只の浜と境川
防長風土注進案によると「多田ノ浜」の旧道わきにエノキの木が植えてありそこに一里塚があったとされる。もちろん赤間関街道北浦道筋の一里塚だ。
この「多田ノ浜」とは境川の旧名らしく、ひょっとして現在の「只の浜」はこれが変化して名前が変わったものか。
ということでまずは令和7年の「只の浜」の様子。
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正面の青海島を臨む |
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東側西深川方 |
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西側境川方 |
境川地区に移動する。
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境川バス停より山陰本線 |
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境川荒神社入口 |
うろついてはみたが旧道のエノキがどこに在るのか分からず、一里塚の跡はやはり不明で地元の方に聞くしかないようだ。
境川を流れる川の名前は「十楽川」という。勝手に川名を境川と思っていたが調べてみると違っていた。地名辞典による小名一覧で探しても確かに境川という地名は見当たらない。見当たるのは「十楽」や「多田」という小名だ。そしてその近所に「茶屋」という小名を見つけた。これは峠の茶屋か?とまたまた勝手な想像をする。とするとその近くに一里塚があっても不思議はない。
地名には先祖の生活感が表れており今もそれが息づいていることがよくある。知れば知るほど面白い。ということで小名だけの地図が欲しい。
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