野鳥の撮影は本当に難しい。待ち構えているわけではないのでこれが精一杯の撮影だ。先日もカメラを片手に上東方から小島まで往復してみたが成果はなしに終わった。だから一枚だけでも撮れたら上出来なのだ。ただ撮れなくてもたくさんの野鳥は観察できる。

野波瀬漁港旧市場の解体

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 先日から野波瀬漁港の旧市場の屋根が撤去され始めた。 この旧市場は県道野波瀬港線の北側の突き当りにある。確か昭和48年に冷蔵庫と共に移転された施設だったと思うが、たくさんのブリ箱や蒸篭箱が山積みされて収容されていた風景が記憶にある。 雨の日の漁協会館と旧市場 現在の漁協会館も昭和49年6月30日に完成しており、48年が経過した老朽施設となってしまった。 旧市場のその後はさら地となるのであろうか?ちょっとした憩いの場でもできれば夏場の夕涼みにもってこいの場所なのだが。

三隅の祠とお地蔵様~小島(再)

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 小島集落の祠や地蔵尊に関しては何度か書き込んだが、墓地に鎮座する 六地蔵 が抜けていたため再度残すことにした。 小島墓地(西墓地?)の入り口で六地蔵尊がお出迎え。 地形でいうと集落の北側に位置する墓地だが、小島山を中心に捉えると西側に位置する。(小島半島の西か?) この墓地から見下ろす仙崎湾の風景が素敵でお墓参りも息が抜ける。 弘法様も新旧二体いらっしゃるがはっきりとした謂れは不明のようだ。 弘法様手前には″弁天様”。 説明板には「 弁歳天社 」と記入されている。 一般的には「弁財天」か「弁才天」なのだがあえて「歳」と書かれているのは理由があるはず。 「三隅の歴史と民俗」には「弁才天社」となっているがこれもまた不明。場所は「小島浦の西のはずれにあって・・・」と説明されているが方角でいうと漁港の真北だ。今でこそ漁港に沿って主要道が走っているがその昔はもっと奥側(小島山)に集落があって今の漁港辺りは集落の西側になっていたのかもしれない。新道が出来ると古い文献は方角の見直しが必要になってくる。

三隅の祠とお地蔵様~杉山(再)

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 以前に杉山のお地蔵様だけを掲載したが、この地の歴史を紐解くともう少し詳細な記録を残したくなり、追記ではなく再掲載することにした。 杉山への道を奥へと南下すると右手にお地蔵さまが鎮座されている。 以前に揚げた時よりこざっぱりしているように感じたが、お世話されている様子も伺えて一安心。 勝屋谷へと向かうと民家の先に「荒神社」がひっそりと建っている。 勝屋谷を引き返して杉山の奥地、梶ヶ原へと向かうと手前に庚申塚がある。この庚申塚は秋芳の大滝地区へとつながる ゆうが峠 の入り口傍にある。 梶ヶ原よりゆうが峠へと向かう道は枯れた孟宗竹に阻まれてほとんど通行できない状態であるが峠頂上の右手には地蔵尊が鎮座されている。 ( 過去ログ にて紹介済み) 説明板には「銅山の伝承があるが詳細は不明」と書かれているが秋芳町八代地区の資料には「三隅からも鉱石が運び込まれ、 大滝のたたら場 で精錬された鉄や銅は奈良の大仏造営に使用するために長登銅山へ運んだ」というような書き込みがある。 地理院地形図より 地形図で計測すると杉山の梶ヶ原からゆうが峠の頂上まではほんの300m程度で、たぶん「たたら場」までは距離が1Km程度ではなかったかと推測する。 地形図もない時代によくぞこのたたら場へ向かう最短ルートを探し当てたものだと感心する。 勘場近くの案内板 案内板には記されていないが毛枕と梶ヶ原の間には「観音寺」という小名が残っている。 観音寺?辺り 桂木山のすぐ北側には「観音寺頭(519m)」と名付けられた山がある。これらから推測すると「観音寺」という寺は秋芳ではなく三隅にあった寺院で、上の写真の辺りにあったのではなかろうか? 銀山で賑った時代には分校があったほどの人々が暮らしていたわけで、お寺があっても不思議はない。ただ時代は銀山で賑った頃ではなく鉄や銅山で賑った?八世紀以降のことかもしれない。手持ちの資料では時代の検証がなかなかできず想像の域を脱せない。

三隅の祠とお地蔵様~浅田

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  浅田集落センター傍の小辻に鎮座されている浅田のお地蔵様。 2022年12月30日撮影 2022年12月30日撮影 新築?のお堂になってきれいにお世話されているご様子。 古八幡にしろ、とにかくきれいでよく整備管理されている。 2022年12月30日撮影 浅田集落はほぼ浅田川に沿って立ち並ぶ。その集落から西福寺へ、さらに古八幡宮へと参詣する旧小路沿いの辻にこのお地蔵さまがいらっしゃるのかもしれない。三隅には延喜式(927年)に見当たる参見(三見)、三隅、意福(於福)と、山陰道と山陽道を繋ぐ街道の馬家が在ったとされている。さらにここ浅田は赤間関街道北道筋と北浦道筋の一里塚が在った(「壱里塚」という小名が残っている)地区でもある。長州藩前大津宰判の頃の街道や小路がはっきりしないが、これほどきれいに整備されている部落にはきっと資料や書留めた文献が残されていることだろうと想像する。

どんど焼きの日~三隅八幡宮

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 令和5年のお正月も過ぎてどんど焼きの日が今年もやってきた。毎年の恒例の行事、そしてお馴染みの風景が見られることの意義や幸福感を犇々と感じられる歳となってきた。 2023年1月9日撮影 2023年1月9日撮影 2023年1月9日撮影 2023年1月9日撮影 2023年1月9日撮影 2023年1月9日撮影 2023年1月9日撮影 お参りをされる方、お世話をされる地元自治会の方、そして八幡様とすべてが心地よく感じられる。 画像よりも映像を残すべきだったように感じた。