萩市の松陰神社は何度か訪れたがすぐ近くの伊藤博文旧宅は初めて訪れた。当然のこと?ながら旧宅傍に別邸があることも初めて知った。
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旧宅 |
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別邸 |
別邸は現・東京都品川区大井町に明治40年頃に建設された邸宅からその一部を運んで新たにこの地に建築されたものとのこと。知らないことだらけだった。
(建設された時代が違うので博文公はこの別邸には住まれていない。)移築元の東京の邸宅はたぶん現在の「伊藤博文公・墓所」にあったものと推測するが、東海道新幹線の品川駅を出発してすぐのJR西大井駅の近くでこちらも訪れたこともない。
旧宅の駐車場から眺めた田床山の風貌。博文公も眺めたに違いない風景だ。
[後記] 伊藤博文は天保年代に旧熊毛郡(現・光市)に生まれ9歳の時に萩市に移住して来ている。十九歳で桂小五郎と江戸へ向かっているので最低10年間は萩で暮らしたことになる。旧宅を拝見する限りは質素な生活だったように偲ばれる。博文(当時は伊藤俊輔?)が江戸へ出た3年後の文久二年に高知では牧野富太郎が生まれている。「らんまん」のストーリーが始まる。何の接点もないが二人は同時代を生きていたわけで想像するだけでわくわくする。日本が想像を超えて激動する時代だ。
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