三隅の祠とお地蔵様~久原(続編)

 過去に一度久原地区のお地蔵様を上げたが今回はその続編。

旧三隅町で一番古いと思われる石仏。(寛保元年四月十四日?=1741年4月14日)この石仏は薬師堂の跡地にいらっしゃるとのことで現在の公会堂の場所に薬師堂が在ったのであろう。
石仏横の塔には、はっきりしないが「雲岳衍靜禪師塔」?と刻まれているように見える。薬師寺の僧の名前かな?それとも石仏の作者か。

下は以前に書き込んだ久原地区の墓地に向かう途中の地蔵尊。

そして久原山登山口の大歳社。
久原山頂上の祠のご神体がこの大歳社に一緒に祀られていると聞いた。
山頂の祠は元々ここに薬師寺が在った場所に置かれた祠とのこと。
その昔江戸時代には久原山は坊ノ辻山と呼ばれていたようです。

ところで久原集落の背になる久原山の山頂のことだが、三隅町の地籍調査用に植えられた地籍図根三角点の位置に地理院地形図には標高点がうってある。
問題なのはその標高点左側に「久原山」と山名が振ってあるがために地形図の山頂は古くから地元民が云う祠のある山頂と違ってくる。GPS搭載アプリで確認すると204と記された標高点の標高は199mとなる。(因みに地元で云う山頂でみると202mとなる。)誤差は当然あるが、なぜこのような事象が発生したのか不思議でならない。
地理院地形図より
「北峰と南峰」と記した山歩きの手記なども見当たるが防長風土注進案や地下上申を漁ってもはっきりしない。
山頂の祠が薬師寺の跡だとすると標高からしてもやはりこちらが久原山山頂であるべきで、地元民や登山者を迷わす地形図を修正する必要があると思う。

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