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9月, 2016の投稿を表示しています

三隅川の橋その3~久原橋

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久原橋は、小学から中学にかけて通学時に毎日見ていたような身近な橋なのに渡った記憶がほとんどない。 昭和31年3月竣工と銘があるので以前アップしたように、水害の後の河川整備のときに川幅に合わせて架け替えたと思われる。 2006年11月4日撮影  香月泰男画伯も見ていた風景がここにあります。見え方や想いはが違うかもしれませんが、少しの時代(とき)でも同じ風景を見ていたと思うと感慨深いものがある。 2015年05月02日撮影 2015年05月02日撮影  「久原橋」なのか「久ばら橋」なのかよくわからない。両端の記銘が違う。 2015年05月02日撮影

木漏れ日の権現社

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中村熊野権現社には「なぎ」の大木がある。 紀伊半島、熊野三山(熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社)の神木である「なぎ(力しば)の木」が境内にあることを思うと、世界遺産登録地の所縁があるのかもしれない。松江にも熊野大社があるし本当の所縁は和歌山県なのか島根県なのか、または全く別の社なのか、神様の世界は難しい。 現地の説明書きには本社三隅八幡宮の摂社(本社の祭神と縁故の深い神を祭った社)とある。 2006年10月12日撮影-1 お昼過ぎの「秋の陽」のあたる様子。 2006年10月12日撮影-2 参詣される方を見つけて後姿をちゃっかり一枚撮影。とっても好きな絵柄です。

三隅川の橋 番外編 JR山陰本線 三隅川橋梁

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この近辺の景色はいつの季節も絵になるし、三隅に生まれ育った者なら誰しもがホッとする場所だと思う。 2015年04月02日撮影  汽車に乗って鉄橋を渡ると「ガタン・ゴトン」の音が大きく響く。「カンカンカン・・・」三隅踏切の警報音が近づく。「ポー」っという警笛でも聞こえるととっても喜びます。 2015年05月02日撮影  三隅町役場と三隅中学校を背景に走る花燃ゆのラッピング車両。 2016年06月11日撮影

三隅川の橋その2~琴橋

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三隅川に架かった橋の2回目は琴橋です。朱色に塗られた橋体が川面に映っているときが一番の見どころです。 2007年1月5日撮影  ゴルフ練習場のネットが背景にあり(今は無い)、冬の風物詩である小島の海苔の収穫の風景です。 2007年8月21日撮影-1  海から押し寄せてくる潮に耐えている様子の夏の琴橋。 2007年8月21日撮影-2  歩いて渡ると、欄干の低さにびっくりすると思います。 2007年8月21日撮影-3 琴橋や琴影橋に、なぜ「琴」が名前についているのかいつか調べてみます。過去に誰かに聞いた記憶があるのですがすっかり忘れてしまいました。

三隅川の橋その1~琴影橋

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三隅川に架かっている橋のシリーズ第1回は琴影橋です。 2015年09月22日撮影-1  刻印には「大正六年二月」とあります。たぶん木橋の頃だと思います。生まれていないのでさっぱりイメージが湧きません。欄干が新しくなっています。 2015年09月22日撮影-2 2012年06月12日撮影-1 橋柱右に「 昭和三十年六月??・・・」と刻銘があります。 昭和29年の大水害?の後に改修工事か補強工事があり、完成した時の年月日だと思いますが、写真ではっきり見えません。今度通るときにもう一度確認します。 2012年06月12日撮影-2 中学生のころ八幡様や生島の友だちの家に遊びに行くときに必ず通っていた橋で、渡った後の下り坂を自転車で下るときに怖かった記憶があります。

椰子ではなくシュロだった

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昔、公民館の玄関の両サイドにヤシの木(実はシュロの木)がありここは南国ではないから椰子の実が成らないのだ、と思ったことがありました。色々な場所でシュロの木をみては思っていました。僕はとってもバカだったのだ。 2本立っている木がそれだと思うけど、2014年12月4日のアップロードテストを見ると3本あるように見える。 2009年3月24日撮影-2  下の写真は、シュロの木ではなく、三隅中学校を主体に撮影したものです。 数ある三隅中学校の写真の中で一番好きな画像です。 2009年3月24日撮影-1 吉田拓郎さんの歌詞で「シュロの木の下で~」という好きな歌があるのだけど側に建物が無いのでここではイメージが違います。 想いでの場所や風景が次から次へと変わっていきます。ちょっとした名残を見つけると少し嬉しくなります。

飯井のこと

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飯井駅は坂道を昇っていく。駅の住所は萩市三見だけど自分にとっては三隅町のイメージがつよかった。最近の鉄道ブームで撮影に来られる方が増えているようです。 2006年10月15日撮影 下は2007年に撮った画像です。萩市と長門市の境界の川から波止場を臨みます。向こう側の石組みの波止場には、ネコが住み着いていました。 2007年12月6日撮影-1  撮影時は気づかなかったけど、この車、どうやって入ったのだろう?家の反対側には入るところがなかったような気が。 2007年12月6日撮影-2  魚釣りに来たついでに、カメラを持参したので列車を撮影したかったけど来なかった。 2007年12月6日撮影-3

三隅の屋根

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下東方から三隅川下流を介して眺める絶景! 晴れた日は桂木山山頂がはっきりと見えます。 2012年11月16日撮影   大水峠トンネルの南口(美祢市嘉万)付近から眺める桂木山。 昭和48年ごろに初めて登ったときは、この道はありませんでしたので、落志畑を過ぎて山中峠を越したあたりから沢に入り登山しました。山頂から三隅を見下ろした記憶があります。 2016年7月29日撮影

祭りの前

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3年前の三隅八幡宮、秋季例大祭当日の午前中の写真です。 香具師の準備(2013年9月16日撮影)   実は今年の熊本地震の後の雨天の日に、境内の石垣が一部崩壊し、今復旧工事が進行中です。正面右側の石垣で、黒い苔のようなものが付着している部分?だと思う。現在ビニルシートがかぶせてあって正確な箇所はわかりませんでしたが、改めてこの写真を見ると上の擁壁から変色しており、その前兆だったのかもしれない。(素人の考えです。) 正面右(2013年9月16日撮影) 八幡様は子供のころから特別な場所で、昔のまま未来永劫絶対に変わらないものだと思っていました。(熊本城も地元の方はそう思っていたに違いない!) 石垣の一部であろうと、崩れたことはショックでした。

薄の「花燃ゆ」

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去年(2015年)の大河ドラマ「花燃ゆ」から早一年。改めて自分が育った町のことを見直すきっかけとなりました。 そこで2007年に撮影した写真を1枚。 2007年10月15日撮影   楫取素彦旧宅(桜楓山荘跡)の2007年当時の状態です。まさかこの地が大河ドラマのゆかりの地になろうとは思いもしませんでした。楫取素彦の当時の妻・寿(ひさ)さんがここに観音堂を建て、村人を集めて法座を執り行った、とあります。タイムマシンがあるなら本当に聞きたかった。 それと昨年、群馬県(楫取素彦は初代群馬県令)から色々な方が来られました。 その中で、手島 仁先生のお話がとっても面白く、印象に残っています。群馬県が益々好きになりました。 その時のパンフレットが分かりやすく面白いので切り抜いてみました。 ぐんま「花燃ゆ」プロジェクト推進協議会のパンフレットの切り抜き

長門三隅駅のこと

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自分にとって長門三隅駅はとっても思い入れの深い場所です。小学生の頃から車酔いがひどい体質で、汽車に乗るのが大好きで、特に早朝の4時ごろ長門三隅発の急行あきよし(ディーゼル車)で下関や北九州へ連れて行ってもらう時は何日か前からワクワクしていた記憶があり、中学生の頃に初めて一人で汽車(D51)に乗って萩や長門市に行くことを覚えた鉄路の原点の場所です。 昭和48年の頃の写真を元に描いたイメージ 線路と駅舎のイメージ図 上の下手なイメージ図を見ると当時まだ3番線(上下待機線)があり、昭和何年ごろだったか、夜間に留置車両が留まっていて早朝に出発していた記憶がある。 離れホームに待合室小屋があり、そこへ行くのに足元の鉄板を上げて現れた2,3階段を線路の通路に降りて渡っていた。今のような跨線橋はなかった頃の話です。まだ自動化されていない頃の山陰本線ですから、信号機は腕木式で、駅長さん?が転てつ小屋で転てつリバーを引いて列車の進路を構成し、タブレットの受け渡しで閉塞を守っていた時代です。 最近の駅の風景を下にアップします。 階段横に転てつ小屋の跡があります。 改札正面の階段(2014年10月19日撮影) 跨線橋から萩方面(2008年5月6日撮影) 跨線橋から長門市方面(2008年5月6日撮影)  ホームに待合室の形跡があります。(アスファルト部) 正面右雑草部に3番線があった(2008年5月6日撮影) 跨線橋(2014年6月29日撮影) 今の駅舎内(2008年5月6日撮影)  昔は店の奥が食堂で、美味しいうどんが食べれていました 新谷商店(2008年5月6日撮影)

三隅町役場の屋上から

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今年(2016年)老朽化のため解体される予定の三隅町役場の屋上階?から撮影されたものだと推測します。(ふるさとみすみより抜粋)昭和35年頃と記されていますが、三隅町役場は昭和35年に建設されたので新築の頃に撮影されたものでしょう。三隅川の幅の狭さと久原橋の短さに驚きます。このときその奥に香月泰男画伯が居たのかもしれない。 昭和29年に大水害があったと聞きますが、これから河川整備が進んでいく前の状態でしょう。 三隅中学校の木造校舎とその向こうに位置する三隅町公民館の建物が見えます。 上の写真はカラー写真ではないため、はっきりしませんが、道路がまだ舗装されていないのではないかと思います。下の写真は 2004年2月12日に当時の役場の方に許可をいただいて上の写真とほぼ同位置?から撮影したものです。

OLYMPUS C-300 ZOOM のテスト撮影

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2002年の12月にC-300 ZOOMを購入し、2003年1月に試し撮りに歩いた時の写真から3枚ほど。 平野地区で水路を撮影したものだが、左後ろに当時あったパチンコ店とその看板がかすかに写り込んでいた。看板は「GET」と書いてあるように見えるが、もっと以前は「777」のような店名で記憶している。あまり興味がなかったので少し前のことの記憶がはっきりしない。その前を通行している防長バスの色に目が行く。   300万画素で撮れたはずなのになぜ画質を落としたのか記憶にない。  長門三隅駅の正面右側の庭?今は雑木類は何も無い。 百日紅の木を撮影したわけだが、知人からここは昔木造の便所(トイレ)があったよね、と言われ、はっ!としました。 駅舎自体が変貌を遂げている現在、記憶がどんどん薄れていく。 LOTTEの自販機が珍しくって撮影したものだが、背景にゴルフ練習場(打ちっぱなし?)のネットが見える。今年(2016年)、撤去されていました。開作地区も少しずつ変わってきています。

扇山から

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久原橋の入り口から日の出を撮影。(2013年12月31日) 正面すぐ手前は山陰線の三隅踏切。その背景左に旧三隅町役場が位置しています。 権現山(560m)よりの日の出の様子を撮影したものだが、撮影後にふと気になることが・・・。 三隅民謡の「扇山から」の歌詞には”~扇山から三隅は明けて~”とある。 実際、扇山(514m)は権現山のさらに東に位置しており、冬季限定ではあるが役場から見ると扇山方面から太陽が昇っている。(夏季は写真左側のずーっと北側から昇ります。) 作詞をされた方は当時どこにいて、何を思い作ったのか?とても気になりだしました。下はその歌詞です。 この曲を聴くと私の世代(昭和を半分生きた世代)は、盆踊りよりも運動会で踊らされた記憶の方が優先します。今あらためて聴くと、とても興味深くさらには三隅町の成り立ちをも教えられる素晴らしい歌詞であることが判ります。歌詞の説明はいつかまたアップします。それにしても霧島昇さんの声は琴線に触れるというか素晴らしい唄声です。メロディーは身体に浸み込みます。 上は旧三隅町役場から扇山の方角を示したもの。(平成2年 国土地理院 発行の地形図を利用)

今はサンマート

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今の「サンマート」ができる前、「エースみすみ」というショッピングセンターがありました。 正面向かって左側に「コア」という喫茶店があり、美味しいコーヒーを出してくれていました。 おかーさんとおねーさん(親子)はお元気かな?この写真の撮影時よりずーっと前に撤退されました。 自転車のパンク修理の時に「ちゃりんこや」の店頭から撮影。 よーく見ると、店内でご主人と奥さんが仕事をされていました。 貴重な1枚!

野波瀬の東側

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野波瀬の護岸壁の名残。(2007.4.20撮影) 下は埋め立てられていない頃の近場の風景です。 なんてきれいな海なんだろう!