以前に杉山のお地蔵様だけを掲載したが、この地の歴史を紐解くともう少し詳細な記録を残したくなり、追記ではなく再掲載することにした。
杉山への道を奥へと南下すると右手にお地蔵さまが鎮座されている。
以前に揚げた時よりこざっぱりしているように感じたが、お世話されている様子も伺えて一安心。
勝屋谷へと向かうと民家の先に「荒神社」がひっそりと建っている。
勝屋谷を引き返して杉山の奥地、梶ヶ原へと向かうと手前に庚申塚がある。この庚申塚は秋芳の大滝地区へとつながる
ゆうが峠の入り口傍にある。
梶ヶ原よりゆうが峠へと向かう道は枯れた孟宗竹に阻まれてほとんど通行できない状態であるが峠頂上の右手には地蔵尊が鎮座されている。
(過去ログにて紹介済み)説明板には「銅山の伝承があるが詳細は不明」と書かれているが秋芳町八代地区の資料には「三隅からも鉱石が運び込まれ、
大滝のたたら場で精錬された鉄や銅は奈良の大仏造営に使用するために長登銅山へ運んだ」というような書き込みがある。
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| 地理院地形図より |
地形図で計測すると杉山の梶ヶ原からゆうが峠の頂上まではほんの300m程度で、たぶん「たたら場」までは距離が1Km程度ではなかったかと推測する。
地形図もない時代によくぞこのたたら場へ向かう最短ルートを探し当てたものだと感心する。
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| 勘場近くの案内板 |
案内板には記されていないが毛枕と梶ヶ原の間には「観音寺」という小名が残っている。
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| 観音寺?辺り |
桂木山のすぐ北側には「観音寺頭(519m)」と名付けられた山がある。これらから推測すると「観音寺」という寺は秋芳ではなく三隅にあった寺院で、上の写真の辺りにあったのではなかろうか?
銀山で賑った時代には分校があったほどの人々が暮らしていたわけで、お寺があっても不思議はない。ただ時代は銀山で賑った頃ではなく鉄や銅山で賑った?八世紀以降のことかもしれない。手持ちの資料では時代の検証がなかなかできず想像の域を脱せない。
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