山陽新幹線の始まりの頃

 山陽新幹線の新大阪~岡山間が営業開始したのが昭和47年(1972年)3月15日のこと。つまり岡山~博多間は未だ新幹線が走っていなかった時代のこと。

今年2022年は山陽新幹線岡山開業50周年にあたる年であるわけだが、ここ三隅に暮らしていると、今の新型コロナウイルスのこともあってか話題にもならないし記憶にある年代の方々に話してもあまり興味をしめされない。

その当時のことを思い出しても自分は中学生で、新幹線は東京・新大阪間だけのことでわが町にとっては別世界の話であったわけだ。ところが高校生になって修学旅行で初めて新幹線にのる機会が与えられた。京都・大阪・奈良への修学旅行だ。小郡駅(現、新山口駅)か厚狭駅(記憶がない)からだったように思うが山陽本線のL(エル)特急に乗って岡山駅まで行き、そこから山陽新幹線で新大阪まで行った。ちなみに大阪から京都まではなぜかバス旅行だった。帰りはこれも不思議に神戸港から小倉港までフェリー(サンフラワー?)に乗せられた。共に酔ってしまって最悪の旅だった記憶だ。
その後、昭和50年(1975年)3月10日に岡山~博多間が営業開始して山陽新幹線が全線整った。

そんな時代にわが町の駅、長門三隅は腕木式信号機で一部だが汽車ポッポが現役で走っていたわけだ。長閑極まりないが思い出すと楽しくなる。

[追記]
山陽新幹線岡山駅営業開始の祝賀ムードはほぼ記憶にないが、岡山・博多間の営業開始時は騒音や振動などをめぐる様々なトラブルが祝賀ムードを打ち壊していたことははっきりと覚えている。未だに消え去ってはいない問題なのかもしれないが便利さの裏返しは必ず付き物だ。当時のメディアの資料を読み直してみたい気分だ。
昭和50年のこの年に日本人女性が世界初の快挙を成し遂げた。言わずと知れた田部井淳子さんのエベレスト登頂だ。「日本人女性」という言葉がなぜか高校生の自分には印象的かつときめいた。自分にとっての山歩きの黎明期の頃になる。

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