旧三隅町の中心地であった土手から中村へ向かう道の風景を辿ってみた。
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略図 |
上の地図のオレンジ色のラインの旧道だ。
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2018年07月22日撮影-1 |
「土手」という字名(あざめい)は三隅川の堤防沿いに沿った地域であることからつけられた名前で、三隅村だった時代以前より在った道だと思われる。
「中村」という字名も他所(例えば日置町)でも聞いたことがあるが発音が違ったりするのが面白い。
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2018年07月22日撮影-2 |
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2018年07月22日撮影-3 |
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2018年07月22日撮影-4 |
昔の面影?が感じられる一角だが赤レンガブロックが何の跡地かが分からなかった。普通の民家では無いように思えた。土地自体が高台になっていて調べると面白いことが出てきそうな気がする。
そして電柱番号札に驚いた。たいてい字名や地名が書かれているがたぶんこれはネームバリューによる個人名からつけられたものと思われる。とっても粋だ。
香月泰男画伯か、香月春齢(医師であり村長でもあった香月画伯のおじいさん)か、それとも香月周吉(医師であり春齢さんの養子?)か。
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2018年07月22日撮影-5 |
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2018年07月22日撮影-6 |
そしてこの道は「熊野権現社」へと続く。
この辺りの地形を調べると「おどえ」につながり果ては「三隅城」にたどり着くのかもしれない。
いずれにしろ味わい深い道であり、三隅の歴史の一角を担っている場所だ。
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