沢江第2踏切と花燃ゆ列車

以前も少し触れましたが、昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」に因んで村田清風記念館を訪れた時、偶々、すぐそばの踏切(沢江第2踏切)で警報音が鳴り、どんな車両が通過するか知らずにあわてて撮った写真です。

2015年4月12日撮影
できれば踏切の反対側から三隅山荘をバックに撮影したかった。

2009年4月12日撮影
これも偶々その6年前の同じ日、長門三隅駅にて撮影した山陰本線の自動信号化の完成記念プレートです。
昭和53年12月22日 米子鉄道管理局・大阪電気工事局と刻銘されています。
下側のプレートには、「昭和40年11月、京都駅から始まり、この地長門三隅駅において全線を完成した。」と書き込まれています。
長門三隅駅は国鉄時代(開設時は別)、米子鉄道管理局(現、JR西日本米子支社)の所属だったのです。現在はJR西日本広島支社長門鉄道部の所属です。
ちなみに昭和の時代には、タイトルの「沢江第2踏切」の起点(京都)方に境界標がありました。
それにしても山陰本線は長い。

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