美祢線の歴史と明倫小学校(その3)

 今回は美祢線だけの話となるが、厚狭~重安間の石灰石輸送の話だ。

今回のキーワードは「異様に長い線路有効長」と「二つの信号場」だ。

戦後間もない1946年(昭和21年)に吉則駅(現在の美祢駅)の東側にある石灰石の鉱山にご存じ宇部興産が進出し、翌年に宇部興産伊佐工場と美祢線吉則駅を結ぶ専用線を敷設した。

鉄道の一番のメリットは一度に大量の物資を運べることにあるが、長い貨物列車が単線区間を行き交うには上下の出発信号機に支障しない長い線路有効長が必要である。ということでこの長い貨物列車が行き交っていた厚保駅や四郎ヶ原駅をプラットホームから眺めてみる。

厚保駅-1

厚保駅-2

四郎ヶ原駅-1

四郎ヶ原駅-2

南大嶺駅-1

南大嶺駅-2

厚保駅、四郎ヶ原駅、南大嶺駅とホームから出発信号機を眺めてみるとその有効長がかなり長いことが伺える。大嶺からの石炭、美祢や重安からの石灰石を積んだ長い編成の貨物列車を留めるに充分なホームトラックが必要なわけだ。(ちなみに美祢線は単線です)

ここでどんな貨物列車が走っていたかというと手持ちの写真が無かったので厚保駅に展示してあった写真で賄う。厚保駅を守っていらっしゃる方々に感謝。
厚保駅の展示写真-1

厚保駅の展示写真-2

次に「2つの信号場」の事だが美祢線には厚狭~湯ノ峠間に「鴨ノ庄信号場」、湯ノ峠~厚保間に「松ヶ瀬信号場(平成9年に廃止)」という列車を離合させるためだけの目的でつくられた施設があった。(鴨ノ庄信号場は現存します。)最盛期にはそれほど過密に運搬されるほど石灰石輸送が必要だったわけで残念ながら今ではその風景は見れない。

そして本題の「真白い石灰石」の流れのことを少しだけ書いておくことにする。

簡単な路線図で説明すると二つの流れがあり、「①宇部興産伊佐セメント工場からの輸送」及び「②太平洋セメント重安工場からの輸送」となる。

①は宇部興産伊佐セメント工場から専用線で美祢駅の貨物ヤードに運び、そこから美祢線を介して山口線で山陰本線の岡見駅経由で三隅火力発電所へ。

②は重安駅の東側の石灰石鉱山から国道316号線を跨いで重安駅貨物線のホッパーへベルトコンベアで運び厚狭駅、宇部駅を介して宇部岬駅へ。(セントラル硝子専用線へ)


主旨から外れてきたのでこのあたりで今回は終わります。様々な方が美祢線の歴史をネットに揚げられているのでもっと知りたい方はそちらを参照されてください。

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