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朝刊が届かなかった日から一年が経った

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 厚狭川の氾濫で美祢線の橋梁が流されて1年が経った。今思えば自分にとって事の始まりは昨年の7月1日の朝刊の未配達だった。 明け方まで雨が降り続き小康状態になった隙に三隅川の状況を見に行った。かなり増水していることを確認して帰宅したが、未だに朝刊が届いていない。はて? その日は時が経つにつれ、山口市や美祢市等に災害が発生していることが明らかになっていった。さらに美祢線や山陰本線も運休していることが判ってきた。夕方だった?と記憶しているが美祢線の橋梁が何ヶ所?か崩落して流されていることがテレビで映された。 しかしこの時はまだ朝刊の未配達には思いが結びつかなかった。 7月2日朝刊の折り込みチラシ そして2日の朝刊にこのようなお知らせが折り込んであった。 そうだったのか、という納得のすぐ後に運転手は無事だったのかと心配が過ったことを思い出した。 美祢線の四郎ケ原、南大嶺間の第6厚狭川橋梁が流されて1年が経ったわけで今もそのままの状態なのかどうかは知らないが廃線の危機に追いやられていることは変わっていない。 時の流れの速さを思い知るとともに今の時代は何が起きるかわからない恐怖を改めて感じさせられる出来事だった。 この災害には多数の方々が色々の思いや記憶が残されていったことだと思うが明日は我が身と自覚してこのような雑記を残しておく。