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12月, 2024の投稿を表示しています

令和六年の大晦日

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 年末、ずーっとすぐれない天候で寒いし降ったり止んだりが続いていたが大晦日になってやっと午後から快晴になってきた。 一足先に八幡様へ一年の締めにお参りし、そして今年開業百周年を迎えた長門三隅駅へ。 三隅八幡宮は元旦際の準備万端! 相変わらずの列車本数で人影はないが、看板を見ると若かりし頃のいろいろなシーンが思い浮かぶ。 そして最後は野波瀬の波止場から漁港越しに山を眺める。歩いた稜線を眺めるのは結構好きだ。 以上撮影はすべて令和6年12月31日の午後です。 [追記] 今年の元日に能登で大きな震災が発生してあっという間に一年が経過した。被災者の方々の願いを鑑みると本当に長い一年だったと思う。自分の暮らしている町をしきりに撮影していていつも思うことがある。「この風景がずっーと在りますように!」

里山の冬~尾根歩き

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 久原山トレックはそのほとんどが尾根歩きで、特に向山ルートはドングリやシイの落ち葉で覆いつくされている。冬の低山の楽しみの一つは野鳥の鳴き声とこの落ち葉を踏み歩く音だ。 尾根の様子1 尾根の様子2 落ち葉 久原山頂上 木漏れ日の尾根歩き 南側の連峰 三隅下地区一帯 仙崎湾と深川湾 多分?今年最後の山歩きとなったこの日は曇天で雪もちらついていたが時折の日差しが妙に暖かく感じられ、「ザクッ、ザクッ!」と歩く音が気分を高揚させてくれる。 ヤマガラやシジュウカラ、時折ソウシチョウ?の鳴き声が上から降ってくる。師走のあわただしさを忘れてしまいそうな里山歩きだった。

川土手の石仏

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 ここで言う「川」とは三隅川なのだが(ローカル色満載!)その汽水域エリアに四体の石仏が鎮座している。 舟戸のお地蔵様 綾木のお地蔵様1 綾木のお地蔵様2 くだ渕のお地蔵様 くだ渕(旧地名)のお地蔵さまは由来ははっきりとしないが、一番下流にあるがため、「えんこ(河童)」がここから上流に来ないようにと願って建てられたという説がある。 「えんこ」が海にいるのか? そういえば子供だった頃に、海で溺れるのはえんこが足を引っ張るからだ、という話を当時の大人たちからよく聞いた。自分の中では「海」と「河童」が結びつかない。これは実は川淵でのことだと思うが、このような逸話や伝説は楽しい。 川土手の散歩道 正面に微かに扇山、権現山、そして天井山が聳える。 対岸の下東方の風景 三隅川の下流は流れも緩く、この土手道は冬でも風がなければ散歩が心地よい。 お地蔵様好きの私にはたまらない散策路で、四季折々素敵な風景を見せてくれる。

10年前の野波瀬の風景

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 2014年の師走の「野波瀬」の風景をピックアップ。 疫神社の土俵 「野波瀬」ブリ箱 「長門ブリ」ブランド 野波瀬メインストリート 漁港西側 市場前 ずっしりと沈んだ漁船がブリの量を物語る。 漁協会館辺り 商店 酒店 寂しいことにこれらの写真はすべて今は見られない風景となってしまった。たった10年前のことだが昔の事に感じられる。しかしこの写真を撮った時も寂しさがあったわけで、何が寂しいかというとどの写真にも狙ったわけではないのに人影が無いのだ。寒い時期が加担しているがどこのエリアも同様に子どもたちが外で遊ばないし高齢者も外に出ない。テレビやネットが住民の「おもり」をしてくれるからに他ならないと思われるが、コロナ禍(2019年より)といっても当てはまるような風景だ。 市場のブリ箱や酒屋のビール箱が曇天の暗さと相混じっていかにもな年末の風景を醸し出している。当時は漁船の数もまあまあ在ったように思うがあっという間の10年は過疎漁港にとってはあまりに重い。「野波瀬に生きる」人たちがどんどん減ってきた。

大寧寺旧参道~山辺の道

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 湯本温泉八千代橋のたもと付近から大寧寺までの旧参道を歩いた。 静かな参道で野仏(石仏)の数を数えながらゆっくりと散策する山辺の道だ。 八千代橋から音信川の風景 旧参道は現代の美祢線を渡る 高尾山観音堂入口付近 途中、高尾山観音(高雄山)にお参り。 高尾山観音 道しるべ 自然石の道しるべには下関、萩、山口の三方面が刻まれている。 玉仙閣をくぐる 石畳の道 大寧寺側入り口 盤石橋 盤石橋で旧参道は終点を迎えるが実はこの旧道は 赤間関街道北道筋 でもあり、この先旧大寧寺峠(旧たいねいじだお)を越して俵山から西市へと繋がっていく。 餅つき地蔵尊 大寧寺 大寧寺 大寧寺参拝で今回は引き返したが、まだまだ現・長門市内の街道筋を記録として残していないので「赤間関街道」の記録は今後も上げていく予定だ。