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5月, 2021の投稿を表示しています

兎渡谷橋を渡る

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 遠まわしなタイトルをつけてしまったが、昨年の10月に約450年振りに三隅川を渡られた 兎渡谷権現社 のこと。 兎渡谷集落の北側、兎渡谷橋正面の和海山の中腹(海抜約90m付近)より昨年10月にこの橋を渡って兎渡谷自治会公会堂へと遷座された。 2021年05月25日撮影 正面の兎渡谷集落の背となる権現山(その昔、高尾山と呼ばれていた)の北側の尾根が兎渡谷橋の正面に見える。権現山山頂はこの尾根の向こう側になるためここからは見えません。 2021年05月25日撮影 和海山は橋の北側正面になる。この山の中腹に元の権現社がある。 その変遷を下手なイメージ画にするとこうなる。 権現社の変遷イメージ 結局576年振りに兎渡谷村(谷口村)に帰ってこられたわけだ。 桂木山から権現山を眺望 現在は権現山の山頂からの眺望がきかないため、お隣の桂木山から権現山を眺める。その昔高尾山と言われたのが理解できるような雄大な山だ。よくぞこの山頂で神楽を舞ったものだ。 過去ログ にて ところで兎渡谷橋のことだが・・・ 2021年05月25日撮影 昭和39年に完成している橋だが近年にも調査が入り補強された様子。当時の銘板がそのままコンクリートで固められて残されている。東京オリンピックが開会された年だが三隅町はこの2年後に国道と県道の舗装が完了している。この田舎町でも車社会と化してきた時代だった。 2021年05月25日撮影 2021年05月25日撮影 半世紀以上経って辺りの風景は変わったのかどうかも判断できないが三隅川だけは同じように流れていたはず。 畠中や採石場を眺めるとこの日は黄砂が特に酷い日で、写真ではわかりづらいがかなり見通しが悪かったことを書き留めておく。

沢江浦の風景

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 三隅民謡「扇山から」にも「袖の湊」と唄われた沢江の海岸。昭和40年代後半の頃より悪臭がしていたこの三隅湾(仙崎湾)も自然環境の見直しと共に美しい海を取り戻していった。 2020年06月15日撮影 2020年06月15日撮影 2020年06月15日撮影 沢江川の河口付近の様子もかなり変わってきた。 2020年06月15日撮影 左岸にあった滝口旅館だった建屋は取り壊されて更地となった。右岸にあった吉田屋旅館の石風呂は今で云うサウナのようなものでこれも昭和の末期に消滅した。 中学生の頃だったと記憶しているが湾内にたくさんの海苔養殖の竹竿が刺さっていて数隻の小舟が周りを旋回していた風景が頭から離れない。 美須美はかくのごとき美しい場所だ。

如意ヶ岳から眺望する秋芳・三隅の山々

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 前回に続いて天井山系の稜線を今回は如意ヶ岳山頂から眺める。 2021年05月23日撮影 2021年05月23日撮影 今回は南側からなので前回の仙崎から観た稜線と左右が逆になる。 何年か前まで花尾山まで見えていたと記憶しているが、今は雑木がかぶさって西側の山々の展望がきかない。 天井山の向こう側が正楽寺、大水峠の向こう側が湯免ダムや辻並集落、さらに権現山の向こう側が宗頭や兎渡谷となる。 つまり三隅や秋芳の町はこのような雄大な山々で仕切られている地形となっている訳だ。(「三隅町の歴史と民俗」には屏風状と表現されている)

仙崎引揚記念碑からみる三隅・秋芳の山々

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 過去に何度か書き込んだように思うがセンザキッチンから眺望する秋芳・三隅の山々の稜線が実に美しく雄大である。 2018年05月11日撮影 2018年05月11日撮影 上の写真の山々の稜線を描いた画。 稜線イメージ図 黄色で示した稜線が 天井山系の尾根 。 仙崎から眺望する山々の風景がとってもお気に入りで、時間が取れる時は寄り道をして眺めている。山の稜線は遠くから眺めたほうが分かりやすいし、ましてや自分で歩いた稜線は愛着がある。 参考程度にセンザキッチンより天井山山頂までの直線距離は8.7kmである。 ところでここの「引揚記念碑」は センザキッチン が建設中の間は一時的に撤去されていてしばらくはモニュメントや石碑は拝めなかった。その後完成と共に戻されてとっても素敵な場所となっている。ここにきて山を眺める方はほとんどいないと思うがお勧めの風景だ。古より守られてきたこの景観を一時的で人類だけの身勝手な風車建設で破壊してはならないと思う。

光らないホタル

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 月曜日の朝に車のボディにジッとしているオバボタルを発見。 このオバボタルは発光機能が退化?した光らないホタルで、代わりに昼間に行動できる種類だ。体長は8mm程度でヘイケボタルに近い。 ネットで調べると日本には光らないホタルの方が種類としては多いそうだ。これは知らなかった。 ちなみに光る蛍は「ゲンジボタル」、「ヘイケボタル」、「ヒメボタル」の3種のみで他の種類は発光しないとのこと。 もうそろそろ夕餉にホタルが飛び交う時期になった。その昔、賽ノ神様の祠に一匹の蛍が留まっていた風景を思い出した。

梅雨入りの頃

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 先日テレビで山口県が昨年に未曽有の被害を被った「トビイロウンカ」の飛来状況の調査が今年はいち早く始まった、というニュースを耳にした。確かに昨年の坪枯れ状態はここ長門市でもひどかったが、ある程度イネが育ってからやってくると思いきや梅雨前線に沿った気流に乗って飛来してくるらしい。 2021年05月18日撮影 まだ田植えも始まっていない所もあるが鏡のような水田は風物詩を感じる。青空であればまた違った画になると思うが梅雨空の風景もなかなか趣きがある。 岳ノ山麓の二条窪川から濁った水流が三隅川本流と合流してツートーンカラーの川面になっている。支流域で田植えや河川工事が始まるとこのような風景が見られる。 2021年05月18日撮影 2021年05月18日撮影 雨雲が濃い時は天井山(602m)や権現山(560m)は山頂が隠れてしまう。 2021年05月18日撮影 三隅川本流は穏やかに流れているが台風や大雨でこれ以上土砂が堆積しないことを毎年のように願ってはこのような撮影をしている。

砂防ダム建設中

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 現在何ヶ所かで工事が進んでいる砂防ダムの建設工事の一つに、野波瀬峠から工事用道路?が造られている箇所がある。 2021年05月13日撮影 2021年05月13日撮影 工事名が「三隅下西川」と書かれているが地名であろうか?それとも川の名前であろうか?地名を調べても三隅下には「西川」という小名は無いようだが。 それにしても「国土強靭化対策工事」という名目はちょっとカッコいい。 2021年05月13日撮影 昭和26年度に完成した「三隅町保育所(後に野波瀬保育所と名称変更された)」のすぐ上の支尾根に向って新しく道が造られようとしている。 2021年05月13日撮影 今後、野波瀬の風景はどのように変わっていくのであろうか。 出来る限り今の風景を残していこうと思っている。 2021年05月13日撮影 上の写真は大正13年の頃の野波瀬だがいったい何処から撮られたものであろうか。極楽寺の境内か、それとも疫神様の上からか、現在と地形が変わっているのでわかりづらい。 平成の後半からはわりと風景写真は残っているようだが昭和の時代の風景写真はほとんど無い。ましてや大正時代となると写真自体が皆無だ。平成10年(1998年)の頃からだったと記憶しているがこの田舎でも「デジタルカメラ」が個人でなんとか持てる(買える)ようになって現像しなくてもパソコンで写真が見れるようになった。それから20年が経過した今はスマホで気楽に撮れるようになってしまった。未だにカメラでの撮影の方がしっくりくるのだがメーカーが云う便利さをすぐに活用できない歳になってしまった。視力と機敏さの低下と理解する。なんとも悔しい限りだ。

ツバメの羽化

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 毎年のことだがツバメの羽化が始まったようだ。 毎年恒例で4月1日前後に突然1羽が寝泊まりにやってきて、その3~5日後に2羽で巣作りが始まる。ツガイが成立している訳だ。5日程度で巣作りが終わってその後いつの間にか卵を温める姿勢で巣の中にしゃがむようになる。 2021年05月13日撮影 そして産卵から約1ヶ月が経って巣の下に卵の殻が何個か落ちている。 2021年05月13日撮影 2021年05月13日撮影 カラスやトンビに殻が見つかるとヒナが襲われると思い、写真に撮って撤去した。 下の写真は昨年に巣作りをしたツガイだ。 2020年07月19日撮影 はっきりとしないが今年の居候たちは昨年のツガイとは違った顔つきのような気がする。昨年ここで育った子が最初にやって来た1羽なのかもしれない。 しかしフン害でしばらくは掃除が大変そうだ。

アマサギがやって来た

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 何年かぶりにアマサギを見た。そんなに珍しい鳥ではないが確認できたのは何年振りだろう。毎年やってきているのかもしれないが自分が見れていないだけか。 2021年05月11日撮影 2021年05月11日撮影 ズームがほとんどきかないハンディカメラでの撮影でしか残せないが亜麻色の首で確認できる。 この鳥は雌雄同色で夏色になると薄い茶色が出てくる。近寄って観察したいがすぐに飛び立ってしまった。 2021年05月11日撮影 水田に映ったアマサギも一緒に飛び去って行った。 [後記] 最近三隅川汽水域にハクチョウが飛来しているらしい。2013年8月に初めて三隅川で一羽の飛来を確認しているがその時の写真が残っていた。 2013年08月13日撮影 2013年08月13日撮影 2013年08月13日撮影 2013年08月13日撮影 白鳥は20年以上生きるらしいので今飛来している白鳥と同一の個体なのかもしれない。毎年やってくると嬉しい。

雨降りの宰ノ神

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 梅雨入りは未だだが風景はすっかり梅雨時期だ。 朝からしとしとと降りだした小雨がツバメを低く飛ばす。そんな朝の賽の神様の前を蜜柑色の傘が通り過ぎる。 2021年05月13日撮影 2021年05月13日撮影 天井山は雲の中に隠されている。 2021年05月13日撮影 岳ノ山(雨乞山)も雲に覆われた。 以前に「三隅の祠とお地蔵様」でも挙げた宰ノ神様だが祠自体は向山塾跡の入り口付近に鎮座されている。 2021年05月11日撮影 この辺りの小名も「宰ノ神」という。 久原山から続く荒神山の西の麓に鎮座されており、位置的には東方や野波瀬への旧道の分岐点になろうかと思う。

天井山を歩く~後編

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 前回に続いて尾根道の途中から。 2019年04月13日撮影-11 地籍調査時に埋められた地籍図根三角点。 2019年04月13日撮影-12 2019年04月13日撮影-13 現在、この辺り(天井山頂手前のピーク)の風景は伐採されて 風速測定用の鉄塔 が建設されているため変貌している。こんなに素敵な登山道だったのに残念だ。 2019年04月13日撮影-14 山頂手前の鞍部に下っていく。 2019年04月13日撮影-15 この広い鞍部ではよくシカに出くわす。野生動物も居心地が良いのであろうか。 2019年04月13日撮影-16 2019年04月13日撮影-17 天井山頂に向けて最後の急坂。 ここに張ってあるロープはとっても助かる。 2019年04月13日撮影-18 写真で見てもこの急坂の現状は伝わりにくい。そして帰りのことを思うとちょっと辛いのだ。 2019年04月13日撮影-19 山頂の様子。 国土地理院三角点の横に建てられた山標(天井山  六〇二米 )と同等の柱が嘉万中辺からの登山道(林道)入り口にも建っている。秋芳町の方々が造られた山標であろう。 市町合併前はこの天井山山頂が長門市、三隅町、秋芳町の境界となっていた。山標の位置はぎりぎり秋芳町か?。 二回に分けて天井山の登山道の一部をかいつまんだが現地でないとここの空気感は伝わらないかもしれない。 ところで・・・ 2019年04月13日撮影 この尾根道(登山道)の何ヶ所かに上のような鉄筋の杭が刺さっている。以前はこのような異物は無かったのだが、現在はさびてテーピングもシカ?が喰いちぎっているため風景と同化してなかなか気づかない。実に危険で登山者が怪我をしなければよいがこんな余計なものを誰が挿していったのであろうか。林業者はこんなことはしないはずだ。