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仙崎湾のこと

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青海島の内海になる仙崎湾だが、仙崎から三隅にかけての景色と地名がとても味わい深い。そこで簡単な略図を描いてみた。 仙崎湾_略図 三隅の開作エリアを点線枠で描いてみたが、昭和の前半まで干潟であったのだろう。先日辿ったのは、この点線に沿った道だ。 白潟・小浜・沢江・浅田・小島と言うようにすべて湾の入江に沿ってそれなりの土地の名前がついている。そして道も湾に沿って発達している。旧道を歩いて辿ると、そこそこから見える風景がとっても味わい深い。 2017年07月12日撮影-1 沢江の海岸から小浜方面その1  2017年07月12日撮影-2 沢江船着場から小浜方面その2  昭和の時代から、山陰本線の護岸壁(石垣)が変わらずにずーっとある。なぜかここの風景がとっても好きで、SLが走っている頃から眺めていた。 2017年07月12日撮影-3 小浜から沢江、山本開作方面  その護岸壁を小浜側から眺めてみる。 2017年07月12日撮影-4 山本開作から沢江郵便局の辺りを撮影  2017年07月12日撮影-5 沢江と小浜の中間から小島方面 を眺める 2017年07月12日撮影-6  小浜の桟橋付近 いつぞやも書いたが、昭和40年代後半から50年代の頃より今の方が海がきれいになっているような気がする。 ただ少しづつではあるが山や町の風景が変わってきているので、記憶が薄れていく場所も多々ある。 山の風景は道路拡幅のために削られたり又はトンネルが出来たり、さらに森林の手入れ不足で鬱蒼感が増してきている。 町の風景も建物が変わったり撤去されたりして少しづつ変貌している。 今の時代の風景を少しでも残しておきたいと思う。

三見と明石の間

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山陰本線の三見駅(さんみ)と飯井駅(いい)の間に明石(あけいし)集落がある。他県から来られると「あかし」と読まれる。その明石集落と三見の間に尾ヶ崎(おがさき)という地名があり、その三見に寄った方にとってもきれいな海岸がある。 私は勝手に「尾ヶ崎の浜」と呼んでいるが列車から見るとかなりの絶景なのだ。 2017年07月08日撮影-1  このトンネルを抜けると三見駅に到着する。この場所で鉄道ファンの方が過去にたくさんの写真を撮られたことと思う。 2017年07月08日撮影-2 2017年07月08日撮影-3 JRで言うと三見トンネルと尾ヶ崎トンネルの間になる。 玉江~三見間や三見~飯井間と列車から日本海の絶景が眺められる場所がいくつかあるが、NHK総合で深夜にたまに放送される「昭和のSL映像館」にも登場するスポットがあるほどこの辺りはきれいだ。ここはSLも似合うが、自分的には「 特急まつかぜ号 」が走っている姿が最高に好きだ。しかしながら手元には写真も資料も何も無いのだ。 私は知らなかったのだが、まつかぜ号は当初大阪から鳥取まで13両編成で走っており、鳥取駅で8号車から13号車を切り離して、残りの1号車から7号車が博多まで運行していた時代があったらしい。 下りのまつかぜ号は、夕方6時ごろに長門市に到着していた記憶があるので夏場に撮影しないと薄暗い画像になったことだろう。 このまつかぜ号に長門市から下関まで車窓から夕日を眺めて乗ったことがあるが、湯玉や宇賀本郷辺りの日本海の夕日が記憶にあるので夏場に乗ったのだと思う。 まつかぜ号が廃止になり、後継のいそかぜ号になってからは何度か同じ区間を乗ったことがあるが、圧倒的にまつかぜ号の方が車内が豪華だった記憶がある。願いが叶うなら鳥取駅辺りからで良いので博多駅まで当時のまつかぜ号に乗ってみたい。今のトワイライトエクスプレス瑞風より興奮するかもしれない。 2017年07月08日撮影-4 上の写真は明石からの帰りに撮影した飯井の風景。いつもながらきれいである。

開作の道を辿る

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昭和48年から51年にかけて、殿村新開から向開作の道を高校時代の自転車通学の帰り道に使っていた。遠回りの道だったが車が少なく、悠遊と走行できていたので土曜日等の帰り道に何度も通った記憶がある。 2017年07月12日撮影-1 2017年07月12日撮影-2 2017年07月12日撮影-3 2017年07月12日撮影-4 2017年07月12日撮影-5 当時の白潟湾は汚染されていたのか、沢江から山本開作にかけてとても臭っていた。その臭いにもめげずにここを通行していたのにはいろいろと理由があったのだ。 その理由の1つは先ほど触れたように車がほとんど通らないので自転車専用道路のように使えたことだ。今の長門病院の入り口辺りから小浜、沢江にかけて、当時は狭い道路(国道191号線)で、自転車で通行するのがけっこう危険な場所だった。そのために少し大回りして仙崎から白潟経由で小浜にたどり着いていた。そして山本開作の道に入っていたのだ。臭いがきつくても開作にたどり着くとホッとしていた。 仙崎経由で帰っていた時、さらに遠回りして「ばか盛」といううどん屋さんに寄って空腹を満たして帰っていた。このことは、ずーと前に書いた喫茶「茶話」と共にいつか書き残しておこうと思っている。 2つ目は、岸壁沿いに色々な魚が見れたこと。ボラ、ハゼ、セイゴ、フグ、クロダイ(チン)等々。今現在は汽水域までコイが泳いでいるが、当時はコイはほとんどいなかった。 3つ目は、景色のすばらしいところだ。四季折々に絶景が見られる。特に仙崎湾に沈んでいく夕日は素晴らしい。中学生の頃?だったか、和田の鼻から見た筏越しの夕焼けが忘れられない。今は筏(イカダ)が無くなっているので記憶の遺物となっている。 4つ目は、琴橋を渡るのが好きだったことだ。琴橋は三隅川の橋だが、海の上の架け橋のような感覚でとらえていた。汐の香りがするし橋はきれいだし、とっても気分が良かった。 追想が過ぎたが年寄の戯言に思えてきたのでここでやめる。

セミの話

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今週になってから天候はすぐれないが、セミの鳴き声が響きだした。 日曜日の朝、雷雨が治まってからニイニイゼミ、夕方からヒグラシ、月曜日からクマゼミとオールスターが揃ってきた。まだ聴いていないのがツクツクボウシとアブラゼミとミンミンゼミだ。 去年の7月中旬にクマゼミの羽化を観察できた。 2016年07月17日撮影-1 2016年07月17日撮影-2 2016年07月17日撮影-3 最初にハンディタイプのデジタルカメラで撮影しようとしたが、うまく撮れないので、ポケットライトを片手にタブレットで撮影してやっと撮った写真だ。時刻は夜の9時前。 とっても神秘的で羽の透過色と緑がきれいで自分で感動した。次の日には蛻の殻だけが残っていた。 ところで三隅におけるセミの種類だが、ハルゼミ(ツクツクボウシに少し似ている)、ヒメハルゼミ、ヒグラシ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミ、ミンミンゼミといった種類がいる。鳴き声はするがなかなか現物が見れないのがヒグラシやミンミンゼミだ。 昔と比べて鳴き声だけで判断すると最近はクマゼミの数が圧倒的に多く、アブラゼミが減ってきている。子どもの頃はクマゼミのオスを獲ってくると結構羨ましがられていた。なかなか獲れないし数も少なかったように思う。アブラゼミばかり獲って虫かごに入れて、家に帰って昆虫標本セット?みたいな箱に入れていた。 もちろん標本用の注射をしていたのだ。何時からか販売されなくなってきた。赤い液と青い液(入れ物の色かもしれない)の2種類の注射液が入っていてそれを昆虫に注射して標本にするのだが夏休みが終わる頃にはとっても臭くなっていた。こんな時代もあったのだ。

すくすくランドみすみ

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10年前の三隅保育園の写真が見つかったのでアップ。しかし今現在と外見はまったく変わらない。 下の写真を見てみると「すくすくランドみすみ」と看板?が外に向けて表示してある。 2007年04月07日撮影-1  確か、「三隅町」の時代に起工し、「長門市」になって竣工したと記憶している。 (違っていたらごめんなさい) 出来上がった頃に所用で中に入ったことがあるが、木の香りがプンプンしてとてもきれいだった。 2007年04月07日撮影-2 後ろの山側に少し見えるのが「ふれあいパーク三隅」だ。ここは総合運動公園なのだが、私はここで「 美須美イチゴまつり 」を 冬場に やってほしいと昔から思っている。他人任せで無責任だがイチゴ一会(一期一会ってどこかでやっているかも?)みたいなスローガンでお祭りがあったら楽しい。 三隅のイチゴはとっても美味しい のだ。グラウンドに上がっていく道沿いに「美須美イチゴ」ののぼり旗とたこ焼き屋・たい焼き屋などが並んでいて、グラウンドの道沿いにイチゴのお菓子やケーキ、または和菓子がたくさん露店で出ていて、ちょっとしたA級グルメを味わえるようなお祭りだ。水道設備やトイレ設備が整っているだけにもったいないのだ。体育祭の予算を一度だけまわしてでもやってみたら面白いかもしれない。 ・・・言うのは簡単ですね! 2007年04月07日撮影-3  三隅保育所前のセブンイレブン セブンイレブンは外見こそ今と一緒だが、10年前と中身がまったく変わっていると思う。コンビニの成長戦略はすごい。 ここのような郊外(特に主要バイパス沿い)のセブンイレブンは、大型トラックの駐車帯が設けてある。始めて見た時にちょっと感動した。 高速道路のサービスエリア的なイメージもある。 2007年04月07日撮影-4 当時、すぐ近くにこんな看板が立っていた。今でもあるのかな?「チョンマゲビール」。

飯井駅の下のお店

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飯井駅の下にお店がある(あった)。住所としてはたぶん萩市三見なのだろう。 昨日、何年かぶりに通ったらお店が閉まって?いた。 自動販売機が1機と郵便差出箱が残っていた。 このお店の横を登って(上って)いき、飯井駅に到着する。けっこう急な坂道で上に見える駅の建屋ですぐに休めるように近くに建っている。 2017年07月08日撮影-1 2017年07月08日撮影-2 下の写真は今から10年以上前の同じ場所だが、ちょっと賑やかである。 2006年10月15日撮影 今まで気づかなかったが、お店の入り口から出ようとしているお客さん?の手とズボンと帽子のツバが写っていた。拡大してみてわかったのだが、私はこのようなちょっとした当時の人の気配が写っていたりその時の時代背景がわかるものが写り込んでいたりする写真が大好きなのだ。 この写真を撮ったのは確か夕方だったので、「たばこを買って足早に家路につく仕事帰りのオジサン」と勝手にその時のシーンを想像する。 上の写真を拡大したもの 宅急便を扱っていたこともわかるし、「子ども110番の家」の幟旗や自販機の種類でも時代を推測できたりする。

「たばこ」のこと

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昭和の時代、三隅町でもあちらこちらの畑でたばこの葉(栽培)をよく見かけた。畑の中のその大きな葉っぱは存在感があり、子供ながらに記憶していた。 今日は「たばこ」に関する話だが・・・ 2008年04月03日撮影 上の写真の自販機に5月1日から「 タスポ 」スタート、とある。2008年に撮影した写真なので、2008年の5月1日から「タスポ」がスタートした 。9年も前のことだったのだ。 2015年07月18日撮影 販売窓口の横にたぶん「 暮しにつながる この一服 」と書いてある。何時のキャッチフレーズかわからないが、少したばこの売り上げが落ちてきた時代かもしれない。 ガラガラっと開けたガラス窓から三隅小町のニコニコした顔が出てきてほしい。 2003年01月21日撮影 阪神タイガースのような垂幕がちょっとシュール! 向こう側の「たばこ」の看板とこちらの「リョーユーパン」の看板が味わいのある風景になっている。 下の写真はそのお店の中のものだが、「こばた」のケースがチョーカッコいい。 2013年05月10日撮影-1 実は、これらの写真はすべて無くなってしまった風景なのだ。 2013年05月10日撮影-2 上の看板の写真は、お店が無くなるときに記念にお店の中で撮影したもの。こんなフォントがほしい。 実はその後、この看板を記念品としていただいたのだが、母に、飛んできた粗大ごみと思われて(錆がひどかったので)留守中に捨てられてしまった。