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久原橋を写す~2019初夏

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長門市三隅の中でも特に大好きな場所、 久原橋 と 三隅川橋梁 のある風景。 2019年06月13日撮影-1 「あの辺り」に香月泰男画伯が立っていた。 2019年06月13日撮影-2 この橋梁を渡って行く汽車を見ていた。 (山陰本線:飯井、長門三隅間 三隅川橋梁) 2019年06月13日撮影-3 そういえば向こうからマスタングが渡ってきた。 2019年06月13日撮影-4 ここがすべての始まりだった。 2019年06月13日撮影-5 私の始まりはこの風景だ。小波橋から遠くの久原橋を眺める。 今後季節ごとに写してここに残していくつもりだ。

日峯集落の風景

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秋芳町の嘉万に「 日の峰川 」という桂木山系と如意岳山系に囲まれた川がある。下側は嘉万市(かま・いち)において厚東川に合流する支流であるが、美祢市にありながら山陽小野田市のモデル水源涵養林として管理された山林を流れる川で、その上流にある集落が「日峯」である。 読み方は私も最近知ったのだが「日峯」と書いて「ひのみ」と読むらしい。 2019年06月09日撮影-1 2019年06月09日撮影-2 2019年06月09日撮影-3 2019年06月09日撮影-4 2019年06月09日撮影-5 2019年06月09日撮影-6 2019年06月09日撮影-7 2019年06月09日撮影-8 最初に「日の峰川」と地理院の地形図のとおりに書いたが、現地には「日峯川」と書かれていた。両方とも「ひのみ」と読むのだろうか? 次回はさらに日の峰川の上流を目指し、その源流を探す。

嘉萬日吉神社

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秋芳町嘉万に嘉萬日吉神社という古社がある。 以前より気になっていて、いつかはお参りしたいと思っていた神社だ。 2019年06月11日撮影-1 2019年06月11日撮影-2 一の鳥居  2019年06月11日撮影-3 二の鳥居  2019年06月11日撮影-4 三の鳥居  2019年06月11日撮影-5  お牛様(神牛) 2019年06月11日撮影-6 お馬様(神馬)  2019年06月11日撮影-7 2019年06月11日撮影-8 狛犬や狛猿?  2019年06月11日撮影-9 本殿  2019年06月11日撮影-10 2019年06月11日撮影-11 参道の風景 以前よりお参りしたいと思っていた本当の理由は、実はこの日吉神社から裏山に入って 如意岳(545.4m) の登山ルート(別に2か所整備された登山ルートがある)を歩いてみたかったのだ。たぶん未整備なためとっても険しいルートだろうと思う。そのために事前にお参りをして様子を伺っておきたかったわけだ。 結局登山口がよくわからなかったが、うろうろして不審者と思われると面倒なのであきらめて帰った。お参りだけはちゃんとした。 今度もう一度訪れて社務所の神主さんにでもどこから入山するのか、また道はあるのか聞いてみようと思っている。 そして寒くなったら実際に登ってみようと思う。

庚申塚のこと

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これまでにいろいろな場所で 庚申塚(又は庚申塔) と刻まれた石塚を見てきたが、いったい何のための「塚」なのかよくわからない。 2019年06月09日撮影 秋芳町の林道で見つけた「庚申塚」の一つ。 東京都の都電荒川線に「庚申塚」や「新庚申塚」という停留所がある。若かりし頃にこの言葉(庚申塚)を初めて聞いたのが荒川線だったと思う。 2015年09月12日撮影-1 2015年09月12日撮影-2 2015年09月12日撮影-3 上の3枚の写真は都電荒川線の「東池袋四丁目」停留所付近の様子。 ところでこの「庚申塚」の「庚申」とは 干支の「庚(かのえ)」と「申(さる)」 のことらしい。 体内の虫(三尸:さんし)が庚申の日に抜け出して天帝のもとに人の悪行を報告するというので、庚申の夜は寝ずに身を慎んだという。これを” 庚申待ち “という。 [「神仏ネット」より引用] これを知って「はっ!」と気づいたことがある。 三隅の野波瀬に昔から今も続く「 お日待ち 」という地神祭がある。 現代は1月18日に行われているが、戦前は2月(旧正月)18日に各組(班)で各家庭で作った料理を当屋に持ち寄って深夜まで寝ずに酒宴を行うという神事がある。この日はすべての仕事や漁をやめて催される。 この場合はその年の無病や大漁を願っての神事であろうが「庚申待ち」によく似ている。 ちなみに庚申さまのご利益は長寿延命、心願成就、無病息災、厄除開運、道開き、らしい。 となると林道で見つけた庚申塚は「道開き」か?

東関渕のこと

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三隅川の小波橋(さざなみはし)の下手に「東関淵(とうかんぶち)」という深い淵があった。場所としては三隅川の上東方辺りになる。 2019年06月08日撮影-1 上の写真が東関淵の上から小波橋を撮影したものだ。 大雨や台風時の増水による上流からの土砂の堆積ですっかり浅くなってしまった。自分が小学生の頃は近寄りがたいほど深くって神秘的な淵だったが、今はすっかりとその姿を変えてしまって水量も少ないせいかとっても浅くなってしまっている。 下流から遡ってきた鯔(ボラの子)を狙ってミサゴがホバリングしている姿をよく見る。 水深が浅くなってしまったせいでここまでミサゴが猟場を遡ってきたように思う。昔は下東方の辺りでしかミサゴを見かけなかったように思うが、川の環境が変わってきているのだろう。 ちょうど今、市の辺り(河川公園清流辺り)で川の土砂の撤去工事が施工されているがこれの続きで東関淵の土砂や雑草を取り除いてほしい。 雑草木のために川幅がわからないほど水域が減って見える。 昔のことばかり言ってもしょうがないがこの辺りの風景は本当にきれいで、夏休みともなると毎日のように通っていた場所だ。 2019年06月08日撮影-2 そしてその頃は上の写真の下東方辺りまでがミサゴの猟場だったように思う。 ミサゴのダイビング(狩猟)が頻繁にみられるため、たまにプロ並みのカメラマンが車を駐車してシャッターチャンスを待ち狙っている姿を見かける。 今年も梅雨に入りそうな時期だがまた土砂の堆積が進んでいくかと思うと気が重い。

三隅町の保育園と幼稚園

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かつて三隅町だった頃、三隅町内には4つの園児施設があった。 下の広報の切り抜きは昭和55年(1980年)4月1日よりスタートした中央保育所(元、三隅町公民館の建屋)に絡む記事だ。 昭和55年 広報より この広報の記載を見て 気になること が何点かあったので書き残しておこう。 まず、定員数の多さにびっくり。そして定員数は何を基準にされていたのだろう?ということだが保育士の人数によるものか、又は園児1人当たりの床面積か、など。 次に気になったことは「飯井」地区がなぜ豊原保育所の区域になるのか?という疑問。位置的には中央保育所のほうが近いのだが、ひょっとして飯井駅から長門三隅駅(豊原)まで列車で園児を通わせていたのか?毎朝、「付き添い」か「お出迎え」の先生がいたのか?そして付き添いなしに列車通園をしていた園児が居たとしたらすごいことだ! さらに気になったことは表記のない部落名はこの当時?は「部落」としては隣の部落に含まれていたのか?という疑問。例えば落志畑や大里は滝坂部落に含まれるのか?とか。公報であるがゆえに気になってしまう。 令和となった今、残っているのは「宗頭幼稚園」のみである。他の3園は平成17年に統廃合されて現在の「三隅保育園(すくすくランドみすみ)」となっている。 [参考] ●三隅町保育所(通称、野波瀬保育所):昭和26年(1951年)開設。昭和32年4月より「三隅町立野波瀬保育所」と名称変更。昭和59年に室生側の高台に新築移転したが平成17年(2005年)3月に閉園した。 ●豊原保育所 :昭和31年(1956年)開設。現在は建屋が撤去されてゲートボール場?となっている。 ●中央保育所 :昭和55年(1980年)に農業者トレーニングセンターの新築を機に旧公民館建屋をそのまま利用して開設。現在はトレセンの駐車場となっている。 ●宗頭幼稚園 :昭和34年(1959年)に旧宗頭小学校内に設置。現在へと続いている。 三隅町立野波瀬保育所の頃 三隅町保育所の頃か?

久原山を背景に

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今日から梅雨入り?と思っていたが明日からの予報には傘マークがない。どうしたんだろう? そんな季節に香月泰男画伯の生家の裏山である「久原山」を背景に風景を楽しむ。 2019年06月06日撮影-1 2019年06月06日撮影-2 2019年06月06日撮影-3 香月画伯が「私の地球」と称したこの町は、本当に画に残したい題材がたくさんある。 これらの写真を半世紀以上前の風景を連想して眺めるとちょっと楽しい。 オレンジ色のディーゼル車が蒸気機関車だったり、明倫小学校の校舎が木造の校舎だったりするとそうなるのだが・・・。