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列車の居る風景

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特に鉄道ファンでもないが列車の居る風景が好きで、偶々列車に出くわすとシャッターを切っている。 しかしながら昨年来の「トワイライトエクスプレス瑞風」に関しては通過時間に合わせて出かけていたが一度も思い通りに撮れたためしがないのでしばらくは止めていた。 昨年の晩秋にトレセン前の イチョウの木に瑞風を重ねたかった 時の失敗(一眼レフの故障?)から10か月程度が経過した。 (今も故障したままで時々シャッターが切れない。) そこで先日いつも携帯しているハンディータイプのデジタルカメラを片手に時間を見計らって出かけてみた。 今回は 三隅川橋梁を渡っている姿 を収めようと思ったが雑木や雑草が邪魔してうまく撮れない。 2018年09月16日撮影-1 2018年09月16日撮影-2 色合いもダブって映えないし、川面も見えないし全くダメだった。 前日に下見をしておけばよかった。 自分でセンスの無さがよくわかる。 2018年09月16日撮影-3 同日の午後に撮影したこちらの写真の方がずっと良い。 (欲をいうと背景に三隅町役場の建屋が欲しかった。) 悔しいのでその後に思い切って深川湾まで足を延ばしてみた。 その結果が下の写真だ。 2018年09月16日撮影-4 到着してすぐにやってきた列車。 そしてウロウロしていると瑞風は音もなく突然やってきた。 (風が逆風で踏切も無いため本当に突然だった。) 2018年09月16日撮影-5 ・・・臨場感が全然ないし肝心の深川湾が抜けてしまった。 通過後のこっちらの方(下の写真)がちょっとだけましか? 2018年09月16日撮影-6 2018年09月16日撮影-7 深川湾はこんなに素晴らしい風景なのに何も生かせなかった。 腕も悪いしカメラも安物!って言いたいが、センスの無さが一番の原因のようだ。 今度はまた違った場所で下見をしたうえで撮影に出かけたいと思っている。 「 地元の風景の中に瑞風がいる 」、という設定で写真を残したいのだが場所選びが難しそうだ。

秋季例大祭2018

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9月16日の午後、三隅八幡宮は「秋季例大祭」で賑わった。 到着したと同時に「 腰輪踊 」の奉納が始まり、露店も並んでひと時の賑わいを堪能した。 2018年09月16日撮影-1 2018年09月16日撮影-2  「三隅町腰輪踊」は昔ながらに 揃わない鐘の音 が特に印象的でなんとも言えない郷愁感が醸し出される。 2018年09月16日撮影-3 2018年09月16日撮影-4 お祭りと言えばやはり出店(露店?)が無いと寂しい。 2018年09月16日撮影-5 2018年09月16日撮影-6 2018年09月16日撮影-7 2018年09月16日撮影-8 「お祭り」という祭事は年と共に味わい深くなっていく。 過去の経験値が多いほど琴線に響く。 不思議なものだ。 [後記] 昔から三隅八幡宮に奉納される「楽踊」のことを「 腰輪踊 」というらしく「楽踊」とは本来、秋の豊作を祈願し、邪なものを追い払う儀礼として取り扱ったものである。 太鼓打ちが大きな竹輪を、鐘打ちの少年が小さな竹輪をそれぞれ腰に挟んで踊るところからその名前が残されたと言われている。 上中小野・下中小野・辻並から一楽、市・大竹・中村から一楽、浅田・沢江から一楽、豊原から一楽の都合四楽が八幡宮に奉納されていたようで、今年は案内には「一 沢江、二 市」と書かれているので過去の資料とは少しづつ変わってきている様子だ。 参考資料:三隅町の歴史と民俗

祭りの始まる前

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三隅八幡宮にて今年も秋季例大祭が催された。(9/16) その祭りの 準備が終わったばかりの頃 を見計らって八幡様の風景を撮影に行ってみた。 2018年09月16日撮影-1 2018年09月16日撮影-2 2018年09月16日撮影-3 このような案内板?のような立派な設備が出来ていた。 2018年09月16日撮影-4 2018年09月16日撮影-5 2018年09月16日撮影-6 2018年09月16日撮影-7 午前10時を回る頃から徐々に参道に香具師の車が集まり始めた。 出店や露店の場所を仕切る方がいて、挨拶がてら車を廻って指示をされている様子がうかがえた。 香具師と書いて「やし」と読むが、古くは「こうぐし」や「かぐし」とも言ったらしい。 小学生の頃、ここ八幡様のお祭りの露店で一番印象に残っているのが・・・ 自分の腕にナイフで切り傷をつけてメンソレータムのような薬を付けるとすぐに血が止まって傷も治る、といったパフォーマンスをするすごいオジサンがいた。値段まで覚えていないがこのメンソレータムのようなすごい薬?はいったい何だったのだろうか?未だに思い出すと気になってしょうがない。 [後記] 案内に書かれた「秋季例大祭・神功皇后1750年式年大祭」のことだが、まず「神功皇后(じんぐうこうごう)」とは、たぶん14代仲哀天皇の皇后のことで、1750年前頃(西暦269年の頃のことか?)に亡くなってから3年、5年、10年・・・100年と、区切りの良い年にお祭りをしてきたことの名残りだろうと推測する。 正直なところ、ほぼ神話の世界であって覚えきれないのが本心だ。

美祢線の通る湯本温泉

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今現在、大きな変貌を迎えようとしている湯本温泉の町並みをJR美祢線を主体に撮ってみた。 まずは温泉街から離れた位置にある「長門湯本駅」。 2013年12月12日撮影 2018年09月02日撮影-1  下の写真は長門湯本~板持間の風景。 2018年09月02日撮影-2 ここから下は渋木~長門湯本間の温泉街の風景。 2018年09月02日撮影-3 こんなカッコいい鉄橋があるのだ。 2018年09月02日撮影-4 国道316号線の風景。 2018年09月02日撮影-5 2018年09月02日撮影-6 湯本踏切の風景。 2018年09月02日撮影-7  カラオケスナック「ドレミ」はかなり昔から姿を変えていないように思う。 2018年09月02日撮影-8 湯本トンネルの風景。 地元では昨年から何かと話題に上った湯本温泉だが、温泉街から見ると隠れたように通っている美祢線をしっかりと見てほしい。 鉄道がとおっている町はローカル線ほど味わいが深い。 近いうちに今(2018年)の湯本温泉の風景を残しておこうと思っている。

バス停のある風景~その5

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今回は地元の方以外はなかなか読めない、または読みづらいバス停を紹介がてらその風景をアップ。 最初は「兎渡谷」バス停。「兎(うさぎ)が渡る谷」と書いて「とどろく」と読む。実際の兎渡谷地区はここで降車して三隅川を渡って行くわけだが、その地区にお住まいの方が国道筋にあるバス停まで歩いて行くのは荒天の日はつらいものがある。 2015年10月11日撮影-1 2015年10月11日撮影-2 2018年09月09日撮影-1 2018年09月09日撮影-2 2018年09月09日撮影-3 次は「下中小野」バス停と「上中小野」バス停。 中小野(なかおの)地区に上(かみ)と下(しも)の2つの地区があり、それぞれにバス停がある。 漢字としては単純だが知らないと読めないかもしれない。 まずは「下中小野」バス停の風景。 2018年09月09日撮影-4 2018年09月09日撮影-5 2018年09月09日撮影-6 そして「上中小野」バス停の風景。 2018年09月09日撮影-7 2018年09月09日撮影-8 2018年09月09日撮影-9 2018年09月09日撮影-10 最後は「宗頭」バス停だが「むねとう」と読む。 2016年03月31日撮影 2016年06月19日撮影 2018年09月09日撮影-11 土地の名前や字名(あざめい)は読めないものだらけで、地元の住民にしか分からないようなものもある。 そういえば先日発生した「北海道胆振東部地震」も「胆振(いぶり)」が最初は読めなかった。日本地図で探してもなかなか発見できず、最後は悔しいけどスマホで検索してやっと位置が確定できた。 どのような場所で近くに何があるのか、等々いろいろと調べてみたがその行為の元が「大地震の発生」ということに起因していることが悲しくもある。

バス停のある風景~番外編

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今回は番外編として三隅地区にあるバスの回転場、又は待機場の風景。 2017年12月23日撮影 三隅地区の一番上となる落志畑のバス回転場。 ここにバスが止まって時間調整をしているときに通りかかるとちょっと得をした気になる。 2016年12月02日撮影 今の県道野波瀬港線が完成するまでは野波瀬のバス停は疫神様の手前にあって、ここ(上の写真)で防長バスがUターンしていた。 未だに回転場の跡が分かるのはここで回転している自家用車がいるためだろう。 この野波瀬の疫神様手前に防長バスが入り込んでいたのは確か昭和49年の「野波瀬漁協会館」が完成した頃までで、さらに前の昭和30年代後半までは木造の旧野波瀬漁協前までこの狭い道(下の写真)をボンネットバスが出入りしていた。 2003年01月21日撮影 道路は変わらないが周りの家並みの風景は少しづつ変わってきている。 遠くに見える「リョーユーパン」の看板が懐かしく思える。 2009年05月04日撮影 「野波瀬漁協前」バス停に到着したバスは、市場前までやってきて方向転換している。 2017年03月08日撮影 早朝の回送バスが野波瀬に入っていく。 バスの通過する音で沿線の住民は時を知る。