豊原神社境内の片隅に「三隅地方には珍しい庚申塚がある」。(「」内は三隅町の歴史と民俗より抜粋)(三隅では希少、という意味)
自分の記憶の中では三隅においては庚申塚が3カ所思いつく。上方から順に杉山梶ヶ原、宗頭大歳社境内、豊原神社境内の3カ所だ。
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杉山 梶ヶ原の庚申塚 |
梶ヶ原は杉山最奥地の廃屋が残っている辺りの地名(小名)で、地形でいうと秋芳の大滝地区に最も近いゆうが垰の入口でもある。ただこの垰への道は廃道と化して歩ける状態ではないが杉山銀山採掘坑跡地の近くで最盛期には大滝の精錬所への銀鉱や銅鉱の運搬道であったはず。秋芳の大滝には「たたら跡」があり精錬した鉄や銅を長登銅山に持って行ったと記録があるようです。この流れと庚申塚がどのように結びつくのか、または関係がないのかが不明のままだ。
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宗頭 大歳社の庚申塚 |
旧宗頭大歳社は老朽化が進み立入禁止状態だと思うが社殿横の庚申塚はお世話(縄の付け替え)がされているのであろうか厳しいところだ。「猿田彦の塚」とも呼ばれた庚申塚だ。
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豊原神社の庚申塚 |
気を遣れば列車からでも見れる豊原神社の庚申塚。元々は笠森社(旧大歳社)から移設されたとの謂れがあるが周りの五輪塔もそうなのか不明。
ところでこの庚申塚の「庚申」は「かのえ・さる」で干支から来ていて庚申塔ともいわれ江戸時代初期から建立されていった。ところが明治時代に政府は庚申信仰を迷信と位置づけして街道筋に置かれたものを撤去又は移転していったが、寺社境内や私有地に移転されたもののみが残ったようだ。
先に記したように三隅にはこの三カ所しか思いつかないが過去にはもっと在ったのかもしれない。
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