藤中踏切のこと

 藤中踏切と言ってもどこにある踏切なのかほとんど知られていないと思うが、2000年(平成12年)10月まで長門市駅構内の東側に在った線路をわたる連絡通路のような踏切だ。

2022年03月17日撮影
長門警察署から湊地区や長門市駅前通りに向かう横断陸橋のほぼ真下に在った踏切道で、警報機も遮断機も無かった(第4種踏切)ので駅関係者の利用する通路のような趣きを持った踏切だった。

2022年03月17日撮影
ここは山陰本線と仙崎線の通常の列車だけでなく入替車両も頻繁に往来していた列車本数の多い踏切道で、かなり危険な踏切(通路)だった記憶が残っている。人だけでなく二輪車や自転車が結構横断していた様子も覚えている。
2021年10月25日撮影
昨年に撮影した踏切道廃止の案内板も廃れてきて面影も無くなりつつある。
この「藤中」という踏切名は角川日本地名大辞典・山口県にも見当たるが東深川にある小字の「ふんじゅう」から命名された踏切名で「ふんじゅうふみきり」と読む。実際の「藤中(ふんじゅう)」はもう少し南側だったように思うので藤中から湊地区に向かう道になっていたためだと思われる。辺りには「藤中原(ふんじゅうばら)」や「上藤中(かみふんじゅう)」という小字も見当たる。

2022年03月17日撮影
話は変わるが、カメラを周してレールが途切れていることに気が付いた。仙崎線への使用廃止したルートのレールが寸断されている。不要なのかもしれないが徐々に鉄道資産が消え去ってきている。運転区前の転車台の撤去も残念だったがポイントやルートが減ってくるのも寂しい。時代と共に資産のスリム化は確かに必要だが代わりに0番線に余計なものは出来ている。
知らず知らずのうちに長門市駅の風景が変わってきている。

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