2024年10月30日水曜日

撮った写真を切り取る

 昭和の時代には素人にはハサミでしかできなかった写真の切り取り(トリミング)。

まずは切り取る前の撮って出しの写真。

2024年10月12日撮影

横にワイドに切り取った。


縦に長く切り取った。

素人ながらいい感じの写真に見えてきた。

何かに使えそうな気がしてきた。・・・

山陰本線 飯井、長門三隅間 三隅川橋梁

切り取っただけで、色彩等の加工は一切なし。

2024年10月22日火曜日

久原山トレック便り~その15

 10月も後半となり「秋深まる」と言いたいところだが超低山は今年はまだまだ紅葉すら見れない。(山の中に入れば微かに紅葉が見れます)

久原山トレックもこれからの季節、山歩きをされる方が増えると予想して荒れた登山道の整備や頂上の草刈りを少しづつだがやってきた。今回はいこいの森の夫婦岩から西のピークまでの登山道と久原山の頂上(地理院地図の頂上とは位置が違う)の草刈りを施行したが強風が吹きさらしてまたまた荒れてしまった。


以下は2024年10月20日の様子。





整備をした後にタマゴタケも発見できた。

ムサシアブミ

三角点(夫婦岩)の様子

紅葉の様子は拝めないが見上げると樹々の隙間から木漏れ日が入ってくる。晴れていればもっときれいかもしれない。

山は人の手が上手に入るとそれなりにお返しを見せてくれる。11月は「ナガトリップ」でのトレッキングも開催されます。

【ナガトリップ】久原山トレック(紅葉編)

2024年10月15日火曜日

豊原神社の餅まき

 豊原神社の今年の大歳祭は9月29日に催された。そしてその日の午後に神社境内で餅まきがあった。





「餅まき」は本来神事から始まっているので神社境内でのこういった風景はとても似合うし違和感がない。さらにこのような自治会の大歳社祭事に伴って催される小規模なもちまきはなおさら楽しい。(自治会の回覧にて周知)
先日(10/12)も中村自治会にて熊野権現社の秋祭りでもちまきが催された。

つい先日まで「猛暑日」と口にしていたのが一変し過ごしやすい気候となってきた。もちがまかれた後に青空を見渡してふっと能登のことを思い出した。

2024年10月7日月曜日

三隅の祠とお地蔵様~三隅の庚申塚

 豊原神社境内の片隅に「三隅地方には珍しい庚申塚がある」。(「」内は三隅町の歴史と民俗より抜粋)(三隅では希少、という意味)

自分の記憶の中では三隅においては庚申塚が3カ所思いつく。上方から順に杉山梶ヶ原、宗頭大歳社境内、豊原神社境内の3カ所だ。

杉山 梶ヶ原の庚申塚
梶ヶ原は杉山最奥地の廃屋が残っている辺りの地名(小名)で、地形でいうと秋芳の大滝地区に最も近いゆうが垰の入口でもある。ただこの垰への道は廃道と化して歩ける状態ではないが杉山銀山採掘坑跡地の近くで最盛期には大滝の精錬所への銀鉱や銅鉱の運搬道であったはず。秋芳の大滝には「たたら跡」があり精錬した鉄や銅を長登銅山に持って行ったと記録があるようです。この流れと庚申塚がどのように結びつくのか、または関係がないのかが不明のままだ。

宗頭 大歳社の庚申塚
旧宗頭大歳社は老朽化が進み立入禁止状態だと思うが社殿横の庚申塚はお世話(縄の付け替え)がされているのであろうか厳しいところだ。「猿田彦の塚」とも呼ばれた庚申塚だ。

豊原神社の庚申塚
気を遣れば列車からでも見れる豊原神社の庚申塚。元々は笠森社(旧大歳社)から移設されたとの謂れがあるが周りの五輪塔もそうなのか不明。

ところでこの庚申塚の「庚申」は「かのえ・さる」で干支から来ていて庚申塔ともいわれ江戸時代初期から建立されていった。ところが明治時代に政府は庚申信仰を迷信と位置づけして街道筋に置かれたものを撤去又は移転していったが、寺社境内や私有地に移転されたもののみが残ったようだ。

先に記したように三隅にはこの三カ所しか思いつかないが過去にはもっと在ったのかもしれない。


2024年10月4日金曜日

鎖峠のトンネル

 タイトルでは「鎖峠(くさりだお)」と書いたが過去には「鎖板峠(くさりいただお)」と呼ばれた宗頭から萩市への峠越えの国道191にある三つの隧道のこと。

峠には萩側から順に鎖坂隧道(くさりざかずいどう)、榎谷隧道(えのきだにずいどう)、白拍子隧道(しらびょうしずいどう)の三つのトンネルがある。

鎖坂隧道と榎谷隧道は昭和40年竣工、白拍子隧道は昭和41年竣工で約60年が経過した古参のトンネルだ。ただし榎谷隧道を並走した榎谷洞道は明治26年に開通した130年を超す歴史遺産だ。以前にも書き込んだことがあったので詳細の記述はおいて今回は「白拍子隧道」のことを書き添える。

本来「白拍子」とは男装した女性が詩吟や和歌を詠いながら舞う芸、またはそれを演じる役者のことで元々は巫女舞から始まっている。調べてみると平安末期から鎌倉初期の頃に生まれた?言葉のようだ。静御前が出てきたのはびっくり。

そんな言葉「白拍子」がなぜに三隅上地区の地名(小名)に残っているのか不思議だが三隅には源範頼の供養塔や墓が存在している。何かの縁(ゆかり)があるのかもしれない。(ただし場所は白拍子トンネルとは少し離れている。)

白拍子トンネルのすぐ北側には三隅では唯一当時の現状を残した赤間関街道の七曲り道(七曲八丁)が残っており、そして日尾川にかかった三見の眼鏡橋と同じ形状の「鎖板橋」もその途中にある。しかしながら全くの未整備で歩ける状態ではない。せっかくの歴史街道がありながら未整備のため沈黙のまま廃れていきそうだ。残念かつ無念だ。

以下は以前上げた榎谷洞道の写真。


撮影時に野生動物の気配(ガサガサ音)がしたので今回は洞道の入口まで行かなかった。未整備の場所は近づかないほうが良い。

最後に鎖坂隧道を残す。


仙崎の鳥居

 先月末から江の川やセンザキッチンのことを書いてきたが、仙崎を歩いてみて一番印象に残ったのが「鳥居」で石仏や祠好きの筆者にはどうしても見逃せないものだ。 そこで今回は仙崎にある鳥居の写真を残すことにした。 まずは仙崎といえば筆頭に来るべき祇園様こと八阪神社の鳥居。 このように八坂...