長門三隅駅のこと

自分にとって長門三隅駅はとっても思い入れの深い場所です。小学生の頃から車酔いがひどい体質で、汽車に乗るのが大好きで、特に早朝の4時ごろ長門三隅発の急行あきよし(ディーゼル車)で下関や北九州へ連れて行ってもらう時は何日か前からワクワクしていた記憶があり、中学生の頃に初めて一人で汽車(D51)に乗って萩や長門市に行くことを覚えた鉄路の原点の場所です。
昭和48年の頃の写真を元に描いたイメージ
線路と駅舎のイメージ図
上の下手なイメージ図を見ると当時まだ3番線(上下待機線)があり、昭和何年ごろだったか、夜間に留置車両が留まっていて早朝に出発していた記憶がある。
離れホームに待合室小屋があり、そこへ行くのに足元の鉄板を上げて現れた2,3階段を線路の通路に降りて渡っていた。今のような跨線橋はなかった頃の話です。まだ自動化されていない頃の山陰本線ですから、信号機は腕木式で、駅長さん?が転てつ小屋で転てつリバーを引いて列車の進路を構成し、タブレットの受け渡しで閉塞を守っていた時代です。

最近の駅の風景を下にアップします。

階段横に転てつ小屋の跡があります。
改札正面の階段(2014年10月19日撮影)

跨線橋から萩方面(2008年5月6日撮影)

跨線橋から長門市方面(2008年5月6日撮影)
 ホームに待合室の形跡があります。(アスファルト部)
正面右雑草部に3番線があった(2008年5月6日撮影)

跨線橋(2014年6月29日撮影)

今の駅舎内(2008年5月6日撮影)
 昔は店の奥が食堂で、美味しいうどんが食べれていました
新谷商店(2008年5月6日撮影)

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