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3月, 2022の投稿を表示しています

真木川橋りょうの風景

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 美祢線 於福、渋木間といってもほぼ渋木駅辺りなのだが「真木川橋りょう」と言う鉄橋がある。名前のとおり真木川を跨いでいるわけだがここの風景が実に画になる素敵な場所だ。 2018年05月20日撮影 2018年05月20日撮影 2018年05月20日撮影 2018年05月20日撮影 4年前に撮影した風景が出てきたので残すことにした。 地形的には渋木八幡宮のすぐ西側となり、坂水から下って来た道と大畑へ向かう道の合流点となる。 真木川もさることながらコンクリートブロック組みの橋脚の素敵なこと。鉄道遺産にしても良いと思えるほどの風景が拝める。(切り取り方が素人故、写真は今一だが・・・)橋梁上に列車でも居ればもっと引き立つ風景であろうが残念だった。 ところでこの真木川は深川川の支流で天井山の大谷本浴より流れるが、さらに支流はというと奥畑川と荒ヶ峠川、さらに市ノ尾川が合流してここまでやって来る。荒ヶ峠川と市ノ尾川は花尾山系の水系だが奥畑川は三隅の正楽寺の背となる足河内山に発する。改めて三隅村と真木村の結びつきを感じる。

山陽新幹線の始まりの頃

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 山陽新幹線の新大阪~岡山間が営業開始したのが昭和47年(1972年)3月15日のこと。つまり岡山~博多間は未だ新幹線が走っていなかった時代のこと。 今年2022年は山陽新幹線岡山開業50周年にあたる年であるわけだが、ここ三隅に暮らしていると、今の新型コロナウイルスのこともあってか話題にもならないし記憶にある年代の方々に話してもあまり興味をしめされない。 その当時のことを思い出しても自分は中学生で、新幹線は東京・新大阪間だけのことでわが町にとっては別世界の話であったわけだ。ところが高校生になって修学旅行で初めて新幹線にのる機会が与えられた。京都・大阪・奈良への修学旅行だ。小郡駅(現、新山口駅)か厚狭駅(記憶がない)からだったように思うが山陽本線のL(エル)特急に乗って岡山駅まで行き、そこから山陽新幹線で新大阪まで行った。ちなみに大阪から京都まではなぜかバス旅行だった。帰りはこれも不思議に神戸港から小倉港までフェリー(サンフラワー?)に乗せられた。共に酔ってしまって最悪の旅だった記憶だ。 その後、昭和50年(1975年)3月10日に岡山~博多間が営業開始して山陽新幹線が全線整った。 そんな時代にわが町の駅、長門三隅は腕木式信号機で一部だが汽車ポッポが現役で走っていたわけだ。長閑極まりないが思い出すと楽しくなる。 [追記] 山陽新幹線岡山駅営業開始の祝賀ムードはほぼ記憶にないが、岡山・博多間の営業開始時は騒音や振動などをめぐる様々なトラブルが祝賀ムードを打ち壊していたことははっきりと覚えている。未だに消え去ってはいない問題なのかもしれないが便利さの裏返しは必ず付き物だ。当時のメディアの資料を読み直してみたい気分だ。 昭和50年のこの年に日本人女性が世界初の快挙を成し遂げた。言わずと知れた田部井淳子さんのエベレスト登頂だ。「日本人女性」という言葉がなぜか高校生の自分には印象的かつときめいた。自分にとっての山歩きの黎明期の頃になる。

いこいの森・夫婦岩のこと

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 長門市三隅にある「いこいの森三隅」に「 夫婦岩 」と云う名称がある。 地名(字名)なのか通称なのか不明で、せめてそれなりの「岩」でも現地に在れば納得いくのだが全く分からない。 2019年02月04日撮影 2019年01月21日撮影 この「夫婦岩」と呼ばれる場所は「野地山」という山名だったはずで、生島と室生に接した標高211.24m(現・地理院より)の低山のピークのことだ。 角川日本地名大辞典・山口県を漁ると、小字一覧の三隅下に「 女夫岩 」が見つかる。さらに三隅町の歴史と民俗にも「女夫岩」が記されている。両方とも「夫婦岩」ではなく「女夫岩」である。いこいの森三隅で言う「夫婦岩」と関係があるかどうかは不明だ。 [追記] 城山の北部に、格好の良い岩が二つ並んでいる。そのさまあたかも夫婦の如くで、人々はいつからか「女夫岩」といいはじめていた。 (「三隅の歴史と民俗」より) ここで言う「城山」とはたぶん二条窪川と大竹川に挟まれた標高221mの山のことで足河内山(398.9m)の北に位置する新宮山と同様の山城が在ったとされる場所のことだと思われる。確かにここから見ればいこいの森は北側になる。ちょっと強引か?・・・。

藤中踏切のこと

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 藤中踏切と言ってもどこにある踏切なのかほとんど知られていないと思うが、2000年(平成12年)10月まで長門市駅構内の東側に在った線路をわたる連絡通路のような踏切だ。 2022年03月17日撮影 長門警察署から湊地区や長門市駅前通りに向かう横断陸橋のほぼ真下に在った踏切道で、警報機も遮断機も無かった(第4種踏切)ので駅関係者の利用する通路のような趣きを持った踏切だった。 2022年03月17日撮影 ここは山陰本線と仙崎線の通常の列車だけでなく入替車両も頻繁に往来していた列車本数の多い踏切道で、かなり危険な踏切(通路)だった記憶が残っている。人だけでなく二輪車や自転車が結構横断していた様子も覚えている。 2021年10月25日撮影 昨年に撮影した踏切道廃止の案内板も廃れてきて面影も無くなりつつある。 この「藤中」という踏切名は角川日本地名大辞典・山口県にも見当たるが東深川にある小字の「ふんじゅう」から命名された踏切名で「 ふんじゅうふみきり 」と読む。実際の「藤中(ふんじゅう)」はもう少し南側だったように思うので藤中から湊地区に向かう道になっていたためだと思われる。辺りには「藤中原(ふんじゅうばら)」や「上藤中(かみふんじゅう)」という小字も見当たる。 2022年03月17日撮影 話は変わるが、カメラを周してレールが途切れていることに気が付いた。仙崎線への使用廃止したルートのレールが寸断されている。不要なのかもしれないが徐々に鉄道資産が消え去ってきている。運転区前の転車台の撤去も残念だったがポイントやルートが減ってくるのも寂しい。時代と共に資産のスリム化は確かに必要だが代わりに0番線に余計なものは出来ている。 知らず知らずのうちに長門市駅の風景が変わってきている。

街の中にこれが在ると

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 美祢市の秋芳町や美東町を歩くと偶に見つける街道や道の案内標。 2022年03月08日撮影 上の写真の部分拡大 2022年03月08日撮影 2020年11月29日撮影 これらを見る度に思うことがある。 「わが街(町)にこれがあると歩いていて楽しいのに・・・」 何を言わんとするかだが、せっかく「 赤間関街道 」という旧街道があるのに勿体ないという観点だ。 例えば一里塚ごとに里程標を設置して途中の街道沿いに風景に馴染むように写真のような案内標を建植していく、という案だ。 旧三隅町で例えると一里塚が在ったとされる宗頭(追分)、中小野、浅田に一里塚跡を復活設置し、途中の旧道沿いに案内標を建植していくというものだ。これを長門市全体で施行すると絶対に楽しい街になる。途中に茶屋でもあろうものなら名所にもなる。(萩往還道や熊野古道の例をみても明らか。)鉄道やバス会社にも協力していただくと相互に楽しくなる。 目的を持った散策や街歩きは本当に楽しいものだ。

花尾山頂上の吉野神社のこと

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 先日、某地方紙の紙面で 吉野神社の式年祭記念事業として「 幻の鳥居復活 」及び「 花尾山登山道の整備 」というプロジェクトを知った。 花尾山山頂に鎮座する吉野神社は 通称「権現様」と呼ばれ、山神様として別府から美東町までの神社・氏子を見守る神社とされ、 明治4年に「花尾権現」から改称され 壬生神社 の末社とされて現在に至っている。 2022年03月08日撮影 ここに鳥居を建立しようという素敵なプロジェクトだ。多分手前の穴に埋まるのであろう。奥の穴は昔日の石の鳥居の跡だと思われるがその存在を知る人はいないとされている。 2022年03月08日撮影 2022年03月08日撮影 上の2枚は別府エリアや登山ルート上から眺望した花尾山山頂の様子。 2022年03月08日撮影 2022年03月08日撮影 美祢郡(みねごおり)の総鎮守と言われた壬生神社は森の中に佇むとっても素敵な神社だ。 以前より参詣したいと思っていたがやっと叶った。 鳥居が建立される頃には登山道の整備も進んでいると思われる。その頃にもう一度ここに書き残すつもりだ。

三隅川下流の土手を歩く

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 「寒の戻り」と聞くがまさにそのような寒い日に土手を歩く。 2022年03月07日撮影 土手道も草が刈って整備してあると寒くっても歩きたくなる。 2022年03月07日撮影 久原山、扇山、権現山を背景にお地蔵様を撮影。お地蔵様好きにはたまらない風景。 2022年03月07日撮影 土手の下には所々で蜂箱(養蜂箱)を見かける。二ホンミツバチであることを願って観ていたが寒さで蜂の出入りが見受けられなかった。時期が早すぎたか。 そういえば昨日、久原山トレックの登山口で山すみれを見つけた。 2022年03月06日撮影 図鑑のスミレと葉が違って見えたので勝手に「山すみれ」と書いたが自分的には問題なし。山歩きに気分がソワソワする季節が近づきつつある。

メジロのこと

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 先日裏の柿の木とミカンの木にメジロが飛びまわっているのを見つけた。 ヤマガラが集団でやって来た次の日で、もう一度やってこないか待っていたらやって来たのはメジロだった。すかさずカメラを準備した。 2022年03月03日撮影 次の日にミカンを輪切りにしてぶら下げてみると案の定やって来てくれた。 2022年03月04日撮影 顔をのぞけると逃げてしまうので部屋の中からガラス越しの撮影となった。 2022年03月04日撮影 さらに次の日は少し近寄って撮影できた。 2022年03月05日撮影 そしてミカンを見てみると結構食べている。 2022年03月05日撮影 3羽が出入りしているようだった。 [メジロのこと] 和名も「目白」と言い、目の周りのアイリングが白いので目白と呼ばれる。雌雄同色なのでオスメスが判断しづらい。 特に冬場におしくらまんじゅうのような行動をするので「目白押し」と言われるのはこのメジロが語源のようだ。里に下りてくるのは冬場の今の時季が多いようだが人家の近くではなかなか鳴かない。山中で聴くさえずりはとっても和むきれいな鳴き声だ。濃いウグイス色もきれいで小さくてかわいい野鳥だ。

白潟から見る山々

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 仙崎白潟から眺望する山々の記録。 2022年02月28日撮影 2022年02月28日撮影 2022年02月28日撮影 2022年02月28日撮影 山の風景ではないがちょっと寄り道。 「Japan Coast Guard」が素敵に見える巡視艇「おおみ」。 2022年02月28日撮影 白潟を少し離れて・・・ 人工島の入り口付近から見る鉄割山は浅田からのものとは違った姿をしている。 2022年02月28日撮影 普段何気なく見ている風景の中に見える山々は意識しないと見えないもので、眺めているうちに香月泰男画伯の言葉を思い出した。 「(自宅前の)橋から500メートルの範囲があれば、一生描いても描きつくせないほどの画題がある」