画伯が見た三隅の風景

 久原橋に立って三隅川の上流と下流の風景を眺めた。それも空がモノトーンに近い雲で覆われている日に。

2022年5月15日撮影

2022年5月15日撮影
香月泰男画伯が久原橋の中ほどから三隅川の川面を眺めておられる?写真が残っている。昭和47年(1972年)の頃の撮影であろうか、少し険しい顔をしていらっしゃったように記憶している。
上の1枚目の写真で画伯が橋上で眺めた頃は三隅中学校が未だ木造校舎の頃で山陰本線三隅川橋梁の向こう側には鉄筋コンクリートの三隅町役場の建屋が存在している。その背景はやはり権現山だ。
2枚目が写真に写る画伯の目線に近いと思われるが、川面に写る久原山や夕陽を見ては過去の辛い思いを宥めておられたのかもしれない。

ところで画伯は下の写真の風景も眺めていらっしゃったはず。
大正13年三隅村役場発行の小冊子より
大正13年と言えば画伯は13歳で山口県立大津中学校第一期生だ。
長門三隅駅が美禰線として正明市駅から延伸され開業したのがその年の11月3日であるからひょっとして鉄道通学をされたこともあるのかもしれない。間違いなくこの風景も見ていらっしゃるはず。

この古い写真のタイトルは「三隅村役場付近」となっているが木造の三隅村役場の位置がはっきりしない。写真自体は久原山の中腹から撮影されたものと判断できる。過去には久原には山の中腹辺りまで集落が在ったとされる。画伯の愛した「<私の>地球」はたぶんこの頃から始まっている。


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