三隅の祠とお地蔵様~ゆうが峠のお地蔵様

 杉山で採掘した鉱石は馬に積んで杉山地区梶が原の下から嘉万栢木の大滝の多々良(鉱石精錬所)に運んだとされている。その梶が原の下と大滝を結ぶ峠が「ゆうが峠(勇ヶ峠?)」と聞く。その峠に二体の地蔵尊が小堂の中に鎮座されている。




今回は大滝側から峠を目指した。杉山に下る道は枯れ竹(孟宗竹)が覆いかぶさって荒れ果てており、峠(尾根)から杉山地区を目指すのは困難と判断し三隅側に下りていくことは断念した。そのまま尾根を縦走し観音寺頭(519m)を経て桂木山(701.6m)へと向かった。

上の写真はゆうが峠の尾根の様子だが杉山へ下りる道は全く判断がつかないほど荒れきっていた。大滝側からは微かな踏み跡を頼りに辿り着けたので近年このお地蔵様をお世話されていたのは大滝側から上ってこられた方だと判断する。(大滝地区に住んでおられた3戸が毎年8月24日にお参りして清掃をされている、との資料が残っている。)

地理院地形図

[後記]
杉山銀山跡: 杉山の銀山は天正年間(1590年頃)に開発され約70年間ほど稼業していたと伝えられる。その後も幾度も鉱山再開をはかったようだが資金不足と採掘技術の未熟さが合わさって成功しなかったとある。

大滝の多々良(鉱石精錬所)跡: 桂木山麓緑地自然公園のキャンプ場周辺に740年代頃に在ったと云われている。精錬した鉄や銅(杉山から運び込まれた鉱石)は奈良の大仏造営に使用するために長登り銅山に運んだと云われている。

ゆうが峠(勇ヶ峠?)という名称は未だ確認中で、帆柱山(350.6m)から下った尾根を跨ぐ峠のことだ。杉山側の孟宗竹林が無ければ大谷山(582.9m)がすぐ東側に見えていたはず。古人は馬を引いて何を想いこの峠を越えていたのであろうか。


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