街道松の話し~その後
先日、長門市教育委員会で縁あって写真の整理のお手伝いをさせていただいているときにちょっと気になる写真を見つけた。
上の写真はランナーの服装から推測すると昭和38年(1963年)に開催された山口国体の国体旗搬送の風景と思われる。
写真の場所は三隅上の兎渡谷(とどろく)入り口の少し下だと思われる。道路の曲がりと三隅川の位置関係から間違いないと思う。
この写真を見てすぐに気になりだしたのが「三隅の街道松」のことだ。
比較のため最近の写真をアップしておく。
最初の写真で道路わきの擁壁の向こうに見事な松か杉?が写っている。
たぶんこれも街道松(杉)であると思うが、自分には国体よりもそちらが気になってしょうがない。
今年の4月頃にここで「三隅町の最後の街道松が無くなった」記事を取り上げたのだが、場所が違えどすぐ近くの風景なのだ。
以前アップした三隅広報の記事と拡大写真をもう一度貼り付けておく。
記事の写真ははっきりと分からないが今回見つけた写真は明らかに国道が舗装されていない。そして左下に写っている土管などの残骸は国体かその翌年の東京オリンピックに向けての道路整備の残骸かもしれない。
1枚の写真から色々なことを想像し、当時の時代背景を想いその歴史を感じる。
S38年山口国体? |
写真の場所は三隅上の兎渡谷(とどろく)入り口の少し下だと思われる。道路の曲がりと三隅川の位置関係から間違いないと思う。
この写真を見てすぐに気になりだしたのが「三隅の街道松」のことだ。
比較のため最近の写真をアップしておく。
Googleマップより |
たぶんこれも街道松(杉)であると思うが、自分には国体よりもそちらが気になってしょうがない。
今年の4月頃にここで「三隅町の最後の街道松が無くなった」記事を取り上げたのだが、場所が違えどすぐ近くの風景なのだ。
以前アップした三隅広報の記事と拡大写真をもう一度貼り付けておく。
S50年4月の記事 |
記事の写真の拡大 |
記事の写真ははっきりと分からないが今回見つけた写真は明らかに国道が舗装されていない。そして左下に写っている土管などの残骸は国体かその翌年の東京オリンピックに向けての道路整備の残骸かもしれない。
1枚の写真から色々なことを想像し、当時の時代背景を想いその歴史を感じる。
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