二条窪観音堂と無量講
桜楓山荘(楫取素彦邸跡)の裏手に楫取素彦の妻、寿(吉田松陰の妹)が創建した観音堂がある。
堂内に置かれた阿弥陀如来と千手観世音菩薩は、約600年前にこの地に創建された「善願寺」(廃寺はいつか不明)に祀られていたものと伝承されている。
無量講(通称:お講)は寿女史が毎月一回(二回?とも伝わる)村人を観音堂に集めて法座を開いていたことに発して、今現在まで続いている報恩講である。
元々の観音堂は旧県道の外れに在ったらしく道路改良工事の時に現在地に移転新築されたもの。
法座が開かれるときは阿弥陀如来の右側に「六字名号(南無阿弥陀仏)」の掛物が掛けられ、その掛物は当家(当番の家)でもち回っておられるため普段は空白だ。
この掛物(六字名号)は寿女史が関東へ出発にあたり、形見として二条窪の人々のために残されたものと伝えられている。西本願寺二十一世妙如上人御真筆のもので箱中添書きには最後に「二条窪講中寶物」と記されている。
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桜楓山荘 |
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観音堂近辺の二条窪川 |
楫取 寿(かとり ひさ)は前述のとおり吉田松陰の妹で幕末から明治中期に生きた人。名前は「寿」だと思っていたが「寿子」と書かれた版物?もあるようで、憶測ではあるが旧姓の「杉 久子」という読みから来たものかもしれない。中途半端な知識ではあるが紛らわしいので書き添えておく。
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