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4月, 2026の投稿を表示しています

春の野鳥2026

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 田おこしも終わりだいぶ暖かくなってきた。我田引水ではないが少しづつ水が引かれた田が目に付くようになった。ということで散歩途中に何とか撮影出来た野鳥の写真を上げてみる。(三隅川下流域の水田地帯で撮影したもの。) キジとコサギ キジのつがい アマサギとコサギ ミサゴ カワウ 下の写真は別の日だが、初めてカワセミの写真が撮れたので残すことにした。 カワセミ 姿はよく見るが撮影は自分では出来ないと思っていた。場所は東関淵。

楫取山

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 岳ノ山と足河内山に挟まれた二条窪にある桜楓山荘跡は楫取素彦旧宅跡地である。 <写真の説明板の記載文> 長州藩医松島家の次男として生まれ、藩儒小田村家の養子となり、後に藩命により楫取素彦と改名した。 江戸の安積艮斎(あさかごんさい)に学び、吉田松陰と深く親交を結んだ。 明倫館都講本役・助教を勤め、藩主毛利敬親公の側近となる。 周布政之助派の一員として尊攘運動に奔走するも、禁門の変、椋梨藤太派によって投獄された。出獄後、薩長同盟成立にも大きな役割を果たし、維新に多くの功績を残した。 明治三年この地に家を建て、村人に植林や開墾を奨励し現在も 楫取山 として広大な美林を残している。 明治九年に初代群馬県令となり、教育や養蚕製紙業に力を入れるなど、名県令と讃えられた。後に、貴族院議員・宮中顧問官歴任し、男爵・正二位に叙せられ、大正元年八十四歳で没した。 妻、寿は松陰の妹でここに小堂を建て、月二回僧侶を招き法座を開いた。今でもその遺風は村人に受け継がれている。 (左右に見えているのが楫取山です。) 長門市教育委員会 ということで楫取山はどれでしょうか?杉、檜の辺りがすべてそうなのでしょうね。 正面の左右 左は足河内山の裾、右は岳ノ山の裾、正面は鉄割山の南峰となります。 真左 真右 明治4年にこの地は大規模な山林火災が発生しており、楫取素彦は村人たちと 山林の復活を目指し造林作業に精を出した、とある。そうして植林された山を村人たちは「楫取山」と呼んだ。 青空の下で撮りたかったがこれもまた良し。

香月泰男美術館の春

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 パリ・カンヌ・ニース・・・、1956年の画伯の「ヨーロッパへの旅」の第一弾が催されている。桜が満開になる前に行ってきたが館内のことはさておき、1953年の日記に画伯の心髄を見た。 ここに美術館周辺の風景を残しておく。 ちょっと失敬してパンフレットに紹介されていた日記の一文を書いてみる。 「私はマルケのパリー風景眺めて居るとパリーなんか行きたくなくなる 余りに寂し過ぎる 毎日毎夕風の日も雪の日も雨の日も日本ばっかり考えて 仕事も手につかないことだろう 私はパリーには行かない 25.11.53」(1953年11月25日) 「香月泰男 ヨーロッパへの旅」展は5月24日まで。もう一度行ってみようかな・・・

川土手の地蔵尊

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 三隅川下流域の土手に鎮座する地蔵尊がある。「豊原のあゆみ」には舟戸から下の土手に六基の地蔵がある、と記されているが今は4基しか見当たらない。 くだ渕のお地蔵様 綾木のお地蔵様(下流方から) 綾木のお地蔵様(上流方から) 舟戸のお地蔵様 久原山を眺める 晴れた日の土手の散歩は気持ちがよいものである。しかしながらこれらの地蔵尊はそれぞれの謂れがはっきりしないものもあるが、川土手に在るがゆえに供養仏ととらえた方がよさそうだ。 地蔵好きの筆者にはたまらない散歩道だ。

木漏れ日の森に咲く

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 久原山トレックを向山登山口から登ると直ぐにヒノキの森を進む。今の時期はヒノキ花粉に悩まされる時期だがそれ以上にこの森は楽しみを与えてくれる。 今年も期待外れなしにコバノミツバツツジが咲き始めた。 先日の台風並みの暴風雨の後にもちゃんと咲いてくれていた。木漏れ日が当たらない場所は未だに蕾だが4月の半ばあたりまで楽しめそうだ。 森の中で咲く花は本当に可憐で愛おしい。 もうすぐフデリンドウも咲きそうだし5月になればギンリョウソウも地肌から顔を出しそうだ。 春の山歩きは楽しみがいっぱい!