久原山山頂のこと

 久原山の登山コースがスマートフォンアプリの「YAMAP」に追加されて以来、少しづつではあるが長門市外よりの登山者が増えてきているように見受ける。そのYAMAPの活動記録を拝見するとほとんどの方が山頂が二つあることに気付かれていて、地元でいう山頂(案内板やパンフレット)と、YAMAPの地図(本来は国土地理院地図)の山頂の位置が違うため困惑されている記述が目立つ。

地理院地形図より
赤い枠線と赤い文字は勝手に追記したものだが昭和の時代(後半)より地理院地図は北側の標高点を打った位置に「久原山」と記されている。ところが地元三隅町民は過去より赤い文字の南側の地点を久原山山頂としてきた。
「防長山野へのいざない」を拝見すると北峰、中峰、南峰のような表現が見当たるが決め手となる記述に辿り着かない。
さらに歴史を遡るため「防長風土注進案」も漁ったが山頂の手掛かりとなる記述が見れず。
三隅町で言われる山頂の風景
時代は平成になって三隅町が御来光登山を企画したときにこの南峰山頂の雑木が伐採されたが、それ以前から明倫小学校の遠足?登山でここに登っていた。当時は植林のおかげか「はげ山」で真下の町役場の建屋などが見えていた。

いよいよ決め手がないので「山頂」の定義である標高を地点ごとにスマートフォンのGPS機能を利用してアプリで測定してみる。




測定誤差は在ろうもののやはり山頂(標高の一番高いところ)は祠のある南峰で、北峰や中峰はやや低い。

久原山は三角点がないので国土地理院が三隅町の地籍調査用の図根三角点を目途に標高点を入れたのか、先に地理院が標高点を入れたから三隅町が地籍図根三角点を植えたのかがはっきりしないがGPS測定からすると現状の地形図の山名と標高点は位置が違っているとしか思えない。

先だっても二条窪と真木を結ぶ峠の名称が違っていることがあって、地形図の修正ができたこともあったのでこのことも市に相談を上げてみようかと思う。

似たような記述を以前にも上げたがYAMAPの利用者のためだけでなく地元のためにも何とかせねば、と思い再度書き込む。

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