旧街道を歩く~三見床並

 一月以上も前のことになるが赤間関街道(赤間関往還道)の床並一里塚(三見橋辺り)から鎖板峠(通称鎖峠)までを歩いた。

スタートは三見橋橋上。

一旦戻って街道側から三見橋を眺める

床並集落の入り口近くの庚申塚(猿田彦の塚)

すぐ隣の石仏。宝暦11年(1761年)建立らしい。

地蔵尊前の道を隔ててすぐ下の森神社。(通称森様)

社裏の祠。こちらが古い森神社かもしれない。

ようやく床並集落が見えてきた。

殆どが石州瓦の住宅で、いかにも雪深い集落を思わせる。
背景正面が千代ヶ岳でこの集落は日尾山(520m)と千代ヶ岳(468m)に挟まれた谷に位置する。

しばらく歩いて国道191号線と合流する。このすぐ先が鎖板峠(鎖峠:くさりだお)のピークとなる。萩市と長門市の市境界だ。昔はこの峠道が谷川に沿ってあったらしく、とても険しい道で鎖を伝って上り下りしていたがため鎖坂(くさりざか)と呼ばれていたらしいが、「三隅町の歴史と民俗」には鎖板坂(くさりいたざか)と記されている。それがいつの間にか鎖峠(くさりだお)と呼ばれている。

地名というのは歴史を追うといつの間にか変わっていることが多く、調べると本当に楽しいし興味深い。


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