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7月, 2022の投稿を表示しています

萩、金谷神社のこと

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 何年か前から金谷神社に参詣するたびに写真を撮らせていただいている。今回は昨年の夏のものからピックアップ。 2021年7月23日撮影 2021年7月23日撮影 2021年7月23日撮影 2021年7月23日撮影 2021年7月23日撮影 2021年7月23日撮影 「天神祭り」の一言ですべてが通じるこの傲慢さがカッコいい。書かれていない情報はすべて野暮!とした思いを受け止めてしまった。 このポスターを残したくってブログにアップ。 [追記] 萩の金谷神社は萩城下町の表玄関に位置するため、説明板に記されているように「大木戸」が在った場所だ。(地形図で見ると納得する。) 自分の場合、大木戸というと新宿御苑の「大木戸門」をすぐさま連想するのだが、たぶん萩の大木戸のほうが歴史的に古いのではないかと思ったりする。現代には不要?だがその気配でもあればまた萩を楽しめる一角となろう。 2011年5月31日撮影 地図もまともにない時代によくぞ地形を把握できたものだ。 古 (いにしえ) の人々はすごい。

美術館にお花畑を添える

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 暑い夏が続いているが朝まづめは気持ちが良い。ホオジロとセキレイが競って鳴く中の香月泰男美術館辺りの風景。 2022年7月17日撮影 なんとも言えず可愛いお花畑だ。今の季節ならではの風景かもしれない。 2022年7月17日撮影 2022年7月17日撮影 2022年7月17日撮影 香月ロードの方へ周ってみると夏の朝の風景が拝めた。 2022年7月17日撮影 2022年7月17日撮影 辺りはクマゼミとニイニイゼミの鳴き声が降って来る。だんだんと暑さが増してくる。今日はこれで引き上げよう。 美術館は今回もワクワクするテーマだ。早く見たいのだが行ける時に限って火曜日だ。何とかせねば。

小波橋の下流

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 三隅川に架かる小波橋(さざなみはし)のすぐ下流で二条窪川が合流する。ここから東関渕にかけての流域は上流域からの土砂がすべて集まるため昔より川浚えで頭を悩ませてきた場所だ。 昨年末に浚ったはずの場所がほんの半年で目を疑うような風景になってしまっている。 2022年1月29日撮影 2022年7月16日撮影 素人目に見てこれは酷すぎると思うのだが、河川管理上は問題がないのであろうか、と橋を渡るたびに思ってしまう。 下の写真は2011年秋の河川改修工事の様子とその半年後のものだ。 2011年10月7日撮影 2012年4月16日撮影 季節が違うので比較にはならないかもしれないが貴重な予算を投入後の現状は残念でしかたがない。 山がきれい、川がきれい、海がきれいというのはとてつもなく大変なことだと思う。

三隅の祠とお地蔵様~辻並の六地蔵様と水神様

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 天井山に発する辻並川に沿って辻並集落が並ぶ。その名前のとおり強い水脈があると思われる辻並には六地蔵様と水神様が鎮座されている。 六地蔵様-1 六地蔵様-2 辻並社-1 辻並社と書いたが辻並の守り神様として秋祭りが奉納されていると聞く。 地鎮祭も執り行われるようだ。 辻並社-2 この社の下の「辻」に六地蔵様がいらっしゃる。 六地蔵様-3 水神様-1 水神様-2 水神様と書いたが手元の資料には「川上に水神様」と記されている。いらっしゃる場所は決して川上ではない。ひょっとして湯免ダムの建設時にお引越しをされたものか?それとも・・・もう少し調査を要す。 辻並集落は湯免ダム建設と秋芳三隅線の開通によって大きくその歴史を変えられ、生活形態も変わってきたのかもしれない。やっと平穏無事となった辻並をこれ以上変えてはならない。

黄波戸の長崎瀬から

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 黄波戸の長崎から山を眺める。 この地名は「長崎」と書いて「ながさこ」と読む。 2022年7月6日撮影 2022年7月6日撮影 2022年7月6日撮影 2022年7月6日撮影 これらのように深川湾を介して様々な山が拝めるわけだがこの日は夏の午後にしては良く見えたと思う。 2022年7月6日撮影 二位ヶ浜のハマユウを移植したものであろうか。「ハマオモト」とも云うらしいが花弁はヒガンバナに近いと思う。 花尾山と浜木綿、又は鉄割山と浜木綿、どちらも素敵だ。

野波瀬浦で夕涼み

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 日が落ちた野波瀬漁港の波止場を散策。 生ぬるい潮風かと思いはしたが、歩いてみると意外に涼しい風が漁港に漂う。逢魔が時か黄昏時か微妙な時間帯ではあるが凪の仙崎湾は昼間より素敵に見える。 休漁日なのか静かな漁港は人の姿も見えない。 実際は写真よりも暗く感じたがちょっと贅沢な夕涼みになった。 [後記] 若いころに夏は夜釣りに来ていた場所なのだが絶好の夜釣り日和に誰も居ない。漁業権や不法侵入の絡みで釣りも出来なくなってしまったのであろうか。色々なことが変わってきている。ニナも獲れない海になろうとは過去には微塵にも思わなかった。

新旧の市役所がある風景

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 長門市の新庁舎が建って3年が経つ。 山口国体が開催された昭和38年(1963年)に建設された旧庁舎は令和元年(2019年)10月より解体工事が始まった。 その新旧の庁舎が揃った時の2019年の撮影。 2019年6月3日撮影 2019年6月3日撮影 2019年6月3日撮影 市役所傍の亀山(城山)を背景にし、国道の下にはJR美祢線が貫く。ここの立体交差(跨線橋?)はひょっとしてこの時初めて歩いたかもしれない。車で通過時にいつも眺めていた風景だがとってもシンボリックな風景だと思う。 完成間近の新庁舎は青空に映える。 2019年6月3日撮影 この後、令和元年9月2日に開庁式が執り行われて新庁舎へと移行された。そして同年10月から旧庁舎は解体が始まり現在の駐車場となった。 今思うと行政が遠くに離れてしまった感がこの時はあった。自分の性格的に新しい建物には入りづらいし臆病になる。だだっ広いエントランスが落ち着かない。人の出入りが多いと落ち着かない。目的が頭から飛んでしまう。困った性格だ。