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「帰ル堤」のこと

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 長門市東深川の旧街道(赤間関街道)沿いに「帰ル堤(かえるづつみ)」という溜め池がある。 現在の長門総合病院前の道筋を西に進み、緑ヶ丘にて国道191号線に沿うように街道を進むと直ぐに左手にため池が現れる。このため池はいつの頃からか「帰ル堤」と呼ばれ、そこに大きなエノキがあったらしい。(今も在るのかどうかわからなかった。) 北側から観る帰ル堤 南側から観る帰ル堤 エノキは一里塚によく植えられたとのこと。防長風土注進案で云うところの「帰ル堤壱里塚」がこの近辺に在った可能性が高い。 長門高等学校 帰ル堤南端の「長門高等学校」を左に過ごし、さらに進むと現在の国道191号を跨ぐ。 そして右に長門市役所、さらに直進すると吉亀旅館前の北道筋と北浦道筋の分岐(正明市四ツ辻)へと進む。長門市役所は古くは前大津宰判勘場が在った場所で、1751年に三隅村豊原から勘場が移された。 赤間関街道が国道と交差 昔の気配はほとんど感じられないが、地図を確認しながら歩くのはやはり楽しい。街道筋に案内板でもあればもっと楽しめるに違いない。 「カエルが鳴くからか~えろ」って如何にもな場所だ。

仙崎の鳥居

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 先月末から江の川やセンザキッチンのことを書いてきたが、仙崎を歩いてみて一番印象に残ったのが「鳥居」で石仏や祠好きの筆者にはどうしても見逃せないものだ。 そこで今回は仙崎にある鳥居の写真を残すことにした。 まずは仙崎といえば筆頭に来るべき祇園様こと八阪神社の鳥居。 このように八坂神社には何箇所かの鳥居がある。 八坂神社は歴史が古く、遣唐使の吉備真備が733年に青海島の王子山の地に素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀った祇園社を創建したことに始まる。定かではないが当時の青海島は本土と陸続きであったとされる。その後1216年に暴風雨で社殿が崩壊したためその3年後に洲崎の地に移った。そして1672年の瀬戸崎(現、仙崎)の大火で洲崎の社殿が類焼したため1678年に現在の位置に移って洲崎を古祇園とした。 古祇園こと洲崎神社にも立派な社殿と鳥居がある。 次は弁天島。江戸時代には「松生島」と呼ばれていたらしい。平成6年に人工島が完成して徒歩で参詣ができるようになった。 扁額には「厳島神社」とある。(三隅の兎渡谷の向山中腹に摂社があります。) 次は田屋の「三宝大荒神」こと荒神様。 三上山(さんじょうやま)の北端に位置する田屋の荒神様は仏・法・僧の三宝を守る。そして荒神様はかまど神ともいわれる。社殿に合祀された「三上社」は役行者(えんのぎょうじゃ)の木像がおられるとのこと。 そして田屋といえば六地蔵は外せない。 火除けのために願掛けして祀ったとされる田屋の六地蔵。 最後は白潟の荒神様?か正体がわからなかった社殿。 地元の方に聞けばよかったが未だに神社名が分からない。場所的に白潟の荒神様とした。 分かり次第更新することにする。 まだまだ鳥居はあるのかもしれないが今回はここまでとする。

センザキッチンのこと

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 長門市初の「道の駅」センザキッチンがグランドオープン(2018.4.20)して8年が経過しようとしている。(直売所だけはオープンしてからは8年が過ぎた。) 風見鯨? 以上の写真は先月に撮影したもの。寒さも手伝って人が入り込まないように外観を写したつもりだが相変わらずの盛況?ぶりで駐車場はいっぱいだ。 以下は建設中のころの2枚。(2017.4) 以下2枚はグランドオープンした少し後の風景。(2018.5) 鯨のモニュメントは確か台風の影響だったか小鯨が落下してしまい、その後の安全性をはかるため親鯨も撤去された。そしてこの写真の片隅に写っていた「引揚記念碑及びモニュメント」は今は無くなっている。 昨年の9月だったか終戦後の海外引揚80周年記念事業で仙崎引揚の跡地にあった碑が新しく石碑に建て替えられた。 ↓ このように石碑を残す事業はとっても大切なことで、記憶にある方やその家族の方々、そして引き継いでいく世代にとっても重要な遺構となるはずだ。 ということで先ほどのセンザキッチンに在った引揚記念碑とモニュメントは何処に行ってしまったのだろうか?元々はセンザキッチンの前身である「青海島観光基地」の頃から在った記念碑とモニュメントなのだが。