鎖峠のトンネル

 タイトルでは「鎖峠(くさりだお)」と書いたが過去には「鎖板峠(くさりいただお)」と呼ばれた宗頭から萩市への峠越えの国道191にある三つの隧道のこと。

峠には萩側から順に鎖坂隧道(くさりざかずいどう)、榎谷隧道(えのきだにずいどう)、白拍子隧道(しらびょうしずいどう)の三つのトンネルがある。

鎖坂隧道と榎谷隧道は昭和40年竣工、白拍子隧道は昭和41年竣工で約60年が経過した古参のトンネルだ。ただし榎谷隧道を並走した榎谷洞道は明治26年に開通した130年を超す歴史遺産だ。以前にも書き込んだことがあったので詳細の記述はおいて今回は「白拍子隧道」のことを書き添える。

本来「白拍子」とは男装した女性が詩吟や和歌を詠いながら舞う芸、またはそれを演じる役者のことで元々は巫女舞から始まっている。調べてみると平安末期から鎌倉初期の頃に生まれた?言葉のようだ。静御前が出てきたのはびっくり。

そんな言葉「白拍子」がなぜに三隅上地区の地名(小名)に残っているのか不思議だが三隅には源範頼の供養塔や墓が存在している。何かの縁(ゆかり)があるのかもしれない。(ただし場所は白拍子トンネルとは少し離れている。)

白拍子トンネルのすぐ北側には三隅では唯一当時の現状を残した赤間関街道の七曲り道(七曲八丁)が残っており、そして日尾川にかかった三見の眼鏡橋と同じ形状の「鎖板橋」もその途中にある。しかしながら全くの未整備で歩ける状態ではない。せっかくの歴史街道がありながら未整備のため沈黙のまま廃れていきそうだ。残念かつ無念だ。

以下は以前上げた榎谷洞道の写真。


撮影時に野生動物の気配(ガサガサ音)がしたので今回は洞道の入口まで行かなかった。未整備の場所は近づかないほうが良い。

最後に鎖坂隧道を残す。


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