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三隅八幡宮の一大事

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 昨日通りすがりに三隅八幡宮に寄ってみたところ、鳥居が無くなっていることに気づいた。これは驚いた。 お掃除をされていた方にお話を聞くと強度不足で倒壊の恐れがあるため撤去されたとのこと。 仮設の木製の鳥居は正直なところ貧弱で寂しい。 一の鳥居 燈篭 境内 ところで、撤去された鳥居は「三隅八幡宮」のHPによると、柱にひび割れがあり専門家に診ていただいたところ倒壊の恐れがあるということで早急に撤去されたとのこと。 元禄年間に建てられたと伝わる(HPより)この鳥居は320年程度の風雨に耐えており考えてみるとよくぞ今まで持ちこたえたものだ。 元禄時代というとまず思い浮かぶのが「元禄文化」で松尾芭蕉、菱川師宣や近松門左衛門が活躍した時代だったと思うが俄然現実味を帯びてきた。 早く新しい鳥居が建植されることを願い、初詣に行こう。

雪景色~美東町綾木

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 古くは美祢宰判の南東部に位置する綾木村は四ノ瀬、薬王寺(やこうじ)、影平辺りの冬の風景。(2023年12月21日撮影) 西鳳翩山(741.9m)や丸岳(556m)を介して山口市と接する山麓の里山の風景だが、風の止んだ冷たい空気の中での散歩は本当に気分が上がる。特に四ノ瀬の枯れ桜や鳳鳴地区の雪景色は素敵だが、午後には解けて違った風景になる。そしてドカ雪ではなくこの程度の雪がちょうどよい。 過去には山間部ならどこでも普通に見れていた冬の風景だが最近はなかなかお目にかかれないように感じる。

長門三隅駅舎に思う

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  長門三隅駅 が開業して来年の11月3日でちょうど100年目となる、といっても今となっては赤字による廃線の危機に面している(山陰本線、益田-長門市間)わけで「100年目のアニバーサリーイヤー」なんてほとんど知られていないしどうでもよいって風潮だ。 実はこの長門三隅駅は大正13年11月3日にとなりの正明市駅(現、長門市駅)から美禰線の延伸で営業開始された駅で、正明市駅は同年の3月23日に先行して開業されている。といったことで来年(令和6年)が現・美祢線(厚狭-長門市間)の全線開業100周年となるため記念ラッピング車両などで少し盛り上がっていたが、今年6月末の豪雨災害によりそれどころではなくなってしまい、未だに美祢線は全線不通の状態が続いている。 これまでにも何度となく長門三隅駅のことを書き込んできたが今一度振り返ってみる。 大正13年11月3日 に長門三隅駅開業に伴い 三隅村役場 から「 三隅志要 」という小冊子が発行されている。巻頭に数枚のモノクロ写真が綴じられているが表紙をめくるとトップに 久原山を背景にした長門三隅驛 の全容が現れる。 約五十頁にわたり「三隅」のことが集約された今となっては貴重な資料冊子で、本編の後には「祝開通」なる各種宣伝が綴られている。鉄道駅の発足にかなり賑わった当時の様子がうかがえる。 その後昭和8年に京都~幡生間が全通したことをきっかけに山陰本線に編入された。今は2面2線の駅とされているが元々は南側に3番線があり上下発着線として機能していた。3番線に夜間留置車両が居た時代もあった。 こ線橋より長門市方面 こ線橋より萩方面 国鉄米子鉄道管理局時代の山陰本線の自動信号化の最後の駅で、米子CTCセンターにて制御されていたがこれを機に駅の無人化が進んでいった。その後JR西日本広島支社長門鉄道部の管理駅となり、さらにCTCセンターも(益田)-長門市間が米子から広島に移された。 さて、話はタイトルの「駅舎」に戻るが最初の写真を見てのとおりで正面入り口がシャッターで閉じられている。右側に造られた言い訳程度の通路兼待合室にてプラットフォームに出られる。当然無人駅で改札もない。元々の駅舎は「はつらつステーションみすみ」という名称で条例まで作って市の管理となっていた。実際は公職選挙の投票所としてシャッターが開く程度だ。 無人にするから人が来ない、列車本数が

三隅川下流域散歩

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 肌寒い中、小波橋から琴橋まで三隅川両側の土手道を散歩。雲間からお天道様がのぞくと気持ち良い。小春日和といって良いかどうかの微妙な天候。 舟戸のお地蔵さまから空模様を眺める。 蓼原の草の刈られた土手は歩きやすい。 振り返ってみると来た道は時代劇で使えそうな素敵な道。だけど靴にはひっつきもんつき(センダングサ?)がいっぱいくっついていた。 四体目のお地蔵さまは立ち止まって拝む方が少なからずいらっしゃるとのこと。石仏好きにはたまらない風景だ。 上東方の船着き場辺り。 ここでも振り返ると久原山ヤマモモルートの稜線が見渡せる。 下東方の集落が見えてきた。 画に描けそうな風景だ。香月泰男画伯も絶対に立ち止まったはず。 琴橋は修繕工事の真っ最中だ。 琴橋から三隅川河口を眺める。平成の時代まで海苔養殖の竹竿がたくさん刺さっていた風景だったが今はさっぱりとした風景になってしまった。 来た道の対岸から三隅ミニアルプスを眺める。 ほんの少しだけ頂を覗かす桂木山は目の前の三隅川の源流を有す。なんて雄大な風景であろう。 正面奥は天井山の輪郭が映る。 東方のポンプ小屋越しに久原山頂上を臨む。 山肌の紅葉はこれからもっと色づくに違いない。 今年も残りひと月を切った冬の散歩道。

穏やかな仙崎湾~久原山北尾根から

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 久原山トレック向山ヤマモモルート途中のビューポイントから眺める仙崎湾。 正面は青海島東端の通(かよい) 通小学校の体育館 湾内に浮かぶタンカー 真ん中は幸島 室生漁港全景 釣りデッキと養殖筏 ほぼ無風状態の湾内は、潮目がはっきりしない時合には画にかいたような風景となる。 今年は山の紅葉が遅いせいか、晩秋の風景とは思えないが撮影は11月下旬のもの。

長門市駅前通り旧道入口の夕刻

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 前回の「冬が近づくと・・・」の続編だが夕方の風景を撮ってみた。 こういったライトアップは冬の風物詩としてはとっても素敵で、すでに毎年の楽しみになってきている。 冷たい冬の空気が加担していっそう素敵な風景にしてくれる。あれっ!まだ11月だった。

冬が近づくと~長門市駅前旧道入口

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 山肌の紅葉がいまいち目立たない今年の晩秋だが、街中の景色は秋から冬に変化している。 2023年11月19日撮影 辺りが暗くなってくると一層きれいに見えるのだが今回は青空の下での撮影。 2023年11月19日撮影 2023年11月19日撮影 2023年11月19日撮影 下の写真と比べると印鑑屋さんが無くなってしまっている。過去にお世話になったお店だけにシャッターを切るのを一瞬躊躇った。 2021年12月4日撮影 此処の近辺は県道仙崎港線が長門税務署に向けて新ルートとなって、通過する車は便利になったが地元民は絶対に不便になっていると思われるのだがいかがでしょう?。 高校生の頃には本当によく行き来した通りであったが、新ルートが出来てから記憶がどんどん去っていく。半世紀が過ぎると当たり前なのかもしれないが過去の気配を見つけると同時に寂しさがこみあがってくる。

三隅の祠とお地蔵様~正楽寺(再)

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 三隅川の支流、大竹川の最上流域に位置する正楽寺集落は天井山を背にし真木村の奥畑とも行き来があった。 廃寺となった「正楽寺」が地名の由来とされている。 「正楽寺」の廃寺跡? 場所ははっきりしないがたぶんこの位置に在ったと推測される。 正楽寺集落のほぼ入口に鎮座するお地蔵様の裏手には、三隅七観音の一つ「正楽寺観音」のお堂が建立されている。 堂中の拝見はできなかったが真言宗僧の手による観音様の木像が安置されているとのこと。 集落の奥へと進むと大明神のご神体と祠が祀られるお堂が隠れるように建っている。昔はもっと上の山中深くにあったとのこと。 知らないと通り過ぎそうだ。 (上の写真は通り過ぎた後に振り向いて撮影したもの) ところで大明神に向かう途中に下のような石柱(石碑?石塚?)を見つけたが、いったい何だろうか。 供養塔か何かの塚に思える形態だがそういえば津雲にあった河童塚にも似ている。判明したら再度書き込むことにしよう。