2024年8月27日火曜日

ゆり根を掘る~作業の進化

 グループの活動資金調達のため、ゆり根を掘り出し出荷する、という作業なのだが炎天下での殺人的な熱さを予想していたが早朝ということもあり割と涼しいスタートだった。



トラクターで畝を掘り起こし、出てきたゆり根を拾っていくという単純作業だったが見ての通り空は今にも降り出しそうな厚い雲。
結局強烈な雷雨となって作業は中止となったがここで驚いた光景を目にした。ゆり根の選別や休憩用に設置したテント内でのこと。突然の土砂降りで避難したこのテント内で何人かの方々がスマートフォンにて雨雲レーダーで降り止む時間を確認されていたことだ。何年か前では西の空を眺めるだけで、これは絶対にありえない光景だ。それぞれアプリは違っていたがほぼ同じ予想で「今日は午後まで雨は止まない」とのことで本日の作業は途中中止となった。
雨雲レーダーの参考画面
実は先日も八代盆地で田の畔にて二人の方がドローン操作で農薬を散布されているところを目撃した。操作される方と指示される方に分かれて見事な作業をされていた。

これら両者とも情報技術の先には人間の判断が関与しており、それが納得のいく結果となっているところが良い。すばらしい進化だと思う。


2024年8月21日水曜日

小浜峠のこと

 三隅村から深川村へ行くには小浜峠(こはまだお)を越えて行く。とは言え、現代においては整備された国道のおかげで峠を越すイメージはほぼ無い。

下の写真は深川側から三隅方面に向かって行くカット。


左にJR山陰線、さらに左は小浜山(中心部は白はげ山と呼ばれる)で、峠らしく見える。
1980年代までここは歩行者及び自転車専用帯などなく、片側一車線の狭い道で車でも来ようものなら自転車で通行するのがかなり危険で厳しい道だった。
この小浜山には過去より古墳時代前期の遺跡が見つかっており、「小浜山遺跡」として発掘されている。さらにその周辺には糘塚(すくもづか)をはじめ、西ノ木(さいのき)、森ヶ岨(もりがすわ)、三上山(さんじょうやま)の古墳群がある。

小浜峠は現在は標高約15m?程度だと思われるが赤間関街道であった頃はもう少し高かったはずで険しい道だったようだ。隣の村へ行くだけで大変だったことを思うこともほぼ無くなってきた。


2024年8月13日火曜日

豊原、二条窪、平野の暑い夏

 三隅八幡宮の田頭御神幸祭は8/1~8/25で、その中で8/11に豊原・二条窪・平野の神輿神幸(お下がり)が奉納されました。


お下がり神事

上沖田

豊原神社

八丁井手取水口
三隅八幡宮→上沖田→仏の垰→柳の森→二条窪集落センター→片川「河内口」→八丁沖田→ご謹慎場→平野公会堂→平野〇〇さん宅(お寄り門)→長門三隅駅→豊原〇〇さん宅(お寄り門)→豊原神社→豊原コミュニティセンター→四つ角(河内旅館前)→下町→八丁取水口→三隅八幡宮

田頭神幸祭(でんどうみゆきまつり)は害虫駆除や豊作を願って村の要所をめぐって神様がお勤めをします。その先々で神輿を担ぎます。昔は放り神輿をされていましたが安全の観点から今は神輿を揺らすだけになっています。
どちらにしろきつさは変わらないように思いますが担ぎ手は汗まみれです。
放り神輿
写真はほんの一部のみで分かりづらいのですが、大勢の方々が出ていらっしゃいました。それはそれはすばらしい神事(お祭り)でした。


2024年8月7日水曜日

穏やかな朝の深川湾

 黄波戸の長崎瀬から眺める夏の朝の深川湾の風景は、見慣れた仙崎湾とまた違った穏やかさに包まれている。

撮影日は2024.08.04





もう少し早い時間だったらラジオ体操の音でも聞こえそうなくらい静かな朝で、波の音もしない静寂のおかげで日本海であることを忘れてしまいそうだった。
そういえば約1年間止まっていた山陰本線(山陰線?)の列車が長門市、人丸間を走りだした。まだバス代行と並行した運行状況のようだがこの風景の撮影地は黄波戸駅のすぐ下になる。そしてこの「長崎」という場所は何年か前まで温泉が湧き出ていて海へと垂れ流されていた時代がある。何回かお風呂の足しに汲みに来たことがあったが今は枯れているのであろうか?その様子は伺えなかった。

後記:黄波戸の「長崎」という地名は「ながさこ」と読む。何かの文献でその由来を読んだ記憶があるがすっかり忘れてしまった。駅前には「仙崎屋」という旅館があるし他所から来た方は紛らわしいかもしれない。


2024年8月1日木曜日

郵便料金が変わります

 今年の10月1日から郵便料金が変わる。


「郵便サービスの安定的な提供を維持していくため」とのこと。

ところで新料金の普通切手のデザインだが・・・
よい!

「普通切手」は時代の顔
明治4年(1871年)、日本の近代郵便創業とともに日本の切手の歴史が始まりました。その折に発行された龍文切手4種以来、普通切手は人々の生活に密着し、長らく通信手段の根幹を支え続けてきました。また、移り変わる郵便料金体系に対応し、各種額面を揃えて発行されるため、シリーズとしての命名がされてきました。そしてひとつひとつのシリーズには、その時々にふさわしい図案が描かれ、時代の顔として私たちの記憶に刻まれています。(公益財団法人 日本郵趣協会発行「日本切手カタログ 普通切手編」より抜粋)

「通信手段の根幹」が、すでに懐かしいパソコン通信、そしてインターネットメールへと変化し、さらにSNSへと変化してきた現代、「郵便」を見直す時が来たのかもしれない。とはいえこの通信技術(特にスマホ)のスピード感はついていけないと思うことがしばしば。

ここで私自身の「郵便の歴史(年賀状を除く)」を考えてみると、小学生の頃は漫画雑誌(少年画報や冒険王)での懸賞の応募に始まり、中学生の頃はたまにだがラジオの深夜放送へのリクエストはがきを書く程度。懸賞の応募に関してはその後もかなりの応募をした記憶がある。そして今でも時々応募している。ネットでの応募はせずにはがきや封書で応募するようにしている。郵便だけの頃はゆったりとした時が流れていたがドキドキワクワク感は今の何倍もあったように思う。すっかりと「爺さん」になってしまった。


「帰ル堤」のこと

 長門市東深川の旧街道(赤間関街道)沿いに「帰ル堤(かえるづつみ)」という溜め池がある。 現在の長門総合病院前の道筋を西に進み、緑ヶ丘にて国道191号線に沿うように街道を進むと直ぐに左手にため池が現れる。このため池はいつの頃からか「帰ル堤」と呼ばれ、そこに大きなエノキがあったらし...