投稿

9月, 2024の投稿を表示しています

映画館があった頃

イメージ
 昭和を半分生きた自分の世代がギリギリ長門市に映画館があったことを覚えているか、親や兄姉の話で思い出すかの世代だろう。 昭和31年の長門市(正明市)内の映画館の上映記事(宣伝)だが戦後約10年が経った頃の正明市の気配をうかがえる。子供の頃よく耳にしていた「近松座」と「長門映劇」は入った記憶はないが場所は凡そ覚えている。仙崎の「仙竜館」や「仙崎座」は名前こそ聞いたことはあるが何処にあったのか知らない。 上映タイトルを見ると怪し気なものが多いなか「帰らざる河」や「太陽の季節」は正統派(当時の人気作品)だと思うが「北極物語」は聞いたこともない。調べてみると当時のソ連の映画らしく北極海に生息する生物を追ったドキュメンタリーのようだ。 よく見ると映画館同士でフィルムを掛け持ちして上映していることがうかがえる。そして映画館ごとの系列?も見えてくる。 映画館の最盛期とされる昭和35年は全国に7457軒あったとされるが、地方の映画館は元々が芝居小屋であったり酒蔵などを再利用されていたことが多かったようでわざわざ映画館を新築することは少なかったと何かの記事で読んだことがある。 映画館ではないかもしれないが昭和35年頃には野波瀬でも旧酒蔵で映画の上映があったり、豊原には「豊原会館」という映画館?もあった。俵山にも湯町に「俵山映劇」という映画館があったようですべて映画館數がピークを迎えたころのことでそれ以降は廃れていった。 今現在は長門市には映画館は皆無状態だが「ルネッサながと」に偶に映画を見に行く程度となった。自分的には1970年代後半には結構足を運んでいたがこのころは生活の拠点が都会だったことが大きい。 近年地方の映画館はコロナ禍の影響にネット配信も加担して絶滅寸前となっている。今年の2月だったか山口市のYCAMシネマに行って、観客は自分を含めてほぼ前期高齢者?だったように思う。ゆったりと鑑賞できたことは満足だったが上映が終わって照明が点いた瞬間に時代の変化と自分の年齢を感じてしまった。(上映された映画のジャンルにもよるが・・・) YCAM CINEMA 色褪せた古い一枚の上映記事から色々なことを思い出してしまった。

令和6年の秋祭り

イメージ
 猛暑日が続く中、三隅八幡宮にて秋季例大祭が催された。令和6年9月16日(月)敬老の日のこと。 【奉納神事】 13:00~ 滝坂神楽舞 13:30~ 巫女舞・剣道演武・浦安の舞 14:00~ 腰輪踊り(浅田・市) 15:30~ 奉祝もちまき 16:00~ 渡御祭 近年の三隅八幡宮の祭事ではちょっとしたブームがあるようで、それが何かというと自分も含めてのことだが祭事や神事をカメラやスマートフォンに記録する方々が目に見えて増えていることだ。それも見渡す限りでは男女問わず高齢者の方々が多くみられる。そして撮影機材も財力があるせいかプロ並みの高価なカメラで映されている。自分の安価なハンディタイプのカメラでは周りの視線が気になるほど場所取りに気遣いする。しかしそこは日本の素敵な高齢者の方々、マナーがすこぶる良い。控えめで変な自己主張がない。ローカルさも加担して皆さん顔見知り?かのように会話をされる。居心地が良いのだ。 近年の自然災害の激甚化を踏まえて自分たちの育った町の四季折々の風景を残そうとする思いなのか、親族等の姿を残したいのか、はたまた単なる趣味なのか、色々の方々が色々の思いで撮影されていることが分かってきた。それも撮影機材の高性能化が伴ってのことですばらしい映像や画像が残っていく。

観光列車「〇〇のはなし」は戻ってくるか?

イメージ
 ちょうど2年前になるが畦道にヒガンバナが咲いている時期に「〇〇のはなし」を撮影したいと思い散歩がてら出かけたことがある。 2022年9月17日撮影 2022年9月17日撮影 突然の思い付きで行ったので撮影位置もいい加減なものだったが曇天のせいもあり観光列車がまったく映えない。(本当は撮影技術がないためだが・・・) 2022年9月17日撮影 下は三隅川橋梁を通過する「〇〇のはなし」。 2022年8月22日撮影 このころは山陰線で長門市を東西に縦走し仙崎線にも入っていたが昨年の7月以降、粟野川橋梁の豪雨被害のためやって来なくなった。 もう見ることはなくなったと思っていたが、今年初めには山口線の新山口~津和野間を運行され、9月28日~10月27日までの土日祝日には岡山県の伯備線(岡山~新見間)を観光列車として運行される予定だそうで、まだ今後も山陰線が健全な姿に戻ると再度お目にかかれそうだ。 一度は乗ってみたいが運行区間から考えると観光地の地元民は結構不便で、逆に下関や長府を歴史観光する列車でもあれば乗ってみたいとも思ったりする。要は列車内でおいしい弁当を食べて風景を眺めたいだけなのだが・・・。

三隅の祠とお地蔵様~上広田

イメージ
 つい先日まで知らなかったのだが、広田に荒神様の祠があったことを地元の方から教えていただいた。ただし既に宮終い?をされたとのこと。これは形跡を訪ねて行かねば、と思い立ったわけだが何せ山中で正確な場所がわからずウロウロしていたところで集落の方に出会い、すぐに道順を教えていただいた。案の定山中だ。 祠だけは畳まれて残っていたが御神体はやはり見当たらず。 寛延三午(かんえんさんうま)=西暦1750年で徳川家重の時代。 下の文字は判読できなかった。分かる方にご享受いただきたい。 参道(山道)の途中、燈篭の跡か? 274年前に設けられた祠だ。それ以前にもここに別の荒神社があったのかもしれないが祠の扉にはコケやカビはないしもっと新しく感じたが地元の方々のご奉仕あってのことかもしれない。 祠終い(ほこらじまい?)された箇所は三隅にもっとあるのかもしれないが古人の形跡や気配はできる限り写真だけでも残していきたいと思っている。

奇妙な二羽

イメージ
 暦のうえでは初秋だが残暑というより真夏の気温が続いている。明け方や日暮れは風さえあれば涼しく感じるが昼間は真夏だ。 毎年この時期にツバメが集団で南方へと渡っていくが、今年もその集団の決起式が始まったようだ。9月4日のこと、電線(正確にはメッセンジャー)にたくさんのツバメが整列を始めた。そう、稲刈りが始まる頃の定例集会だ。 しかしその集団の中に毛色の違ったペアが居た。 一羽のツバメと一羽のスズメが並んで同じ動作を繰り返していた。 この二羽はいったいどんな関係なのかわからないがこんな風景は初めて見た。後から来たのはスズメで、その前にはツバメが並んでとまっていたのだが一羽が飛び立った位置に入れ替わるようにスズメがやってきた。昭和の時代のコントを見ているようでおかしかったが写真が撮れていなかったら信じられないかもしれない光景だと思った。 2024年9月6日 2024年9月6日 最初に挙げたように気温は夏日のままなのにツバメたちは9月になるとすぐに渡っていく。あたかもカレンダーを見ているように毎年ほぼ同じ日に決起集会を始める。体内時計かそれとも人間には気づかない何かを感じて 渡っていくのかとっても不思議だ。これらの風景の中に何かヒントが隠されているように思うが、都会のツバメや、例えば東北地方のツバメも今の時期なのか、鹿児島県は?とか色々と考えてしまう。ただこれらのことに異変が起きないことを願うのみだ。

500系のぞみのこと

イメージ
 JR西日本の大傑作500系のぞみに乗りたくて東京へ行くのに小倉まで下って行ったことがある。27年も前のことだ。小郡駅(現、新山口駅)から広島までひかりで行けばよいものをあえて小倉まで下り、そして東京へ行ったことがある。年甲斐もなくワクワクしたことを覚えている。 当時はこんなおバカな乗り方をする乗客はいなかったと思うが当時の長門市駅のみどりの窓口の方はニヤリと笑って指定席を取ってくれたことを覚えている。この記念オレンジカードはその時のものではないがたぶんダイヤ改正時に購入したものであろう。 ところで新幹線のぞみ号が登場したころ(300系だったと思う)は東京・新大阪間のみの運行で山陽新幹線にはひかり号とこだま号しか走っていなかったと記憶している。( 時刻表でも残っていれば確証がとれるがあてのない記憶だけで書き込んでいることをお許しいただきたい。) 東京に行くにしてもひかり号しか利用しないであろうと思い込んでいたがこの500系の登場で「乗ってみたい」という気持ちが高まったし本当にかっこいい新幹線だと思った。ところがその500系新幹線のぞみ号が小郡駅に停まらなかったのだ。 当時、山口県はのぞみが停車しない、という爪はじき感がどうしてもぬぐい切れず残念で仕方がなかった。通過するひかりもいた記憶がある。駅名を小郡駅から新山口駅に変更後に何本かののぞみが停車するようになったと記憶している。 現在こだま号として西日本エリアを走っている500系は2027年までに引退すると聞いた。エヴァンゲリオンやハローキティになった500系はどうなるのであろうか?保存もされずに消えていくのか。近年、年とともに消え去っていくものが愛おしくてならない。これは自身の老化のせいかもしれない。