三隅にはその昔、薬師如来を祀った薬師堂が4箇所あったと聞く。宗頭、生島、久原、浅田の薬師堂で現在は生島の薬師堂だけが残っている。
ご縁があって今回はその中の浅田の薬師堂とお薬師様(薬師如来)のことを書き残す。
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| 集落センター内の様子 |
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| 在りし日の薬師堂(三隅の辻堂より) |
今暮らしている町の景観を思うときに、昨年あたりから山陰道三隅・長門道路完成後の景観のことを考え出した。勝手なもので山陰道の萩・三隅道路が開通したときはあまり気にならなかったが今回は身近なエリアであるが故に気になることが多い。
他の箇所で言うとリニアモーターカーのルートや下関・北九州道路等も気にはなるところだ。他所(よそ)の事でけっこう興味深く追っているのが「首都高速の日本橋地下化」の件で、街道好きの筆者にとっては見逃せない事柄で、今回は自己の研鑽をふまえてお江戸のことを少し書いてみる。
歴史を紐解くと1603年に江戸幕府開府とともに日本橋が架けられ、次年に旧五街道の起点とされた。1963年(東京オリンピックの前年)に橋の上空に首都高速道路が開通した。昭和38年の事だ。国際文通週間「日本橋」の切手が発行されたときには上空に首都高が無かったか建設中だったわけだ。
首都高速をみると鉄人28号を思い出し、初代新幹線をみるとエイトマンを思い出す未来を夢見る少年漫画の世代だ。
そして時は流れ、平成14年頃からの当時の総理大臣の一声で日本橋の上空に首都高は景観を損ねるとのことで平成18年の頃に民間も街づくりの一環として「日本橋川に空を取り戻す会」を設立。実際はそれ以前から扇千景国土交通大臣の「首都高の高架に覆われた日本橋の景観を一新する」とのことで東京都心における首都高速道路のあり方委員会が設立されていたようだ。川の上空に首都高速を造った時代もすごいが、それを地下に潜らせることを考える時代もすごい。
話は三隅・長門道路に戻るが現状としてルート上の伐採や付帯工事が始まっていると聞くが生活エリアからはさっぱり見えない。いつの間にか出来てしまいそうな・・・ただ完成まで元気でいることを当面の目標にしたい。とりあえず開通記念のウォーキング(片道約10Kmの往復)をしたいと思っている。
先日の投稿で、「探し回ったが見つからなかった生き物」が実はホウネンエビなのだが今回はたくさん見つかった。
ホウネンエビは毎年この時期に探しては撮影しているのだがもう一つの目的のカブトエビがなかなか見つからない。こいつも田んぼに水が張られると出てくる生き物なのだが少なくなった?せいかほぼ見つからない。
6月中にもう一度探索してみようとは思っている。晴れた日より曇った日のほうが探しやすいのでチャンスはあるはず。
長門市三隅の浅田地区を歴史探訪する。(幕末の動乱期)
まずは国道191号三隅バイパス沿いに建植されている「周布政之助故宅・竹内正兵衛出生地 墓道」という石碑(道標?)だが、なぜ此処に在るのか意味不明で、バイパスが無い頃の道の状況が判明しないと「墓道」という意味が理解できない。どちらにも行けますよ、って言う案内標と思えばよいのかもしれない。
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| 周布政之助故宅・竹内正兵衛出生地 墓道? |
現状の地理院地図で訪れた場所に赤丸印を付けてみたが「墓道」の標識だけは分かりにくい。案内地図でもあったほうが良いように思うが。
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| 浅田散策マップ |
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| 周布政之助旧宅 |
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| 周布政之助旧宅裏の浅田川 |
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| 周布政之助の墓入口石標 |
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| 周布政之助の墓 |
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| 説明看板 |
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| 周布政之助の墓 |
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| 周布政之助の墓北側のお地蔵様 |
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| 墓地内の石仏 |
長門市初の「道の駅」センザキッチンがグランドオープン(2018.4.20)して8年が経過しようとしている。(直売所だけはオープンしてからは8年が過ぎた。) 風見鯨? 以上の写真は先月に撮影したもの。寒さも手伝って人が入り込まないように外観を写したつもりだが相変わらずの盛況?ぶり...