権現山から三隅は明けて~令和五年

 毎年同様の行動で元旦を過ごしているが今年も三隅の中心地からの、それも香月泰男画伯の生家のすぐ近くから初日の出を眺めた。

元日の三隅の日の出は確か7時20分頃だったと記憶しているが東の空に朝焼けも混ざってお日様の位置がわかりづらい。

寒さに手が悴んでウロウロしていると今年の一番列車が通過した。山陰本線三隅川橋梁を通過する画にしたくて土手を早足で移動。権現山からの日の出を期待したが時刻が合わず。列車の車窓から漏れる明かりってこんなに暗かったっけ?回送列車と思わせるくらい車内が暗い。

画伯が生まれた1911年(明治44年)には此処三隅にはまだ鉄道が無かった。画伯13歳の時(大正13年)に長門三隅駅が美禰線の終着駅として正明市駅から伸びてきた。その時にはすでに三見駅に向けてこの橋梁の新築工事が進んでいたと思われる。画伯が県立大津中学校の第一期生として自宅から通われていた時代で毎日のように鉄道の延伸工事を眺められていたはず。ひょっとして長門三隅駅から当時の蒸気機関車に乗って大津中学校まで通ったことがあったのかもしれない。(普段は自転車通学だったと想像する?が、まさか…)


空が白んでくると思いきや権現山の稜線は焼けてきた。

三隅中学校の背後におわすは天井山だ。かなり明るくなってきたがまだお日様は見えない。
小波橋から眺めるとこんな感じ。寒さに負けていったん帰宅。

さあ、三隅八幡宮へ初詣に行きます。


参拝が済むとあったかい甘酒を振舞われました。おいしい。
そして元旦祭を拝ませていただく。

穏やかなよき元日。


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