踏切が出来ていた
何時ぞや「踏切の話」で何度か旧三隅町エリアの踏切を掲載したが、その後に新しく?踏切が出来ていた。
「豊原第2踏切」という。
「出来ていた」という表現は間違っているのだが元々は「第4種踏切(警標のみの踏切)」であったものが警報機と遮断機の両方が設置された「第1種踏切」に格上げされていた、と表現したほうが正解だ。
踏切の場所としては長門三隅駅構内になるが、豊原墓地へお墓参りをされる方がよく利用される道だったように記憶している。
豊原墓地は元々が今の長門三隅駅舎の南側辺りにあったらしく、大正13年に鉄道が開通する前に当時の鉄道院が買い取って駅の西側に豊原墓地を移転したと記録されている。(「豊原のあゆみ」より)
墓地を移転してまで駅が必要だった、ということであろう。
時代の変遷とはいえ今の駅は寂しくなってしまった。
「豊原第2踏切」という。
「出来ていた」という表現は間違っているのだが元々は「第4種踏切(警標のみの踏切)」であったものが警報機と遮断機の両方が設置された「第1種踏切」に格上げされていた、と表現したほうが正解だ。
2020年08月22日撮影 |
2020年08月22日撮影 |
豊原墓地は元々が今の長門三隅駅舎の南側辺りにあったらしく、大正13年に鉄道が開通する前に当時の鉄道院が買い取って駅の西側に豊原墓地を移転したと記録されている。(「豊原のあゆみ」より)
墓地を移転してまで駅が必要だった、ということであろう。
時代の変遷とはいえ今の駅は寂しくなってしまった。
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