三隅の祠とお地蔵様~東善寺
ちょっとしたきっかけで野波瀬の地蔵山東善寺にお参りに行けることになった。
以前に上げた地蔵埼のお地蔵様の御本体(地蔵崎のものは仮の地蔵尊らしい)が野波瀬の東善寺に祀ってあるとのことで、室生観音(三隅七観音の一つ)像も含めて拝ませていただいた。
室生の釈迦堂に在ったとされる釈迦如来像本尊?なのか、観世音菩薩なのかはっきりしないが「野波瀬に生きる(漁協創立30周年記念誌)」には御丈18cmと記されている。この御像が室生観音なのか、資料により記し方が様々で混乱する。
因みに室生観音は古より「三隅七観音」の一つとされている。
地蔵崎のお地蔵様(石仏)も実際に網にかかったと云い伝えられる地蔵尊がどれなのかはっきりしない。
自分の薄い知識と読解力不足で過去の資料が理解できない部分が多々あり、さらなる研鑽を要している。解明出来たら再度書き込むことにしよう。
【参考】
地蔵尊は、むかしこの浦(野波瀬浦)の漁師達の網に掛かり、引き上げられたものと伝えており、いまそのところを地藏崎といいならされ、その位置と伝えられる海底には二メートル平方ほどの面積に、一本の海藻も生え育たず、不思議なことといわれ、全く尊蔵の出現された奇瑞だろうといわれている。
また、如意輪観世音菩薩は元暦の頃(一一八四~一一八五)平氏が壇ノ浦に滅亡した後、源氏の大将(範頼か)が長門の国を領したとき、ある夜のこと霊夢に感じ、観音像を野波瀬と室生間に安置し、人々はこの山を「観音山」といった。しかし、この観音様はいかなることか、一夜、この地に飛んで来て、このことを浦人たちの枕辺に立って霊夢をもって告げ給うたので、驚いた人々はさっそく駆け登って見ると野天のもとに立たせ給うので、一同相談して寺内に一宇の御堂を建立し、これを安置したと伝えられている。(「三隅町の歴史と民俗」より)
コメント
コメントを投稿